HOME広報活動刊行物 > January 2016 No.020

研究紹介

認知症の人の地域生活を支援するケアプログラム推進事業

心の健康プロジェクトリーダー西田 淳志

近年の研究により、認知症の人が居所を移すことによって受けるダメージ(リロケーションダメージ)の実態が明らかになってきました(Mitchell et al.,2009)。認知症の人が医療機関に入院するなどして居所を移動すると、身体面や認知面での機能が顕著に低下し、死亡率も上昇することが報告されています。こうした事実に基づき、認知症の人の居所移動を可能な限り回避することが重要と の認識が国際的に広まっています。認知症の人が長く住み慣れた環境から入院などによる生活の中断を余儀なくされる最大の要因は、認知症の人に現れる行動心理症状(幻覚や妄想、興奮や不安など)とよばれるものです。この行動心理症状がご家族の介護の負担を否応なく高め、居所の移動を余儀なくされています。これまで多くの国々で、この行動心理症状を“問題行動(症状)”としてとらえ、主として抗精神病薬によって鎮静をはかる対応がとられてきました。しかし、2000年代には認知症の人への抗精神病薬の投与が死亡リスクを顕著に高めることが確認され、こうしたリスクの高い手段をとることなく行動に対応するべく、新たに心理社会的なアプローチが追求されています。

行動心理症状の発生や増悪を心理社会的アプローチによって予防することができれば、ご家族の介護負担も軽減され、認知症の人が住みなれた環境での生活を諦めなくてはならない状況を回避することができます。逆に、そうしたアプローチが確立されないままでは、認知症の人に様々なダメージを与える居所移動や抗精神病薬使用を避けることは難しくなります。近年、認知症国家戦略を打ち出した国々においては、行動心理症状の発生・増悪を予防するためのケアプログラム、特に心理社会的なケアプログラムの開発と普及が最重要課題として位置づけられています。各国・各地の政策関係者は、そうしたケアプログラムの成功例に関する情報を積極的に収集しています。私たち心の健康プロジェクトでは、これまでに認知症政策の国際動向の分析や、イギリス、フランス、オランダ、オーストラリア、スウェーデン、アメリカなど各国優良実践の現地調査などを積み重ねてきました。各国に共通する考え方は「ケアの質」が向上することで行動心理症状が減り、それにともない居所の移動や抗精神病薬使用の機会を減らせる、というものです。

認知症の人に提供される「ケアの質」をどのようにして高めていくか。その方向性を示す考え方および実践として、近年、「認知症緩和ケア」が国際的に注目されています。認知症の人は、病気の進行にともない自分の存在や尊厳が脅かされ精神的・実存的な痛みを受け、また身体的な痛み(疼痛や身体合併症)も感じています。2013年には欧州緩和ケア学会が提言をまとめ、認知症の人のこうした精神・身体・実存の痛みを緩和するために、緩和ケアを「診断がついた時点から死後に至るまで」一貫して提供していく必要性を指摘しました。それを受け、2015年3月に開催された「認知症に関する世界的アクションに関する第1回WHO大臣級会合」では、緩和ケアをより明確に各国認知症政策において位置づけることを求める声明が出されています。認知症緩和ケアの要素には「ケアの継続性」、「(居所移動を含む)過度に積極的な、負担のかかる、あるいは無益な治療を避ける」、「(行動心理)症状の最適な治療と快適さの提供」も含まれています。

認知症緩和ケアの考え方に基づいて、ケアの質を高め、行動心理症状の発生・増悪予防を進める取り組みが各国で展開され始めています。その優良実践例の一つに、スウェーデンの行動心理症状ケアプログラム(BPSDレジストリ)があげられます。このプログラムの主眼は行動心理症状を(問題行動や症状でなく)認知症の人が自らの満たされていないニーズを周囲に伝えるサインととらえ、そのニーズを的確に理解して対応することにあります。これにより認知症の人の介護・看護にあたる専門職の方々が、心理社会的アプローチによって的確に行動心理症状に対応することが可能になります。2010年にルンド大学で開発され、今ではスウェーデンの95%以上の自治体に普及しています。国際的にも注目を集め、デンマークやノルウェーをはじめ他の国々への導入が進められています。

こうした国際的な優良実践を参考にしつつ、世界で最も高齢化の進む国際主要都市の東京都においても、認知症緩和ケアの考え方にもとづく行動心理症状への対応プログラムを開発することは喫緊の課題です。私たち心の健康プロジェクトでは、平成28年度から東京都からの委託を受け、同種ケアプログラムの開発に取り組むこととなりました(認知症の人の地域生活を支援するケアプログラム推進事業)。認知症の方々を支える現場の介護職・看護職等の方々と連携し、プログラムの開発とその効果検証を進めていく予定です。この重要な課題を心の健康プロジェクトの総力を結集して着実に進めたいと思います。


参考文献

  1. Mitchell SL, Teno JM, Kiely DK, Shaf fer ML, Jones RN,Prigerson HG, Volicer L, Givens J, Hamel MB. The clinical course of advanced dementia.
    N Engl J Med, 2009; 361(16):1529-1538.doi: 10.1056/NEJMoa0902234
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