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研究内容の紹介


学習・記憶の分子メカニズムへのアプローチ  


ショウジョウバエの学習能力や記憶を測定する方法は、いくつもありますが我々の部門では「匂い連合学習」という手法を採用しています。具体的には、右の図にあるような装置(ティーチングマシーン)を用いて行います。1つの匂いを嗅がせながら電気ショックを与え、もう1つの匂いを嗅がせている間は何もしないでおくと、ハエは電気ショックと同時に嗅いだ匂いを危険な匂いであると「学習」し、その匂いを避けるようになります。何匹のハエが逃げるかを数えることで、数値によってハエの記憶力を評価できるこの手法は、非常に強力にハエの学習記憶機構を測定することができます。
  この装置を使い、何度も繰り返して匂い刺激と電気ショックを与えると、やがてその記憶は数日間持続する、いわゆる長期記憶になります。この実験は、長時間かつ正確なタイミングハエに刺激を繰り返して与えることが必要であるため、我々は右図のようなロボットを用いておこなっています。
 ショウジョウバエは、遺伝学的解析を行うことが容易なモデル動物です。学習記憶機能が障害された突然変異体を探し出したり、特定の遺伝子を破壊することで、学習記憶機能がどのように変化するのかを解析することで、どのような分子が学習記憶機能に関係しているのかを明らかにすることができます。

我々はこれらの学習・記憶装置と遺伝学的な解析、さらには最新の分子生物学的手法や生化学的な手法を組み合わせることで、近年以下のことを明らかにしてきました。

1)ほ乳類とショウジョウバエで記憶獲得に共通に重要な分子にNMDA受容体があり、この受容体のCa2+の透過性はMg2+によって調節されています。この調節機構は記憶の獲得そのものに必須であり、coincidence detectorとして機能すると考えられてきました。しかし、我々の研究からMg2+による調節はむしろ長期記憶を保持するための遺伝子発現に関与していることが明らかにされました。
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2)適度な空腹状態は、報酬学習によって記憶を獲得するのに必要な前条件であります。我々はこの空腹状態が罰学習においても重要な内部状態であり、通常長期記憶ができないような弱い学習でも、ハエが空腹であれば十分長期記憶を形成できることを発見しました。さらに、空腹であることがインスリンを介したTORC分子の活性化を調節し、さらにその下流にあるCREBによる遺伝子転写を調節していることが重要な分子経路であることを同定しました。
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記憶の形成は、学習や経験によって脳の神経細胞間におけるシナプス伝達が可塑的に変化し、伝達効率が増大(もしくは減弱)することが基盤になっていると考えられています。従って、10年ほど前までは脳の神経細胞1つずつにガラス電極を挿入し、神経細胞の活動性を測定する手法によって学習や記憶形成によってどのような変化があるのかという研究が行われてきました。しかし、この方法では細胞が著しく傷つけられてしまうという問題や、脳という広い領域のどの変化が重要なのかを明らかにすることが困難でした。近年、脳の神経細胞に活動性の変化によって蛍光が変化するプローブを導入し、蛍光変化を顕微鏡で観察するイメージング解析技術が開発され、多くの新しい発見を生んできました。

ショウジョウバエの脳は大変小さく透明性が高いため、このイメージング解析をすることに適した標本です。我々は高速で蛍光イメージを取得できるconfocal顕微鏡システムを改変し、ハエの脳を顕微鏡下で刺激した際の神経活動を測定する実験系を開発しました。右の写真はその顕微鏡システムの全容と、対物レンズ下の脳をガラス電極で刺激している様子を示しています。
この実験系を用いて、我々は最近以下のことを明らかにしました。

3)ハエの脳を単離し、匂い中枢を刺激すると記憶中枢での神経活動が観測されます。次に、匂い中枢と痛みを脳に伝える神経繊維を同時に繰り返し刺激します。その後、再び匂中枢だけを刺激すると、以前に比べて記憶中枢の神経活動が増強していることを見出しました。この増強は、様々な面で上記の匂いと電気ショックによる記憶と類似していることから、我々はこの単離脳に匂い記憶様の可塑的変化を引き起こすことができたと考えています。
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