HOME広報活動刊行物 > Jan 2017 No.024

特集

年頭所感

所長田中 啓二

田中啓二

本年(2016年)、私にとっての激震ともいえる歓びは、何と言っても四半世紀以上に亘る知己であり“タンパク質分解”という同じ生命科学研究領域の盟友でもある東京工業大学の大隅良典栄誉教授(以下「大隅さん」と記載)が「オートファジーの仕組みの発見」の研究で、ノーベル生理学・医学賞を単独受賞したことであります。大隅さんとは個人的な交流のみならず当研究所の評議員、研究評価委員にもご就任いただいている関係から、今回の至上の栄誉に心底から祝意を表したいと思っています。私自身も大隅さんのノーベル賞受賞の余波をまともに受けましたので、その顛末を記しておきたいと思います。

大隅さんのノーベル賞受賞は「遅きに失したと言っても過言ではない」と私は思っています。また、近年、ノーベル賞単独受賞がほとんどなかったことからも、その偉業は敬服に値します。祝福の声が日本の隅々にまで木霊していったことも宜(むべ)なるかなと思っています。

“大隅さんがなぜ単独受賞に至ったか”について最初に謎解きをしておきたいと思います。オートファジー (autophagy自食作用:ギリシャ語に由来、auto=self=自分を、phagy=eat=食べる) という現象について、大隅さんの最大の功績は、1993年、オートファジーに関わる遺伝子を独力で発見したことです。しかも大隅さんの凄いところは、この時、オートファジーの作動機構に関係する遺伝子群のほぼ全てを網羅的に分離していたことでした。オートファジーという現象は1960年前後にC. de Duve (1974年ノーベル賞受賞) によって発見されていましたが、遺伝子が不明であったために、その研究は遅々として進みませんでした。

オートファジー遺伝子が発見された1993年以降は、研究が飛躍的に進展し、オートファジーと銘打った論文は現在では年間約5000編発表されています。大隅さんの発見がオートファジーの新しい世界を開拓し、その発展の基礎を築いたことは明白であり、それ故に単独受賞となったのです。もう一つ、大隅さんの卓越した功績は、吉森保教授(大阪大学)と水島昇教授(東京大学)を始めとする数多くのすぐれた弟子を育成し、わが国のオートファジー研究を包括的に世界の中枢に押し上げたことであり、そのことが単独受賞の背景にあったと私は考えています。実際、吉森さんや水島さんが推進してきた高等動物のオートファジー研究は世界を席巻し、今なお拡大の一途をたどっています。

大隅さんの功績によってオートファジーという科学用語は市民権を得ました。細胞が飢餓に陥るとオートファジーが誘導され、栄養補給のために自分を食べること(これはオートファジーの役割の一つに過ぎませんが)など分かりやすい説明が奏功しました。私の孫との会話ですが、「夕食に行こうか」との私の問いに、小学6年生の孫は「うん、今、お腹が空いてオートファジー状態や!」と。子供たちにまで普及しているのかと思うと、驚きを禁じ得ませんでした。私たちが何百編の学術論文を書いても科学用語に世間は無頓着、無関心ですが、ノーベル賞受賞の威力というものをまざまざと見せつけられた思いがいたします。

ノーベル賞のもう一つの余波は「七人の侍」講演会を一躍有名にしたことです。この講演会は大隅さんや私を含むタンパク質を生涯の研究テーマとしてきた同世代の異色の七名の研究者が若い研究者を鼓舞するために日本各地を講演行脚しているものです。大隅さんの受賞を機に一気に世間の耳目を集めることになりました。10月末に京都産業大学で開催された「タンパク質動態研究所」開所式の講演会では、大隅さんの特別講演の前座で「七人の侍」の6人が大隅さんのエピソードを披露しましたが、朝日新聞全国版には“田中さんが「七人の侍」の講演会の主な目的はお酒を呑むこと。ついでに講演会、と話すと会場は笑いに包まれた”とあります。仲間からは事実だから仕方ないと爆笑されました。ちなみに、朝日新聞歌壇の馬場あき子選者は「七人の侍集う良き夜なり大隅さんを祝いて酒汲む」と詠んだ短歌を取り上げておりました。

さて、私は、「七人の侍」の面々である吉田賢右さん(生化学者)や永田和宏さん(細胞生物学者)や愛弟子さんたちと一緒に大隅さんからノーベル賞授賞式・晩餐会(12月10日ストックホルム)に招待されました。授賞式のあったコンサートホールは、1350名ほどの招待客で満ち溢れ、午後3時半頃、王族等が勢ぞろいした中、受賞者たちが厳かに舞台に登場してきました。受賞者一人ひとりにスウェーデン国王からノーベル賞が授与されますと、式は最高潮に達しました。オーケストラによる音楽が奏でられ、その余韻が残る中、大隅さんが国王と満面の笑みを浮かべて握手している様子は、私としても圧巻の光景でした。この感動を短歌にと、歌人としても有名な永田和宏さんに依頼しますと、「友としてあるを誇りに壇上の君を見てをりいま名は呼ばる」と即興で詠まれました。友人への心に響く想いが短文字に凝縮されているように感じられました。

祝賀パーティーにて
(左から永田和宏先生・吉田賢右先生・大隅良典先生・田中啓二所長)

その後、市庁舎に移動して1階「青の間」で晩餐会が開宴されますと、厳粛な授賞式とは打って変わって和やかな雰囲気が天井の高い荘厳な造りの会場に漂っていました。ノーベル賞受賞者たちが王族たちに手を取られて会場2階から姿を現しますと、万雷の拍手が轟きました。絶品の料理やワインに舌鼓を打ちながら晩餐会は4時間以上に亘って繰り広げられました。大隅さんは祝宴終了前のスピーチを威風堂々とした態度で臨み、酵母とオートファジーについて語るとともに、酒好きを披露して会場を沸かせていました。私は深夜、ホテルに戻った大隅さんを慰労するとともに、吉田賢右さんや永田和宏さんと止めどなく杯を重ねました。

このように酷寒のストックホルムの特別の日は更けていきましたが、私にとっても生涯の忘れ得ない経験となりました。

大隅さんがノーベル賞受賞後の会見で「基礎研究」の重要性を強調し、巷に波紋を投げかけました。特に、「役に立つ研究」を標榜するテーマに研究費が集中する現在の競争的研究資金の配分制度に疑問を投げかけました。そして、若い研究者たちが目先の利益にとらわれず知的好奇心に根ざした自由な研究をできる環境が次第に乏しくなっている状況は“科学の形骸化”を招きかねないと警鐘を鳴らしたのです。全く同感です。私は、科学が社会の発展に寄与することは当然として、もう一つの科学の役割は、人材の発掘に象徴される人類の知の創造に資することであり、未来を健やかにするためには、基礎研究の充実が不可欠であると訴え続けています。基礎研究の真髄は未知の探究であり、この未知に挑む若い世代を励まし、夢を抱かせることが科学技術でしか未来を見通せないわが国にとって必須のことであります。大隅さんのノーベル賞も基礎研究から生まれたものです。真に重要な基礎研究は、必ず有用な応用研究に結びつくものであり、多分、ノーベル委員会は、大隅さんの研究をこの視点からも正しく認識していたと思います。

左:受賞後の舞踏会での大隈良典先生
右:ホテル玄関にて(左から水島昇先生・田中啓二所長・永田和宏先生・吉森保先生)

私は「すぐに役に立つ研究」と「すぐに役に立たない研究」の線引きはそれほど明確に顕在化しないと考えています。今すぐには役に立たなくても後年、役に立つ研究に変貌する研究例は枚挙に暇がありません。例えば、当研究所は肝硬変や統合失調症の治療薬開発を目指した医師主導治験を都立病院と連携して行ってまいりましたが、これらの治験はいずれも当研究所の基礎研究の成果に基づいてのものであります。このことは、一見、すぐには役に立たないように見える基礎研究であってもそれが真に重要なものであれば、時を経ずして必ず役に立つ研究に大変貌を成し遂げ得ることを物語っています。逆に、役に立つ研究のみに専念している場合、セレンディピティ(偶然による幸運)に遭遇する機会は限りなく遠のき、既成の概念を覆すような独創的な発見に至ることはまずないでしょう。

自由な興味・発想に基づくBottom-up型の基礎研究と戦略性に富んだ目標達成型のTop-down型の出口研究の二つが相互連携することで、相加・相乗的効果を発揮することが重要であり、当研究所はそのような組織を構築することをミッションとしています。

さて、トムソン・ロイター(ライフサイエンスに関する国際的な情報サービス企業)は、毎年、高被引用論文(各分野において被引用数が上位1%の論文)数による日本の研究機関ランキング(http://ip-science.thomsonreuters.jp/press/release/2016/esi2016/)を発表して、とくに影響力の高い論文を発表している研究機関を把握しようとしています。本年度、当研究所は、生命科学の中枢学問である分子生物学の分野で、高被引用論文(概ね高 IF論文)数が23個で全国の第6位であり、さらに特筆すべきは、高被引用論文※の割合で断トツの第1位(6.4%)でありました。また生物学・生化学分野においても高被引用論文の数(10個)と割合(2.6%)の両方で上位(論文数は10位、割合は1位)にランクしました。データ対象期間が2005年から2015年までの11年間ですので、フロックでないことは、明らかです。

当研究所の研究者数が他の研究機関と比較してかなり少ないこと(1/5〜1/10程度)を勘案しますと、トムソン・ロイターの分析は当研究所の優位性を証明してくれていると思いますが、この結果に驕らずに本年も少数精鋭の卓越した研究所を目指して、基礎研究の高いレベルへの発展と都民貢献のための医学研究に邁進していく所存でありますので、宜しくお願いいたします。


※高被引用論文

学術論文では日常的に先行研究の引用が行われます。引用は理論を展開する上での必要となるバックグラウンドやそれをサポートする情報を示すために行われ、読者がその情報にアクセスできるよう、著者情報の出典、典拠を示す標準的な表記が論文の最後の引用文献リストに記されます。本誌でも「参考文献」として掲載しております。新しい研究事例が先行する科学論文とどう関連しているかを表す重要な指標となります。

被引用件数とは、「何回引用されているのか」を示す数値であり、「過去の科学研究論文がある研究に対してどれだけ知的貢献をしているか」ということを示すものです。すなわち、被引用件数が多いほど科学的にインパクトの高い論文ということを意味しており、研究の質や波及効果を客観的に評価する指標となります。

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