行動科学的解析関連施設


親子兄弟が似た行動パターンをとることなどから、遺伝子が行動に大きく影響することは容易に想像がつきます。 遺伝的に特異的な行動を示すヒトや動物に注目して「行動から遺伝子へ」と向かう解析の方向に対して、最近ではゲノム科学の急速な進展により「遺伝子から行動へ」と向かうリバースジェネティクスと言われる研究方法が登場してきました。 これは、遺伝子に人工的な変異を加えたマウスの行動を解析することで、遺伝子と行動との関係を明らかにする方法です。 遺伝子変異マウスはいろいろな方法によって作出されています。 以下に、作出される遺伝子変異マウスの種類を簡単に紹介します。


遺伝子変異マウスの種類

  1. 天然の突然変異マウス
    人為的な遺伝子操作を受けないで、遺伝子に突然変異を起こしたマウス。
  2. 変異誘発による突然変異動物
    薬剤や放射線によって、遺伝子に突然変異を起こさせたマウス。
  3. トランスジェニックマウス(外来遺伝子挿入)
    外来遺伝子を染色体にランダムに導入し、その遺伝子がコードするタンパク質を過剰に発現させたマウス。
  4. ノックアウトマウス
    特定の遺伝子の配列を変えて、その遺伝子の機能を欠損させたマウス。
  5. ノックインマウス
    外来性あるいは合成した塩基配列を特定の遺伝子に導入し、異なる機能の遺伝子に置き換えたマウス。
  6. 次世代型ノックアウトマウス
    脳の発達における特定の時期、あるいは、特定の脳の領域において特定の遺伝子を発現させたり欠損させたマウス。
  7. 特異的細胞欠損マウス
    遺伝子操作と薬剤投与により、特定の種類の細胞を欠損させたマウス。

このようにして作出された遺伝子変異マウスが「疾患モデル」としての妥当性を備えていることを、以下の視点から確認します。「疾患モデル」としての妥当性を備えたマウスは、病因の解明や新しい治療法を開発する研究に使用されます。

疾患モデルとしての妥当性の検討

  • 行動の類似性(表面妥当性)
  • 共通の発現機序(構成概念妥当性)
  • 薬物反応の特異性、力価の類似性(予測妥当性)

薬物依存のメカニズムを研究するときに使用する行動科学的解析方法

疾患モデルとしての妥当性の検討や、病因の解明や新しい治療法を開発する研究に用いている行動科学的解析方法の一部を紹介します。


精神依存の形成と渇望感の発生に関連するメカニズムの解析


ヒトで依存性を持つ薬物のほとんどが、マウスやラットでも起こることから、ヒトとこれらの動物とで薬物依存のメカニズムはほとんど共通すると考えられています。 依存性物質プロジェクトでは、薬物依存の基礎メカニズムの解明と治療薬の開発の研究にマウスを使用しています。 さまざまな遺伝子変異マウスを用いて、精神依存の形成や再使用につながる渇望感の発生に関連する分子メカニズムの解明に取り組んでいます。

マウスを用いた精神依存の行動科学的な研究は、薬物摂取行動や報酬効果の解析によって行われます。 薬物の精神依存形成能を評価する最も信頼性の高い方法は静脈内に留置したカニューレを介した薬物自己投与法による薬物摂取行動の解析とされ、精神依存形成能を有する薬物の場合には薬物投与に関連付けられた「レバー押し」や「穴のぞき」等の自己投与行動の回数が多くなります。

一方、薬物の精神依存形成能をその報酬効果から予測する方法として条件付け場所嗜好性試験(Conditioned Place Preference, CPP法)があります。 CPP法は薬物が引き起こす報酬効果と装置の環境刺激とを関連付ける方法として開発されました。 CPP装置には白と黒の部屋があり、マウスは薬物の報酬効果が得られた方の部屋に滞在する時間が増えます CPP法の結果と薬物自己投与法との結果がよく対応することから、精神依存形成能を薬物の報酬効果から予測することが可能であると考えられています。


薬物自己投与装置


快情動のメカニズムの解析


快と不快はヒトやマウスが行動を決定する上で根本的な役割を担っています。 マウスは、快感や喜び(快情動)を感じるものには接近し、苦痛や恐れなどを感じるものからは回避しようとします。

1954年Olds と Milnerは、快情動行動の表出を調節する中枢が脳内に存在することを発見しました。 内側前脳束と呼ばれる視床下部の外側を通る神経の束に刺激電極を植え込んで、自分でこの脳部位を刺激できるようにすると、ラットは1時間に1万回以上もの自己刺激行動を行うことを見出しました。

我々の脳内自己刺激装置では、マウスが「穴のぞき行動」をすると視床下部外側野に電気刺激(報酬)が加えられるようにしています。 「穴のぞき行動」をすると報酬が得られることを学習したマウスは、長時間に渡って「穴のぞき行動」を繰り返します。 電気刺激を得るために必要な「穴のぞき行動」の回数を徐々に増やしていくことで、報酬への固執を定量化することができます 依存性薬物には、「穴のぞき行動」を増強する薬物と抑制する薬物があります。 さまざまな遺伝子変異マウスと依存性薬物を組み合わせて行う行動薬理学的実験によって快情動のメカニズムの解析に取り組んでいます。


脳内自己刺激装置

神経伝達物質の連続測定


薬物依存や快情動のメカニズムの解析には、行動変化と同時に神経伝達物質の増減を連続して測定することが必要です。 我々はこの目的のために、高速液体クロマトグラフと電気化学的検出器を組み合わせることで極めて微量な神経伝達物質を定量できる装置に、先端部が透析膜で覆われた非常に細いプローブ内に神経伝達物質を回収する装置を組み合わせたマイクロダイアリシス装置を使用しています マイクロダイアリシス装置によって、目的の脳内組織に挿入されたプローブから回収される神経伝達物質を、一定間隔で連続測定することができます。 このようにして行われる行動と神経伝達物質の経時的変化の解析から、薬物依存や快情動のメカニズムの解明に取り組んでいます。


マイクロダイアリシス装置

不快状態からの逃避行動


不快状態からの逃避行動は、テールサスペンション装置で定量します。 尻尾でぶら下げられた状態から逃れようとするマウスの行動は圧力センサーで検出されます。 マウスの逃避行動は圧力センサーからの起電力の変化として出力されます。 出力された起電力の変化から、活動状態と無動状態を解析します 抗うつ薬による無動時間の減少が、抗うつ効果と関連することが知られています。 また、覚醒剤やメチルフェニデート等の中枢神経刺激薬は、活動時間の増加を引き起こします。


テールサスペンション装置

新奇環境下での活動量


マウスの活動量はSuperMex装置で測定します。 SuperMex装置では、赤外線センサーがマウスから発せられる赤外線をごく短い間隔で測定し続けることで、マウスの動きを赤外線量の変化として定量化します 赤外線センサーの前に赤外線透過率の異なるフィルターを設置することで、僅かな動きによる赤外線量の変化を取り除くことができます。 毛繕いや立ち上がりによる赤外線量の変化を取り除き、移所運動だけを定量することもできます。


SuperMex装置

不快刺激からの回避学習


不快刺激からの回避学習行動の解析には、能動回避試験装置を用いています。 装置の両端にはランプが、装置の天板中央には小型スピーカーが設置されています。 両端のランプの中央、小型スピーカーの下にはマウスが通ることができる仕切り板があり、領域を二分しています。 マウスを装置に入れて一定時間経過後、「予告シグナル」としてマウスが滞在する側のランプが点灯し警告音が発せられます。 「予告シグナル」が消えた直後に、床のグリッドから足に弱い電気刺激を与えます マウスは「予告シグナル」を頼りに反対側の移動することで電気刺激を回避することができます。 回避の成績は、訓練回数と共に向上していきます。


能動回避試験装置

痛みの行動解析


痛み刺激は生体を維持していくための重要なシグナルであると同時に、非常に強い不快刺激でもあります 刺激に対する痛み感覚や鎮痛薬の効果には、個人差があることが知られています。 当研究室では、さまざまな遺伝子変異マウスの痛み閾値や鎮痛薬の効果を解析するために、3種類の痛み刺激負荷装置を使用しています。


テイル・フリック試験装置

マウスの尾に投射熱刺激を加えて、掉尾(ちょうび)反射を指標として、侵害反射の潜時を測定します。 潜時は痛みを感じるまでの時間になります。


ホット・プレート試験装置

上位中枢に制御される痛覚反応の解析に用います 一定温度に保たれたプレート上での、疼痛関連行動: 1)足をなめる 2)立ち上がる 3)ジャンプするまでの潜時を測定します。潜時は痛みを感じるまでの時間になります。


ランダル・セリット試験装置

後肢に一定の速度で連続的に増加する圧を与えて、足をどけるまでの時間(逃避閾値)を測定します。当研究室では、マウスの尻尾で測定するために先端部を平坦に改造しています。


社会性行動の解析


遺伝子改変で作出されたマウスの社会性行動は、ソーシャル・インターラクション試験によって解析しています。 2固体のマウスを一定時間ケージに入れて、その間のにおい嗅ぎ行動、攻撃行動、毛繕い行動などの頻度や積算時間を測定します。 解析結果への信頼性を確保するために、録画データを利用して解析しています。


社交性行動と社会的新奇探索性の解析


遺伝子改変で作出されたマウスの社交性行動と社会的新奇探索性は、スリー・チャンバー装置によって解析しています。 この装置は、中央に出入り口を備えた2枚の仕切りで3部屋に区切られています。 解析結果への信頼性を確保するために、スリー・チャンバー装置内のマウスの行動は、ビデオトラッキング装置を利用して解析します。

  • 社交性行動 ワイヤーゲージに入れられた新奇マウスを一方の部屋に入れます。
    中央の部屋に入れられたマウスは出入り口を通ってワイヤーゲージに入れられた新奇マウスに対してにおい嗅ぎ行動を行うので、この時間を積算します。社交性の高いマウスほど、この時間は増加します。
  • 社会的新奇探索性
    社交性行動実験に引き続き、もう一方の部屋にワイヤーゲージに入れられた新奇マウス入れます。中央の部屋に入れられたマウスの社交性行動は、新たに入れられた新奇マウスに対して増加します。

スリー・チャンバー装置

後肢に一定の速度で連続的に増加する圧を与えて、足をどけるまでの時間(逃避閾値)を測定します。当研究室では、マウスの尻尾で測定するために先端部を平坦に改造しています。


運動機能の協調性と平衡感覚、運動学習機能の解析


運動機能の協調性と平衡感覚、運動学習機能の解析にはロータロッド試験装置を使用します。 回転数は定速や加速に設定することができます。 回転棒上に乗っていられる時間や落下時の回転速度によって、協調性や平衡感覚を解析します 運動学習機能は、反復訓練による回転棒上に乗っていられる時間の延長や落下時の回転速度の増加によって解析します。


ロータロッド試験装置

感覚運動ゲイティング機構の検査


感覚運動ゲイティング機構の検査には、プレパルスインヒビション(PPI)装置を使用します。 PPIとは、突然の強い音刺激(パルス)によって引き起こされる驚愕反応が、先行する弱い音刺激(プレパルス)によって抑制される現象です。 プレパルスによって音刺激の入り口(ゲート)を閉めることで、パルスを強い音刺激として認識しなくすると考えられています。 感覚運動ゲイティング機構は、余計な感覚刺激を排除して注意を集中させるために必要な情報処理のシステムです。

防音箱の中にはスピーカーとマウスを入れるホルダーが設置されています。 ホルダーには、マウスの瞬間的な動きを高感度に検出するためのセンサーが取り付けられています。 強いパルス(120dBデシベル程度)を聞かせたときのマウスの驚愕反応が、弱いプレパルス(70dBデシベル程度)を聞かせた後では抑制されます 驚愕反応の強さは、センサーからの電気信号の強弱で定量できます。


プレパルスインヒビション(PPI)装置