2021年11月11日
「睡眠プロジェクトの平井志伸主任研究員、岡戸晴生シニア研究員らは、「精神疾患の新たなリスク要因(砂糖の過剰摂取)と表現型(脳毛細血管障害)を発見」について発表しました。
睡眠プロジェクトの平井志伸主任研究員、岡戸晴生シニア研究員らは、思春期における砂糖の過剰摂取が、精神疾患(今回の研究では統合失調症と双極性障害を指す)発症の新たな環境リスク要因となりうることについて、新たなモデルマウスを作製し、解析することで明らかにしました。また、このマウスを用いて検証することで、精神疾患では、脳の血管から脳内へのグルコースの取り込みに障害が生じている可能性を見出し、毛細血管に関しては、患者さんの死後脳でもその障害の存在が確認できました。
精神疾患の新たなリスク要因(砂糖の過剰摂取)と表現型(脳毛細血管障害)を発見
統合失調症*1)や双極性障害*2)は、若いうちに発症することが多く、また、再発しやすい疾患です。これらの発症機序はよくわかっていないため、予防法や治療法が確立していません。様々な遺伝による要因の他にも、環境による要因も考えられていますが、脳の機能を損なう原因は判明していないことから、予防法や治療法の確立が強く望まれています。
今回、精神疾患の発症が多く見られる思春期における栄養環境に着目し、新たなモデルマウスを作製し、解析することで、以下の4点を明らかにしました。(図1)
- ① 精神疾患に対する遺伝的な脆弱性を抱えていた場合に、思春期に砂糖を過剰摂取すると、精神疾患に似た様々な症状を呈することを明らかにしました。
- ② 脳の毛細血管の障害という精神疾患の新たな表現型を見出しました。
- ③ 統合失調症や双極性障害の患者さんの死後脳とモデルマウスの脳を比較したところ、同じような毛細血管の障害があることを見出しました。
- ④ 血中から脳内へのグルコースの取り込み機能が低下していることを見出しました。
これらの成果は、精神疾患発症の背景に、脳の血管障害に起因した栄養素を取り込む機能の低下といった代謝障害が存在する可能性を示唆しており、今後、神経伝達物質の受容体やトランスポータに対する創薬だけでなく、代謝制御といった新たな観点からの予防法や治療法の開発が見込まれます。
発表のポイント
- 思春期における砂糖の過剰摂取が、精神疾患発症の新たな環境要因となりうることを発見しました。
- モデルマウスと患者さんの死後脳を比較し、脳の毛細血管障害が新たな精神疾患の所見となることを見出しました。
- 血中から脳実質へのグルコースの取り込み機能の障害が、精神疾患で生じている可能性を見出しました。
- 上記の発見から、精神疾患が発症する背景に代謝障害が存在することが考えられ、新たな予防法や治療法の開発につながる可能性があります。
研究の背景
統合失調症や双極性障害等の精神疾患は、若いうちに発症することが多く、また、再発しやすい疾患で、複数の遺伝的要因と環境要因が重なり合って発症すると考えられています。このため、発症機序の特定が難しく、予防法や治療法が確立していません。特に統合失調症は、生涯を通じて病態の進行が続くケースも多く、予防法や治療法の確立が強く望まれています。
今回、①精神疾患の患者は健常者よりも過剰に砂糖等の糖質*3)を摂取する、②砂糖をより過剰に摂取する統合失調症患者の予後が悪い等の報告から、精神疾患の発症と糖の代謝障害の関連を疑い、「思春期における砂糖の摂取過多」という栄養環境をもとにした新しい精神疾患のモデルマウスを作り出す着想を得ました。
統合失調症や双極性障害等の精神疾患は、「シナプス病」とも呼ばれ、脳の神経細胞のネットワークに異常があることが強く示唆されるため、長年、シナプス関連遺伝子や神経細胞機能にターゲットを絞った研究が行われてきました。私たちは、脳の毛細血管の内皮細胞を含めたミクログリア*4)、アストロサイト*5)等の神経細胞ではない細胞の障害(糖代謝異常、炎症)に起因した、脳内のエネルギー不足が神経細胞の機能を低下させるという仮説を提唱しました。この仮説は、遺伝的に神経細胞に直接的な障害がない場合でも精神疾患が発症するメカニズムの解明の一旦になると考えます。
研究の内容
思春期における砂糖(グルコース(ブドウ糖)とフルクトース(果糖)からなる二糖)の過剰摂取は、背景に遺伝的なリスクを伴った場合には、成長後の脳機能に影響を与えることをモデルマウスにより実証しました。つまり、栄養環境による要因と遺伝による素因が重なると、精神疾患に似た症状を呈するマウスになりました。作出したモデルマウスは、精神疾患に似た行動、神経細胞の機能障害、組織学的な表現型等が見られます。コントロール食として用いたデンプン含有食(グルコースのみが重合)では、野生型のマウスでも、遺伝的な脆弱性を有するマウスでも、顕著な異常は表出しなかったことから、砂糖や異性化糖*3)等の糖質を構成するフルクトース、もしくは、フルクトースとグルコースを同時に思春期に多量に摂取することが、脳機能不全の原因と考えられます。
また、作出したモデルマウスを詳細に検証したところ、脳の毛細血管の内皮細胞、ミクログリア、アストロサイト等の神経細胞ではない細胞に異常が見られました(糖代謝異常、炎症の所見)。また、モデルマウスでは血中から脳実質へのグルコースの輸送機能が障害されていることも見出しました。発症前から、抗炎症剤の一種であるアスピリン*6)を低濃度で継続的に投与しておくと血管障害が抑制され、グルコースの取り込み機能の障害や幾つかの異常行動も防ぐことができました。この結果により、上記の神経細胞ではない細胞の障害に伴う脳のエネルギー不足が、行動異常につながる神経細胞の不調を招いたと推察されます。
最後に、実際の患者さんにおいては脳の毛細血管障害の存在が報告されていなかったため、統合失調症及び双極性障害の患者さんの死後脳を用いて検証したところ、作出したモデルマウスと同様の所見を見出しました。注目すべきは、集めた患者さんの死後脳は、必ずしも砂糖の過剰摂取の記録を有するわけではなく、様々なストレス環境下で疾患を発症しているため、それらのストレスにより血管障害を引き起こしている可能性を見出したということです。近年、社会敗北ストレスや母子分離、ウイルス感染モデル動物において、脳の毛細血管障害が生じることが、次々と報告されています。これらのストレスは精神疾患の環境リスク要因とも重なるため、今回見出された脳の毛細血管障害と精神疾患との関連性が、今後さらに検証すべき重要な課題であることが推察され、血管障害の改善により予防や治療が少しでも可能になることが期待されます。
新たなモデルマウスを作製し、解析することで明らかにした主な研究成果は以下の4点です。
- ① 精神疾患に対する遺伝的な脆弱性を抱えていた場合に、思春期に砂糖を過剰摂取すると、精神疾患に似た様々な症状を呈することを明らかにしました。
- ② 脳の毛細血管の障害という精神疾患の新たな表現型を見出しました。
- ③ 統合失調症や双極性障害の患者さんの死後脳とモデルマウスの脳を比較したところ、同じような毛細血管の障害があることを見出しました。
- ④ 血中から脳内へのグルコースの取り込み機能が低下していることを見出しました。
社会的意義・今後の展望
統合失調症の特効薬であるクロザピンはドーパミン受容体阻害効果が弱く、糖代謝や免疫系に作用を有することからも、今回の仮説は、臨床の現場でも支持されると考えられます。今後、脳の毛細血管障害の画像解析手法の開発、治療薬の開発によって、この仮説の検証が強く求められます。
今回の研究では砂糖に着目しましたが、同じ構成成分である異性化糖の過剰摂取にも注意が必要と考えられます。健康に配慮した甘味料の摂取方法が普及していくことが期待されます。
用語説明
- *1)統合失調症:
- 思春期に発症することの多い精神疾患で、人口の1%ほどが罹患します。幻聴を主体とした幻覚と妄想等の陽性症状、意欲減退、活動性の低下等の陰性症状に加えて、ワーキングメモリー低下等の認知機能障害が認められます。今回の研究で用いたアリピプラゾール等の抗精神病薬が治療に用いられます。
- *2)双極性障害:
- 思春期に発症することの多い精神障害で、人口の1ほどが罹患します。うつ状態と躁状態を繰り返し、重篤な場合、妄想が出現します。最近、認知機能障害が基本となる症状の1つであると考えられるようになってきました。気分安定薬の他、今回の研究で用いたアリピプラゾール等の抗精神病薬が治療に用いられます。
- *3)糖質:
- 糖質は、複合糖質と単純糖質に分けられ、グルコース、フルクトース、砂糖と異性化糖は単純糖質に含まれます。異性化糖は、グルコースの一部を酵素かアルカリによって異性体であるフルクトースに変換(異性化)して得られるグルコースとフルクトースの混合物であり、日本の食品の原材料名でよく果糖、ブドウ糖、液糖等と表記されます。1970年代より、砂糖の代わりに甘味料として広く使われています。一方、複合糖質は、今回の研究でコントロール食として使用した多糖類(でん粉等)を含みます。
- *4)ミクログリア:
- 脳内の免疫系の細胞で、不要な老廃物や細胞を貪食します。近年、2割程度のミクログリアは血管と接して存在することが報告され、その意義が検証されつつあります。
- *5)アストロサイト:
- 脳の血管と共に血液脳関門を機能的に形成し、ニューロンへの栄養の運搬、ニューロンからの老廃物の除去等、ニューロン機能を支えるグリア細胞の一種です。その数はニューロンの10倍以上になります。
- *6)アスピリン:
- アセチルサリチル酸メチルのことで、非ステロイド型抗炎症剤として、抗炎症作用、解熱、鎮痛作用を示します。低用量では血小板活性化阻害作用があり、血栓予防効果を示します。
- *7)Glo1:
- Glyoxylase-1 (Glo1) 遺伝子は、グルタチオンを利用し、終末糖化産物の元になるメチルグリオキサールを乳酸合成の方へと代謝経路を変換させる酵素です。糖尿病や精神疾患(統合失調症、双極性障害、大うつ病)患者において、その発現や活性が低下していることが報告されています。
- *8)パルブアルブミン陽性抑制性GABAニューロン(PV陽性ニューロン)不全:
- 近年、統合失調症や双極性障害において、このニューロンの機能障害と認知機能との相関が次々に明らかとなり注目されています。このニューロンが活動すると、下流のニューロンの活動が適宜抑制され、その抑制のリズムと同じ周波数の脳波が検出されます。
- *9)DISC1:
- Disrupted In Schizophrenia-1(DISC1)遺伝子は、大脳新皮質や海馬の神経発達、シナプス制御に関わる多くの遺伝子と結合し働くことが知られています。元々、スコットランドの精神疾患多発家系(統合失調症、双極性障害、大うつ病)から見出されました。Disc1変異マウスは、様々な環境要因と組み合わせることで、精神疾患モデルマウスとして利用されています。
- *10)フィブリン:
- 肝臓で産生され、血液中に流れているフィブリノーゲンが分解されフィブリンとなり、血小板とともに重合し、止血や血栓形成に中心的な役割を持っています。物理的な障害だけでなく、感染、慢性炎症等といった様々な異常状況において血管内皮細胞に蓄積するため、血管内皮細胞の障害マーカーとなると考えられています。
- *11)終末糖化産物:
- Advanced glycation end products(AGEs)のこと。AGEは糖等のカルボニル基を有する化合物とタンパク質等が有するアミノ基が、非酵素学的に反応し形成されます。文字通りこれ以上分解も反応もしない化合物で、生体には異物と判断され、炎症反応の起点となることがあります。細胞内で生成されるAGEsとしては、特に糖代謝中間体に由来するグリセルアルデヒドやメチルグリオキサール由来のAGEsがあり、疾患(精神疾患、糖尿病性合併症、動脈硬化、神経変性疾患等)の発症や進展に関わっていると考えられています。