橋本研究室

研究の背景 RESEARCH

パーキンソン病(PD)は、中脳黒質緻密質のドーパミン分泌神経の変性により、脳内のドーパミン不足か主な原因て引き起こされる寡動・安静時振戦・姿勢保持障害などの運動障害を特徴とする進行性の神経変性疾患である。他方、PD患者は、運動障害のみならず、便秘、起立性低血圧、発汗、排尿障害などの自律神経症状をはじめ、さらに、幻視、感情鈍麻、うつ症状などの精神症状や認知障害など多くの非運動障害を伴うことが知られている。これらの多くが進行性であり、時には運動障害に先行し、患者の日常生活の質を低下させる。認知障害は非運動障害の中てもとりわけ重要である。約50%の患者に軽度の認知障害 があらわれ、20~40%の患者においては重度の認知障害へと発展する。認知症を伴うPDは、精神症状や認知症か運動障害に先行するレビー小体型認知症(DLB)と臨床的に区別される。しかしながら、最終的な病理像は互いに酷似しており、これらの疾患の異同は長年の論争になっている。

このような複雑なPDの臨床症状の機序を分子レベルで理解することは、治療戦略を立てる上で必要不可欠である。近年、家族性PDにおいてα-シヌクレイン(α-Syn)のミスセンス変異が同定され、引き続き、PDやその関連疾患の病理学的特徴であるレビー小体にα-Synが凝集していることが示されたこと、さらに、最近のゲノムワイドのシークエンス解析により、α-Syn遺伝子のSingle Nucleotide Polymorphismが孤発性PDに強く連鎖することが証明されたことなどにより、PDの病態にα-Synが中心的な役割を担うことが確立されてきた。α-Synによる神経毒性の機序は不明であるがα-Synの凝集によって生じるプロトフィブリルが、プロテアソームやミトロンドリアをはじめとする多くの細胞内小器官にダメージを与え、神経細胞の機能不全、そして細胞死にいたる機序が一般的に受け入れられている。このように、α-Synの凝集を中心として、他の遺伝子産物や環境因子が組合わさることで、PDの病態を説明できるかもしれない。

家族性DLB病態におけるβ-シヌクレイン(β-Syn)の遺伝子変異

我々は、PDの病態に関与する多くの因子の中で、とりわけβ-Synの役割に焦点を当てた研究をおこなってきた。興味深いことに、2004年、70番目のアミノ酸のValがMetに置換された(V70M)孤発例が国内において、さらに123番目のProかがHisに置換された家系(P123H)が米国において同定されたことより、アミノ酸置換によりβ-Synが構造変化をおこし、それに伴う神経保護作用の喪失が引き金となって、α-Synによる神経変性を促進するような機序が想定された。しかしながら、P123H及びV70Mβ-Synのリコンビナント蛋白は凝集傾向を示し、また、これら変異型β-Synを神経芽細胞に発現したところ、オートファジー・リソソーム系の機能不全を伴う封入体の形成など神経変性所見を呈したことから、β-Synが神経毒性を獲得し、DLBの原因となり得る可能性が示唆された。

我々は、生体内における変異型β-Synの神経変性促進効果を検討するため、P123Hβ-Syn発現型トランスジェニック(tg)マウスを作製した。その結果、これらのtgマウスの大脳基底核にはP123Hβ-Synの蓄積を伴う軸索末端の肥大やグリオーシスが認められた。また、モリス水迷路試験により、これらのマウスは約6ヶ月齢で顕著な認知機能低下を示した。このように、P123Hβ-Synが単独で神経変性促進作用を有し、また、P123Hβ-Syn tgマウスが従来の運動障害を主徴とするα-Syn tgマウスと比べて、行動学的に異なることが観察された。これらのことは、P123Hβ-Syn、及びα-Synの神経変性促進作用が分子レベルで異なる可能性を示唆している。このような基本的な神経変性の機序を理解することは病態の解明に不可欠であると考えられる(課題1)。

孤発性シヌクレイノパチーの病態における野生型β-Synの関与

野生型のβ-Synは、α-Synに比べて凝集しにくく、α-Synによる神経変性促進作用に対してむしろ保護的な作用を有することがtgマウスを含む種々の実験系において報告されてきた。しかしながら、β-Synが遺伝子変異により神経変性に関与することは、野生型β-Synが加齢や環境因子などの影響によって弧発性シヌクレイノパチーの神経変性に関与しているのではないかという可能性を惹起する。これに関しては、ヒトの剖検脳において、PDやDLBだけでなくアルツハイマー病の剖検脳においても、α-Synに対するβ-SynのmRNAが相対的に減少していることが示されており、β-Synの相対量の減少による神経保護作用の低下が神経変性に関与するのではないかと推定することができる。また、mRNAレベルだけでなく、β-Synの蛋白レベルにおける変化、特にβ-Synの翻訳後において年齢や環境因子の作用による蛋白の修飾などにより、神経保護作用の低下にいたることは十分考えられる。他方で、PDやDLBの海馬苔状線維終末にβ-Syn蓄積が認められることや、リソソーム蓄積病の一つであるSandhoff病患者脳にβ-Syn蓄積が検出されるなど、神経変性疾患のいくつかの局面においてβ-Synが蓄積されることが報告されている。これらの所見は、野生型β-Synが加齢や環境因子に伴う何らかの修飾が原因で神経毒性を獲得することにより病態に関与する可能性を示唆しており、野生型β-Synを単純に治療戦略に使えるか否かという問題につながる重要な課題である(課題2)。

シヌクレイノパチーの治療法戦略

P123Hβ-Syn tgマウスの表現型が実際のDLBの症状をよく反映することは、これらのマウスが基礎研究に有用であるだけでなく、治療法開発のモデルとしても有効である可能性を示唆している。神経変性疾患の治療研究に関しては、ワクチン・抗体療法や移植治療の開発、小分子・化合物のスクリーニングなどが活発におこなわれている。現時点では、ヒトへの臨床試験において、いずれの方法も治療効果は認められない。他方で、糖尿病や動脈硬化などの加齢性疾患と同様に、神経変性疾患においてもカロリー制限、運動、良質な環境要因が、ヒトや実験動物モデルにおいて予防効果のあることが報告されてきた。このような背景で、我々は、運動に関連して、疑似運動効果を示すアディポネクチン(APN)によるシヌクレイノパチー治療の可能性を追求している。

APNは脂肪組織から分泌され、肥満、糖尿病、動脈硬化などの加齢性疾患に対して抑制的に働くアディポカインとして、近年、大きな注目を浴びてきた。神経系の加齢性変化におけるAPNの役割は不明である。しかしながら、最近になって、PD患者の血清やアルツハイマー病患者の脳脊髄液において正常者のそれらに比べて、APN濃度が有意に上昇していることが報告され、APNが神経変性疾患の病態に関与する可能性が示唆されている。我々は、PD及びその関連疾患の病態において、APNがα-Synの神経毒性に対する抑制因子として働いているのではないかという仮説を立て、剖検脳や培養細胞モデルを用いて解析中である(課題3)。

新規モデルシステムの確立

最後に、これまでの知見は主としてマウスや培養細胞の実験系で得られたものである。実験系に関しては、それぞれ一長一短あるが、今後、治療法の開発などに関しては、比較的短時間に結果が得られる系、さらにヒトをモデルにした系を用いて検討する必要がある。このような理由で、ショウジョウバエモデル、P123Hβ-Syn患者由来ipscモデルを確立し、これまでマウスで得られた知見を再検討し、治療戦略を構築する(課題4)。

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