田中 啓二
財団法人東京都医学総合研究所(略称:都医学研)の発足にあたり、一言、ご挨拶申し上げます。新研究所は基本理念を「都民の生命と健康を守るために、重要疾患の原因解明、予防法や治療法の開発等に総合的に取り組み、優れた研究成果を発信することにより、首都東京の保健・医療・福祉の向上に貢献する」と謳っています。これらの目標を達成することによって長寿社会における健康科学を推進することが"都医学研"の使命であります。
さて新しい技術の開発は、産業革命の例を取るまでもなく、世界を変貌させます。20世紀後半、分子生物学の登場(バイオテクノロジーによる技術革新)によって生物学を取り巻く環境は一変し、生命科学という新しい学問領域を誕生させました。その象徴的なできごとは、2000年、クリントン大統領(当時)がホワイトハウスでの記念式典で「今世紀の科学の進歩の中で最も素晴らしい成果」と讃えたヒトゲノム解読の完了であります。1865年に"メンデルの法則"が発見されて以来の快挙であり、私たちはゲノム遺伝子にコードされた全ての情報を知り、シュレジンガー(波動力学の功績でノーベル賞授賞)が「What Is Life?」の書(1944年)で予言した「物理化学的原理で生命現象を理解する」ことが現実的に可能になると予感しました。実際、生物学者の誰もが"神の領域に迫る"という高揚感に溢れ、病気の克服はもはや時間の問題との楽観論がマスコミや巷間に轟きました。しかし爾来10年余、この希望/期待は空しく潰え、依然として私たちは様々な原因不明の難治疾病(がん・神経病・精神疾患など)や感染症との戦いに日々対峙することを強いられています。
ほとんどの病気は遺伝子の異常や生体防御系の破綻に起因すると言っても過言でありません。私たち「ヒト」は、長い進化を通して高度に洗練された生体システムを作り上げてきましたが、同時にその精巧さゆえに生じた様々な不具合を生物進化の過程で淘汰できずに共有しています。従って数多ある複雑な疾病の発症機構解明や病原体の侵入を撃退する免疫力増強のためには、生命の仕組みを理解することが不可欠であります。そして"生命の謎に迫る"ためには、卓越した研究者たちが集う世界最高水準の研究所を実現することが何よりも必要であり、その結果としての研究力の充実が社会に幅広く貢献できる研究所へ成長する一里塚であります。
ゲノム解読は私たちに新しい医学・生命科学時代の到来を告げました。現在、専門領域として細分化した古典的な生物学は形骸化し、誰もがゲノム情報を自在に駆使して分野横断的に自由な研究ができるようになりました。この自由な生物科学の創成こそがゲノム解読がもたらした最大の功績であります。この新しい時代に適切に対処するために、私たちは都内に分散していた研究所を統合して"都医学研"を設立しました。これまでに培い継承してきた最先端技術や貴重な研究成果をさらに発展させると共に、統合の相加的・相乗的効果を発揮して病気の解明に挑むつもりであります。そして"未来の健康を守る"という都民・国民の付託に応えることが絶対的に必要であり、これが長寿社会における医学研究所の任務であると考えています。新研究所は、優れた人材の登用と育成をバネに基礎研究の発展と研究成果の社会還元を目指し全職員が一丸となって邁進して行きたいと考えています。今後とも格別のご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。


