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ショウジョウバエ単離脳におけるキノコ体シナプス伝達の
可塑的変化

文責 上野耕平/齊藤 実

はじめに
匂いと電気ショックを組み合わせたショウジョウバエの匂い嫌悪学習は、典型的な古典的条件付けである (Quinn et al., 1974)。遺伝学を組み合わせた詳細な研究から、この条件付けにはキノコ体と呼ばれる数千個のニューロンからなる一対の神経集団が重要な働きをしていることが明らかにされてきた。(図上段)。さらに、近年のイメージング解析により、匂い嫌悪学習をしたハエではその匂いに対するキノコ体の神経活動が増強していることがわかった (Wang et al., 2008)。すなわち、この匂いに対するキノコ体応答の可塑的変化が、匂い学習の基盤となっていると考えられる。我々はキノコ体神経活動の可塑的変化の分子細胞学的な実体を明らかにすべく、in vitroにおいてキノコ体の可塑的変化をシナプスレベルで解析できる系を開発することにした。

1.取り出した脳での記憶形成?
in vitroでの解析が神経活動の可塑的変化の理解に有効であることは、ほ乳類の海馬スライスやアメフラシの培養した感覚・運動ニューロンといったin vitro実験系が学習記憶研究に多大な貢献をしてきたことからも明らかである。具体的には、in vivoと違い神経への刺激を実験者が自由にコントロールできることや、薬理学的な解析が容易なこと、さらにはイメージング解析の大きな障害となる標本の「動き」が全く無いことにある。
ハエの中枢神経系を単離すると、匂いの一次中枢である触覚葉(antennal lobe, AL)と電気ショックを脳に伝える体性感覚中枢の腹髄神経節(ventral nerve code, VNC)が露出する。そこでALと、脳-VNC間を繋ぐ繊維(ascending fibers of VNC, AFV)を各々ガラス電極で刺激することで、単離した脳にあたかも匂いと電気ショックが与えられているかのような刺激を与えられるのではないかと考えた。
キノコ体にCa2+感受性蛍光たんぱくG-CaMPを発現させたハエ脳でALを刺激すると、生きたハエで見られるように、キノコ体のローブと呼ばれる部位で強いCa2+応答が観察された(図中段左)。ALとキノコ体はアセチルコリンによってシナプス伝達されていることが知られており、実際に我々の系においてもニコチン性アセチルコリン受容体(nAChRs)のブロッカーを投与するとCa2+応答は消失した。
次に、ALとAFVを同時に刺激すると強いCa2+応答が観察され(図中段中)、その後再びALだけを刺激すると、同時刺激する前に比べてCa2+応答が増強していることが観察された(図中段右)。またこの増強では(1)ALとAFVの同時刺激がその誘導に重要であり、ALだけを強く刺激する、もしくはALとAFVを別々に刺激する方法では誘導されない(連合性)、(2)AL刺激に対するCa2+応答性は増強するが、AFV刺激に対するCa2+応答性は増強しない(入力特異性)、(3)増強は、2時間以上保持されるが、繰り返しALを刺激すると消失する(保持特性)といった、匂い嫌悪学習による記憶と極めてよく類似した特徴がみられた。即ち匂い嫌悪学習でも(1)匂いと電気ショックは同時に与えられる必要があり、(2)条件付け後も電気ショックに対する忌避性が変化することはない。また(3)匂い嫌悪学習記憶は数時間以上保持されるが、条件付けに用いた匂いを繰り返しハエに与えると記憶の消去が起きる。この増強はAL-MB間のシナプス伝達の亢進に依るものであり、以上の特徴からハエの匂い嫌悪学習の細胞学的モデルであると考え、これを海馬のLTP、アメフラシのLTFに倣って、long-term enhancement(LTE)と呼んでいる。

2.LTEのシナプス機構
匂い嫌悪学習において重要な働きをすると考えられている神経伝達物質受容体が1型ドーパミン受容体(D1R、ハエ遺伝子名DopR)とNMDA型グルタミン酸受容体(NR、ハエ遺伝子名dNR)である。我々はこれらの受容体がLTE形成においてどのような機能をするのかを解析した。これまでの行動実験解析から、D1Rが電気ショックをキノコ体に伝えるのではないかと考えられている。しかしD1Rを欠損したハエにおいてAFV刺激に対するキノコ体の応答性を測定したところ、AFV刺激に対するキノコ体のCa2+応答性はD1R変異体では正常であった。一方、NRの阻害剤を投与するとAFV刺激に対するキノコ体神経応答性は顕著に阻害された。では、LTE形成そのものにNRとD1Rは必要なのだろうか。ALとAFVの同時刺激時にそれぞれの受容体に対する阻害剤を投与すると、いずれの場合もLTE形成は阻害された。D1Rにおいては変異体を用いても同様の結果が得られた。ALとAFVを同時刺激することがLTE形成に必須であることと併せて、nAChR、NRおよびD1Rが活性化されることがLTE形成に必要であることが明らかとなった (Ueno et al., 2012)。

今後の展開
これまで、ハエの学習記憶研究は行動学もしくは分子遺伝学的解析による知見が主であり、その間にある細胞性物学的な知見が不十分であった。本研究による単離脳のキノコ体神経可塑性は、匂い嫌悪学習とも良く類似しており、行動と遺伝子を繋ぐ解析系になると期待される。
 単離脳LTEの解析から、今回は電気ショック情報がD1Rだけでなく、NRによっても伝達されるのではないかということを示唆した。一方、D1Rは神経活動を介さずにキノコ体へと情報を伝達し(おそらくはGタンパクを介したcAMP情報伝達経路)、キノコ体の可塑的変化を引き起こしていると考えられる。しかし、実際にAFVからの刺激がD1R活性化に必要十分なのかということは不明である。また図に示したように、nAChRs、NRおよびD1Rの活性化がLTE形成に必須であるとすれば、どのような分子がこの3つの活性化を検知できるのだろうか。それとも、もっと時間分解能の高い解析を行えば、3つの受容体の活性化には順序があることが見出されるのだろうか。現在我々はイメージング解析技術を駆使して、これらの問題に挑戦中である。



図  単離脳キノコ体における神経可塑性
上段:ハエ中枢神経系の模式図。匂い受容器であるantennaから受容細胞がantennal lobe(AL)へと情報を送り、ALからprojection neurons(PNs)によってキノコ体(緑部分)のcalyxへと情報が伝達される。興奮したキノコ体はさらにlobeと呼ばれるneuropileへと情報が伝達される。電気ショックなどにより興奮したventral nerve code(VNC)はascending fiberによって脳へと情報を伝える。現在では、匂い嫌悪学習時の電気ショック情報は最終的にPPL1と呼ばれるドパミン作動性ニューロンクラスタによってキノコ体へと伝えられると考えられている。
中段:蛍光写真はそれぞれの刺激直後におけるlobeでのCa2+応答を疑似カラーで示し、模式図は刺激の方法を示している。単離した脳のALをガラス電極で刺激するとキノコ体のlobeでCa2+応答が観察される(左)。ALと同時にAFVも刺激すると強いCa2+応答が観察され(中)、その15分後に再びALだけを刺激すると、以前よりも強い応答性が観察される(右)。
下段:今回の研究により推定されるキノコ体ニューロン(緑部分)での可塑的変化の分子経路。AL刺激によりnAChRsが活性化し、陽イオンが流入する。AFV刺激ではNRが活性化し、Ca2+が流入する。AFV刺激は同時にD1Rも活性化すると考えられ、D1RはGタンパクを介して細胞内情報伝達経路を活性化する。これらの3つの反応により、LTEが形成される。



Quinn, W.G., Harris, W.A., and Benzer, S. (1974). Conditioned behavior in Drosophila melanogaster. Proc Natl Acad Sci U S A 71, 708-712.
Ueno, K., Naganos, S., Hirano, Y., Horiuchi, J., and Saitoe, M. (2012). Long-term enhancement of synaptic transmission between antennal lobe and mushroom body in cultured Drosophila brain. J Physiol.
Wang, Y., Mamiya, A., Chiang, A.S., and Zhong, Y. (2008). Imaging of an early memory trace in the Drosophila mushroom body. J Neurosci 28, 4368-4376.
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