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ショウジョウバエにおいて軽度の空腹状態は長期記憶形成を促進する
文責 平野恭敬/齊藤 実

動物は経験した事柄を記憶することで、生存に有利な行動をとることができる。記憶は、1時間程度持続する短期記憶から、1日以上持続する長期記憶に固定化される1)。この過程にはcAMP応答性転写因子であるCREBによる新規遺伝子発現が重要な役割を果たしている。このような長期記憶のメカニズムは、線虫、ショウジョウバエから哺乳類まで共通している2)。これまでの研究から記憶のメカニズムが明らかにされつつあるが、日常生活を困難にさせるような先天的記憶障害や、アルツハイマー病や老化に起因する後天的記憶障害を効果的に改善する方法は、いまだ確立されていないのが現状だ。今回我々は、ショウジョウバエをモデル生物として用い、軽度の空腹状態が長期記憶形成を促進することを見出した3)
空腹による長期記憶形成の促進
我々は、過去のショウジョウバエの長期記憶研究について、次のような謎に着目した。ハエに匂いと電気ショックを同時に与えると(嫌悪学習)、その匂いから逃げるようになる。嫌悪の記憶が長期記憶に固定化されるためには、1回だけの学習では不十分で、15分間隔で復習させる必要がある4)。一方、ハエに匂いと砂糖水を同時に与えると、ハエはその匂いが好きになる(報酬記憶)。不思議なことに、報酬記憶は1回の学習でも長期記憶になることがわかっていた5)。報酬の長期記憶が1回の学習でも作られる原因として、嫌悪と報酬の神経回路の違いや神経伝達物質の違いが考えられる。しかし特筆すべき違いは、報酬学習前には、効率的に砂糖水を飲ませるため、ハエを空腹状態にすることだ。我々は、この空腹状態こそが1回だけの学習でも長期記憶が形成される要因なのではないかと考えた。
もし空腹状態が長期記憶を作るために重要なら、空腹状態にしたハエに嫌悪学習をさせれば、1回の学習でも長期記憶ができるだろう。ハエを9時間から16時間絶食させたのちに1回だけ嫌悪学習させると、1日後の記憶が促進されることを発見した(図1A)。この記憶促進はタンパク合成阻害剤、およびCREB阻害により抑制されたことから、長期記憶であることが分かった(図1B、C)。


図1 軽度の空腹状態は長期記憶形成を促進する
(A)9時間から16時間の絶食は、1回の嫌悪学習後の1日記憶を促進した。(B)タンパク合成阻害剤(シクロヘキシミド;CHX)の摂取は、絶食による記憶促進を阻害した。(C)ハエの記憶中枢であるキノコ体(MB;mushroom body)での、抑制型CREBアイソフォームCREB2bの発現は、絶食による記憶促進を阻害した。MBswはMBで遺伝子発現誘導するGAL4ドライバーである



CBP依存性とCRTC依存性の長期記憶形成機構
CREBはその結合タンパクであるCBP、またはCRTCというタンパクと結合することで活性化する6)。そこで、CBPとCRTCをノックダウンしたところ、空腹時の1回の学習による長期記憶にはCRTCが重要であること、その一方、満腹時の複数回の学習による長期記憶にはCBPが重要であることを見出した(図2A,B)。
過去の代謝組織における研究から、CRTCは満腹時ではリン酸化されることで細胞質に分画されるが、空腹時には脱リン酸化されることで核に移行し、CREBを活性化させることが分かっていた6)。この知見と同様、記憶中枢の神経細胞において、CRTCは絶食により細胞核に移行する事がわかった(図2C)。ではCRTCを核移行させれば記憶が促進されるのか?これを確かめるため、強制的に核に移行するCRTCのリン酸化サイト置換変異タンパク(CRTC-SA;図2C)7)を発現させたところ、絶食なしでも1日記憶が促進された。従って、空腹による長期記憶の促進には、CRTCの活性化が必要十分であることがわかった。空腹時には血糖値が低下し、その結果、インスリンの分泌が低下する。これまでの代謝組織における研究で、CRTCはインスリン低下により活性化することが示唆されていた6)。実際インスリン活性を遺伝的に低下させると、満腹状態でも1回の学習でCRTC依存的に長期記憶が形成された(図2D)。
以上より、軽度の空腹状態はインスリン活性を低下させることでCRTCを活性化し、その結果1回の学習でも長期記憶形成を可能にすることが分かった(図2E)。この発見が記憶障害の改善において重要な一歩となることを期待している。過度の空腹により飢餓状態に陥ると、嫌悪性長期記憶は形成されない(図1A)8)。従って空腹状態の調節が重要であるが、CRTCの活性化を人為的に制御できるようになれば、空腹状態とは関係なく記憶が改善できるだろう。今後、脳内CRTCの活性化メカニズムを詳細に解析し、CRTC活性化の薬理操作の確立することを強く期待する。


図2 軽度の空腹状態は長期記憶形成を促進する
(A)絶食による記憶促進は、MBでのCRTCノックダウン(CRTC-IR)により阻害された。(B)複数回の学習による長期記憶は、MBでのCBPノックダウンにより阻害された。(C)MBで発現させた、HAタグをもつCRTC(CRTC-HA)は、空腹時のみ核に移行した(上)。リン酸化サイト置換変異タンパクのCRTC-SA-HAは絶食なしでも核に局在した(下左)。インスリン経路に必須であるchico遺伝子の変異体では絶食なしでもCRTCが核に局在した(下右)。(D)MBでCRTC-SAを発現させると絶食なしでも1日記憶が促進された。(E)chico変異は絶食なしでも1日記憶が促進し、その記憶促進はMBでのCRTCノックダウンにより阻害された。(F)複数回の学習におけるCREB/CBP依存的な長期記憶とは異なり、絶食はインスリン低下を介したCREB/CRTC経路の活性化により長期記憶形成を促進する。



文献
1) McGaugh JL: Science (2000) 14: 248-251.
2) Lonze, B. E, et al: Neuron (2002) 35; 605-623.
3) Hirano Y, et al: Science (2013) in press.
4) Tully T, et al: Cell (1994)79: 35-47.
5) Krashes M. J, at al : J Neurosci (2008) 28, 3103-3013.
6) Altarejos J. Y, et al: Nat Rev Mol Cell Biol. (2011)12: 141-151.
7) Wang B, et al., Cell Metab. (2008) 7: 434-444
8) Placais et al: Science (2013) 339: 443-6.

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