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寄 稿

2020/08/03

コメンタリー:田中理事長が参画しているグループ「七人の侍」のメンバーからの寄稿文

感染者とは?:素人の単純思考による疑問

伊藤 維昭(京都大学名誉教授)


新型コロナウイルスの「新たな感染者」の数が報道のトップに来る日が続く。しかし、マスコミが使う「感染者」という言葉自体が不明確である。発表される数は決して「新たな」感染者の数でもなく、我々が心配すべき事とは間接的にしか関係しない数であることを指摘したい。マスコミのみならず、専門家の論文などでも「感染者」という言葉が明確な定義なしに使われていることに疑問が生じた。事の発端は、以下のパラドックス(逆説)を発見した・・と思い込んだことである。

新たに感染した人は新たな感染源となるため、感染者の数は指数関数的に増加すると説明されることが多い。この、容易に理解できる感染の指数関数的拡大という根本原理は、種々の解析——感染者数の倍化速度、再生産数、そして最近では「K値」、などの算定の基礎となっている。このような感染状況の解析では、公表された「感染者数」が使われる。他に利用できるデータはないのだから当然である。しかし、実際の社会においては「感染者」は新たな感染源とはならないのである。公表された「感染者」は、公表の時点で入院し、隔離されているはずである。例外的に医療関係者への感染があり得るにせよ、基本的には「感染者」は新たな感染源とはならないと理解すべきである。自然界とは違って社会では「感染者」は指数関数的増加の系から除外されていると言う単純な事実にこれまで誰も気がつかなかったのだろうか?——この「パラドックス」に気づいた事は大発見なのかもしれないと思い、私は興奮気味に仲間と議論したのだった。もちろん、そんなのは大発見でも何でもないという結論がすぐ出たのだが、仲間とのやりとりを経て私が納得した以下のことをメモしておくのも無意味ではないと思う。

ある瞬間における、世の中の人々を、新型コロナウイルスとの関係で分類すると以下のようになる。

  1. ウイルスに感受性の未感染者。
  2. ウイルスに非感受性の(免疫がある)未感染者、あるいは回復者。
  3. 感染中だが、まだ診断されておらず、ウイルスを排出している人(感染源となる人)。(未診断未隔離感染者
  4. 感染中で、診断を受けて隔離されている人(感染源とはならない)。(診断済み隔離者

我々は、ウイルス感染症の拡大・終息に関心があるのだから、注目するのは、感染源である(3)の人数の増減である。無限定に「感染者」と言う言葉を使うと、普通は(4)の数を指すだろう。実際に公表される数も(4)である。しかし、上で述べたように(4)は、もはやウイルスを他人に感染させることはない人々なのである。(4)は指数関数的増加の系に入っていないはずなのに、解析のデータとして使ってよいのだろうか?報道には意味があるのだろうか?

(3)と(4)はダイナミックな関係にあり、常に(3)から(4)への転換が起こっている。すなわち、(4)の人は必ず(3)の状態を経ている。感染から診断までの時間は決してゼロにはできないので、その間(数日間?)は感染源となる。したがって、全感染者を把握できる理想的な社会があったとしても、各瞬間に(3)は必ず存在する。(4)の数は、それらの人たちが感染源であった時を振り返って(3)の数を把握するための指標であると捉えると、私の発見した「パラドックス」には、さほどの意味はないことになる。それだけの人数は、隔離までの期間は指数関数的感染拡大に寄与していたのだから、解析に公表値を用いることで問題はないこととなる。ただ、個人が経験する出来事を時系列で示すと、典型的な場合、感染する→症状が出る→診断を受ける→入院する→回復する(あるいは死亡する)・・となり、感染源に注目した場合、報道で発表されるのは「新たな感染者」というより、感染していたことが新たにわかった人(もはや感染源ではなくなる人)であることは、肝に銘ずるべきであろう。

また、現実には、(3)の状態で診断を受けることなく発病→治癒の経過をたどる人や無症状で気づかれない人も存在するはずである。このような市中感染の程度を見積もることが重要になるが、(3)の人数自体は本質的にわからない。解析には、データが手に入る(4)の人数を使わざるを得ない。(3)は(4)と比例関係にあると仮定すれば、(4)の増減から、(3)の動向も推測できると言うのが、解析の原理なのかと想像する。このことは、いろんな解析ではっきり述べられていないように思われるので、改善して欲しいものだ。

以上の様に、「感染者」という言葉は、無限定に使うことはできない。また、感染源となる人には2種類がある。検査を受けることなく見逃されている感染者と検査陽性で入院する感染者の入院までの期間である。どんな解析手段を用いるにしても、PCR検査のポリシーが一定でないと、全感染者のうちの(4)の割合が変わってくる。すなわち、(3)と(4)の比例関係の係数が変動するため、(4)をデータとして使う解析の根本が揺らぐはずである。実際、最近になって検査の対象が広がったため物事が複雑化している。ウイルス陽性と認定されたが、無症状の人、軽症の人が増えている。それらの人を完全に隔離することは難しくなっていくため、上記の分類だけでは不充分になるかもしれない。

無症状感染者の感染力(排出するウイルスの数と期間)がどの程度なのかが重要な問題となるだろう。場合によれば、医療体制の飽和を防ぐため、指定感染症への指定の見直しが必要になり、(5)感染認定されたが、隔離されていない人(診断済み非隔離者)・・と言うカテゴリーも必要になってくるかもしれない。「感染者」数の公表に当たって、隔離の有無も必要な情報となると思われる。(3)に分類される感染源となる人も均一ではない。スーパースプレッダーの存在も指摘されており、個人の行動様式も大問題になる。細かい分類と定量化が必要になってくるだろう。ある時点において、(3)は(4)の何倍程度の人数になるのかは、無作為に抽出した人のPCR検査によって見積もることができるだろう。

思考は言葉によって他人と共有できる。そのためには、言葉の定義(定義が可能な場合)が明確であることが必要である。思考自体には言葉以前の直感のようなものも重要だろうが、逆に一旦ある言葉を使うと、その言葉によって思考の枠組みが、意識することなく決まってしまい、迷路に迷い込んだりもする。新型コロナウイルスの感染拡大を巡って「感染者」という言葉の曖昧さについて考えてみた。その過程で、自分自身も「隔離者」という言葉に惑わされ、彼らが必ず隔離されていない状態を経ていることに思いが至らない経験もした。いずれにせよ、我々は、無限定の「感染者」のような、曖昧な言葉に思考を支配されてはいけないと思う。このことは、一般の人も、科学者も、施政者も心すべきだと思う。公表感染者数をデータとして使う場合、その値は「感染者数」ではなく「感染認定者数」とでも呼ぶべきと思う。

以上の指摘は、具体的な施策を提案するものではありません。(3)の人数を見積もったところで、どのように役立てるのかを提言できていないのですが、物事の捉え方のベースとして役に立てば幸いです。専門領域の解析において、(3), (4), (5)の区別は既に織り込み済みなのかどうか、どのように織り込めるのか、そのような留意に意味があるのかどうか、またお教えいただければと思います。

付記:数理疫学では、以下の様に区画(Compartment)で分けると記載されている。S;感受性宿主で感染する可能性のある人口,I;感染して感染性を有する状態,R;感染後に回復して免疫を獲得した者または死亡者)【西浦 博・稲葉 寿 統計数理(2006)第54巻第2号461–480】。今回の分類における(3)と(4)は区別されていないように思われる。

謝辞:吉森保、吉田賢右、永田和宏、各博士からの有益なコメントにより、今 回の考えに至りました。また、田中啓二、藤木幸夫、大隅良典各博士からの励ま しに感謝します。