ゲノム医学研究センター

川路 英哉 副センター長が解説します。

Hideya KAWAJI

Vice Director

kawaji

ゲノム医学研究センター

川路 英哉 副センター長が解説します。

Hideya KAWAJI

Vice Director

どんなことに役立つの?

kawaji

ヒトのゲノムにはまだたくさんの謎が残っています。2万個の遺伝子が存在する領域は限られており、ゲノム全体の約1%。残りの99%は何をしているのか。そのこと自体がとても面白い謎です。この謎を解くことは、原因のよくわかっていない病気が起きる仕組みの理解や、新しい治療法の開発にも重要な役割を果たします。

ヒトゲノム研究の最前線

ヒトゲノムは遺伝子以外の部分が99%
その役割がまだよくわかっていない

 

—— ヒトゲノムの何がわかって、何がわかっていないのですか?

川路ヒトの体の中では、機械のような働きを持つ分子であるタンパク質が大活躍しています。タンパク質は細胞の中で合成されますが、そこではゲノム*の一部が設計図として使われます。タンパク質の設計図にあたる領域を遺伝子*といいます。「ヒトゲノムのDNAはいったいどんな塩基配列が並んでいるのか解読しよう!」と世界中の研究者が必死になって取り組み、2000年頃にはその塩基配列の並びがほぼ明らかにされました。その結果、どのようなタンパク質が生成されるのか、どんな塩基配列がもとになっているのかが続々と明らかにされたのです。そこで思いがけないことに遺伝子はヒトゲノム全体の約1%にしか存在しないことが判明したのです。残り99%の役割や働きについては、それがまだよくわかっていません。

*ゲノム:
ある個体が持つ遺伝情報のすべて。DNAの塩基配列として存在する。
*遺伝子:
タンパク質を形作るための設計図。その本体となる物質がDNAで、A(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)の4つの塩基の配列からなる。

—— 99%が未知のまま!?

川路そうなんです。かつて未知の領域は役に立たないものとして「ジャンク(ゴミ)」と呼ばれることもありました。でも、これらの中には、遺伝子の「スイッチ」のような働きをする領域、つまり遺伝子発現制御領域*があることもわかっています。スイッチが入ると、遺伝子という設計図を使ったタンパク質合成へとつながる最初の段階がスタートするわけです。設計図の内容も重要ですが、それをいつ使うかも同じぐらい重要になります。

ゲノムの塩基配列の違いが病気の引き金になることがあるのですが、そのような違いは遺伝子領域に存在することもあれば、遺伝子発現調節領域に存在することもあります。遺伝子については研究が進んでいてゲノム上での位置などがよくわかっている一方、遺伝子発現調節領域はまだよくわかっていないことが多いのです。当センターではこれらの遺伝子発現調節領域の解明や塩基ごと、分子ごと、細胞ごとに異なる発現の仕組みを理解する研究を進めています。

*遺伝子発現調節領域:
細胞がタンパク質やRNA*の合成を増加させたり減少させたりといった遺伝子発現のための非常に高度なプログラムの実行がなされる、遺伝子の「スイッチ」のような働きをするゲノム領域。
ヒトの体は約37兆個の細胞で構成されている
ヒトの体は約37兆個の細胞で構成されている。遺伝情報のすべてであるゲノムは約30億の塩基対からなるDNAであり、タンパク質の設計図にあたる遺伝子はその一部の領域である。役割も形も違う細胞を形成するためには、それぞれに異なるタンパク質が必要になるため、必要なタンパク質を必要な細胞で作るために遺伝子のスイッチが配置されている。タンパク質の役割は大変幅広く身近な感覚で例えるなら、毎日使うはさみやペンだったり、机の上に飾ったオブジェのようにとらえようのないものだったり実にさまざま。遺伝子はヒトゲノムの1%を占めており、残り99%についての役割や働きについては、まだよくわかっていない。
生物学とデータ科学の融合

ゲノムの機能を理解するために、
コンピュータを活用

 

—— ゲノム医学研究センターにはいろいろな分野の研究者が集まっているようですね。

川路当センターは、主に遺伝子の発現(転写)や転写制御を中心に、生物をゲノムの視点から理解する研究を進めています。実験によって測定する技術はとても大切ですが、そこで得られたデータをコンピュータで解析するバイオインフォマティクスも同じように重要です。私たちは、その両方の技術を用いて研究を進めています。

私自身はコンピュータ・サイエンスの出身です。大学生のときには、生物学と縁がなかったのですが、面白そうだと思ってゲノム科学の分野で研究をするようになりました。研究ではコンピュータを使った解析を行っていますが、DNAやRNA*を測定する実験技術の工夫を生物学の専門家と一緒に考えるのも楽しいです。

*RNA:
DNAが2本の鎖であるのに対してRNAは1本の鎖で、DNAのうちの1本とほとんど同じ塩基配列を持つ。A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)はDNAと共通で、RNAにはT(チミン)の代わりにU(ウラシル)が含まれる。

—— 研究には実験だけでなくコンピュータも使うということですが、どのような使い方をするのですか。

川路病気の研究ならば、発症している人のデータと、発症していない人のデータを比べたりすることが不可欠です。ヒトのゲノムは約30億の塩基対*で構成されているのでその測定結果も膨大ですし、生物を相手にした測定は結構データにばらつきがみられます。こういったデータを解析するときにコンピュータを使った計算が必要になります。データのばらつきの謎を解き明かすために条件を変えた計算をしたり、新しい視点から比べるために自分でプログラムを作ったり、関連しそうな他のデータベースと比較したり、といったことを行います。たくさんのデータの中から、鍵となる塩基配列やスイッチのオン・オフの変化をあぶり出すような工夫を重ねていくのです。

*塩基対:
二重らせんが安定化する駆動力となる、核酸の2つが対合したもの。
kawaji
これからのゲノム医学研究

ゲノム・リテラシーの向上と核酸医薬への道を拓く

 

—— データベースを使うのですか?

川路ゲノム科学において、研究者が見いだした発見はもちろん論文として発表されていきますが、研究で得た膨大な測定データのすべてを論文に掲載することはできません。発見の基礎となった測定データやそれをまとめたものがデータベースになっていると、新しい研究で得た実験結果は過去に発表された発見と同じなのか、どう違うのか、どのような関わりを持つのか、といった比較解析が可能になります。また、測定したい遺伝子の塩基配列や発見された遺伝子スイッチの場所、病気と関連するゲノム配列の個人差といったデータは研究の計画段階においても欠かせません。論文と同じぐらいデータベースは活用されますし、ゲノム科学の飛躍的な進歩はデータベースによって支えられた部分も大きいと思います。いま医学分野では、RNAやmRNA*など従来の医薬品ではねらえない細胞内の標的分子をターゲットにする核酸医薬が注目されていますが、こういった創薬においてもきちんとしたデータベースは重要なのです。

*mRNA(メッセンジャーRNA):
細胞中でタンパク質合成をするためにDNAの情報を伝える役割をするRNA。
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—— ゲノム医学研究が進むと、私たちにはどんなメリットがあるのでしょうか?

川路この20年ぐらいの間にゲノム塩基配列の並びを決定するスピードが大幅に向上し、私たち自身のゲノムデータを取得することも技術的には十分可能になりました。これを利用することで、将来の病気の発症確率を予測したり、これにもとづいて治療を早期に始めたりといったことも一部の病気については既にできるようになっています。

一方、これまでお話ししたように、ゲノムについて私たちが理解できている範囲はほんの一握りであり、すべて予測できるわけではありません。ゲノムデータの活用は今後、医学のいろいろな場面で進んでいくと思いますが、そのベースにあるゲノム科学のリテラシー(読解記述力)は将来、誰にとっても重要なものになるでしょう。私たちの研究はそれを進めるための基礎研究でもあるのです。

ヒトゲノムの解析が進み、自分のゲノムデータを取得することが可能な時代へ突入している
ヒトゲノムの解析が進み、自分のゲノムデータを取得することが可能な時代へ突入している。