HOME広報活動刊行物 > Oct. 2015 No.019

特集

糖尿病性神経障害の成因解明と治療戦略

糖尿病性神経障害プロジェクトリーダー三五 一憲

三五 一憲

はじめに

私は昭和63(1988)年に横浜市立大学医学部を卒業し、生理学の大学院に進学しました。父が開業医だったこともあり周囲から同じ臨床の道へ進むことを期待されていましたが、当時は反発心故か基礎研究の世界を覗いてみたいという思いに駆られたのです。しかし指導教授の竹中敏文先生が「医学を勉強してきたのだから、臨床を経験しておいた方が研究の視野が広がると思うよ。」と臨床研修を勧めて下さり、糖尿病と消化器疾患を専門とする内科で1年間勉強しました。入院患者さんの4割近くが糖尿病もしくはその予備群で、慢性合併症の進行により足切断や透析導入となった患者さんを担当する機会もあり、主治医として「糖尿病合併症の怖さ」を体感しました。竹中先生が実験糖尿病ラットを用いて軸索輸送※1の障害メカニズムを研究されていたこともあり、多彩な臨床症状を呈する神経障害に自ずと興味を抱き、堀江秀典先生はじめ教室員の方々のご指導を仰ぎながら大学院での研究課題として取り組みました。

その後、米国立衛生研究所(NIH)、国立健康・栄養研究所、東京都神経科学総合研究所(平成23年、都医学研に統合)で糖尿病や末梢神経の研究を続け、今年度からは、都医学研の第3期プロジェクト研究課題の一つして「糖尿病性神経障害」を担当することになりました。振り返れば病棟での経験なくして研究の継続・進展は困難であったことは明白で、初心を忘れずに「ストップ・ザ・糖尿病合併症」をスローガンに掲げ、研究、教育、普及広報活動等に力を注いでおります。


糖尿病性神経障害とは?

糖尿病に特有の慢性合併症として、網膜症、腎症、神経障害が知られています。それぞれ失明、腎不全による透析導入、足切断の原因疾患として上位を占めていますが、各臓器・組織の障害がかなり進行するまで異常を自覚できないことがこの合併症の厄介な点です。この中で神経障害が最も早期に出現し、血糖のコントロールが悪い患者さんほど進行が早いことが統計上から示されています。主に末梢の感覚ならびに自律神経の障害が臨床症状として顕在化することにより、患者さんのquality of life(生活の質)を著しく低下させます。痛みやしびれは感覚神経の障害によって生じ、不眠やうつ状態に陥るほど激烈な場合もありますが、これらの刺激症状は神経線維がまだ生き残っていることを示すものです。さ らに神経の変性・脱落が進むと、逆に痛みを感じにくくなります(感覚鈍麻)。足の怪我や火傷に気がつかず、そこに血流の障害や感染が加わることによって壊疽(えそ)※2を生じ、切断に至るケースも少なくありません。また全身に広く分布する自律神経が障害されると、立ちくらみ(起立性低血圧)、不整脈、胃腸障害(繰り返す便秘や下痢)、排尿障害、性機能障害等を引き起こします。

糖尿病性神経障害は末梢神経疾患の中で頻度が高く、私が理事を務めている日本末梢神経学会においても重要な検討課題の一つです。最近では糖尿病と中枢神経疾患、特に認知症との間にも密接な関連があることが明らかになってきましたが、これに関してはまたの機会に取り上げたいと思います。


神経障害はなぜ起こる?

現在想定されている糖尿病性神経障害の成因を図1にまとめました。網膜症や腎症では、毛細血管などの細い血管における血流が悪くなること(細小血管障害)が発症に深く関与しています。神経障害ではこの細小血管障害に加えて、末梢神経を構成するニューロン(神経細胞)やシュワン細胞における代謝異常も重要な成因となること、また各代謝異常の間や代謝異常と細小血管障害との間に密接な相互作用が存在することが報告されています。

図1 想定される糖尿病性神経障害の成因

図1 想定される糖尿病性神経障害の成因

ニューロンの細胞体から伸びる軸索は、痛み等の感覚を脳や脊髄(中枢神経)に伝えるとともに、中枢神経からの情報を筋肉や内臓等の効果器官に送ります。シュワン細胞は末梢神経系のグリア細胞で、ニューロンの生存と機能維持にかかわる多数の栄養因子、保護因子を産生するとともに、軸索を取り巻いて髄鞘を形成します。髄鞘は、神経活動が軸索内を速やかに伝わる上で重要な役割を担っています。高血糖状態の持続および糖尿病に随伴する脂質異常症、動脈硬化等が末梢神経における細小血管障害や代謝異常を引き起こし、軸索の変性や髄鞘の脱落(脱髄)といった病理変化をもたらすことによって神経機能の低下に至ると考えられています。しかしながら具体的な発症メカニズムに関しては未だに不明な点が多く、成因に基づいた有効な治療法の確立には結びついていないのが現状です。

私たちはプロジェクト研究課題の一つとしてシュワン細胞における代謝異常に注目し、これまでに樹立した種々のシュワン細胞株を用いて神経障害の成因解明と治療法開発に取り組んでいます(図2)。

図2 糖尿病性神経障害の成因 − シュワン細胞における代謝異常

図2 糖尿病性神経障害の成因 − シュワン細胞における代謝異常<
ポリオール代謝亢進:
高血糖に伴いシュワン細胞内に取り込まれるグルコース(ブドウ糖)の量が増えると、アルドース還元酵素 (aldose reductase:AR)が活性化されてポリオール代謝経路への流入が増大し、ソルビトールやフルクトース(果糖)が蓄積します。ソルビトールの蓄積により細胞内浸透圧が上昇したり、細胞膜機能に重要なミオ・イノシトールやタウリンの取り込みが阻害されます。またフルクトースの代謝産物は、後述のグリケーションや酸化ストレスを誘導することが示唆されています(都医学研NEWS No. 010号参照)。
私たちはマウス由来のシュワン細胞株IMS32を高グルコース濃度で培養することにより、細胞内ソルビトール・フルクトース量が著しく増加することを報告してきました。現在大日本住友製薬(株)との共同研究により、IMS32を用いて新規AR阻害薬ラニレスタットの薬効とその作用メカニズムを検討しています。ラニレスタットは従来のAR阻害薬に比べ、より低用量で実験糖尿病ラットの神経障害を改善することが明らかにされています。現在進行中の臨床治験に加え、本研究によりラニレスタットの作用メカニズムが詳らかになれば、神経障害治療薬としての臨床応用に大いに貢献しうるものと期待しています。
グリケーション:
過剰のグルコースが酵素の触媒を介さずに蛋白質や脂質と結合してしまう現象で、この反応が進むと最終糖化産物(advanced glycation end-products:AGEs)が形成され、細胞の構造や機能に障害をもたらします。私たちはラット由来のシュワン細胞株IFRS1を用いた研究の結果(塚本等、Neuroscience Research 2015)から、AGE受容体の一つであるガレクチン-3がAGEsを処理し、その毒性を減らすことによってシュワン細胞を保護するのではないかと考え、さらにそのメカニズムの解明に取り組んでいます。
酸化ストレス:
細胞内に取り込まれた酸素の代謝過程で生じる反応性の高い分子(活性酸素)は、DNA、タンパク質、膜脂質などに傷害を与えます。高血糖による酸化ストレス亢進の原因として、グルコース自体の酸化、ポリオール代謝亢進やグリケーションによる抗酸化物質の減少や活性低下等が密接に関連しているものと考えられています。
私たちはIMS32やIFRS1を用いて、ポリオール代謝、グリケーション、酸化ストレス相互の関連性を明らかにするとともに、愛知学院大学(加藤宏一教授)との共同研究により種々の物質、薬剤の抗酸化ストレス作用を検討しています。

おわりに

患者さんの生命をも脅かす深刻な合併症であるにもかかわらず、糖尿病性神経障害の基礎研究に従事する研究者・医師は網膜症や腎症に比べ極端に少なく、「絶滅危惧職種」とも言われています。当プロジェクトでは若手研究者の育成とともに、東京慈恵会医科大学(宇都宮一典教授)、弘前大学(水上浩哉教授)、愛知学院大学等との共同研究を推進し、成果を国内外へ発信していくことによって、神経障害研究の活性化を目指します。

また神経障害をはじめとする慢性合併症に対する有効な治療法が確立されていない現状では、食事療法と運動療法を主体とする血糖のコントロールが欠かせません。そこで私は研究の傍ら、都民講座や都医学研ホームページ「身近な医学研究情報 」をはじめとする普及広報活動、また大学の非常勤講師として学生教育(病態代謝生理学、臨床栄養学)にも携わってきました。これらの活動を今後さらに実りあるものにしていきたいと考えておりますので、都民の皆様からのご支援やご助言を頂ければ幸いです。


用語説明

※1 軸索輸送
軸索にはタンパク質の合成器官であるリボゾームが存在しないので、軸索の構造や機能を維持するには、ニューロンの細胞体で合成したタンパク質を軸索の終末まで運搬する必要がある。この機構を軸索輸送(順行性輸送)とよぶ。逆に軸索の終末で取り込まれた物質を細胞体に運ぶ逆行性輸送の機構も存在し、ともに微小管と呼ばれるレールの上で物質が運搬される。
※2 壊疽(えそ)
感染症や血流障害によって壊死に陥った組織が腐っていくことで、放置すると感染が全身に拡がり敗血症で死亡する場合もある。
ページの先頭へ