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2023/6/20

mRNAワクチンで膵臓がんを治す!

文責:橋本 款
図1.

膵臓がんの治療には、主として、外科的療法や化学療法が行われますが、多くの場合、数年以内に再発し、生存率は非常に低いので、新しい治療法の開発が精力的に試みられています。その中でも、近年、大部分の膵臓がんの症例で、DNA変異が起きた後に腫瘍の表面に出現するネオアンチゲン*1の値が高いことが示唆されてきましたが、このネオアンチゲンを標的とする個別化ワクチン療法は、T細胞の活性を高めて、患者さんの転帰を改善できる可能性があり注目されています。これに関連して、米国メモリアル・スローン・ケタリング癌センター*2のVinod Balachandran博士らは、膵臓がんの患者さんに対するアジュバント療法*3として、外科手術で摘出した組織のゲノム解析から得られたネオアンチゲンの情報をもとに個別化mRNAワクチンを投与し、さらに、化学療法と免疫療法を併用した第一相臨床試験を行いました(図1)。その結果、患者さんの50%で、このワクチンにより、強い免疫応答が誘導され、がんの再発を遅らせる効果が生じ得ることを見出しました。その論文(文献1)がNature誌(Article)に掲載されましたので報告致します。


文献1.
Luis A. Rojas et al., Personalized RNA neoantigen vaccines stimulate T cells in pancreatic cancer,
Nature (2023) 618, 144-150.


【背景】

膵臓がんの有効な治療法は確立されておらず、致死率は88%と非常に高い。一つの可能性は、遺伝子変異により生じたネオアンチゲンはT細胞の抗原となり、ワクチン療法に適していることである。

【目的】

本研究は、外科的に切除した膵臓がんの組織を解析して患者さん個別のネオアンチゲンのmRNAワクチンをリアルタイムで作成し、ワクチンとカチオンリピッドからなるリポフレックス*4の投与を化学療法や免疫療法など他の治療法と併用した第一相臨床試験(16人)である。

【方法】

外科手術に引き続き、免疫チェックポイント阻害薬*5(atezolizumab; an anti-PD-L1)による免疫療法、4種の抗がん剤(葉酸、フルオロウラシル、イリノテカン、オクサリプラチン)からなる化学療法、ワクチンによる治療(~20個のネオアンチゲンのmRNAワクチンよりなるリポフレックス)を行ない、ネオアンチゲン特異的なT細胞のアッセイ、再発が無い18ヶ月後の生存などで評価した。

【結果】

  • 16人の患者は、免疫チェックポイント阻害薬、及び、ワクチンによる治療を、そのうち、15人は化学療法を受けた。ワクチンによる治療は3日間行われ、その内、8人においてT細胞はワクチンに応答して拡大した。これらの半数において、複数のネオアンチゲンに対する反応性が見られた。
  • ワクチンに応答して拡大したT細胞は全血中のT細胞数の10%にもなり、ワクチンのブースターに反応して再拡大し、寿命の長いエフェクターCD8陽性T細胞(細胞傷害性T細胞)も含まれた。
  • 18ヶ月を中央値とする追跡調査では、ワクチンに応答してT細胞数の拡大した患者さんでは、応答しなかった患者さんに比べて、生存率が有意に高かった(18ヶ月以上 vs 13.4 ヶ月, P = 0.003)
  • これらのT細胞のワクチン応答性に関する差は、患者の免疫の健康状態に依存するものではないだろう。なぜなら、T細胞のネオアンチゲンのワクチンに対する応答性に関わらず、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)に対するワクチン(がんとは無関係)に対しては、等しく免疫を獲得したからである。

【結論】

以上の結果は、膵臓がんの治療における個別化mRNAワクチンの可能性を示すだけでなく、疾患の治療手段としての個別化mRNAワクチンの一般的な有効性を示す証拠となった。この初期結果は、サンプルサイズが小さいという問題があるものの、今後、研究の規模を大きくして、膵臓がんの治療法としての個別化mRNAワクチンを調べる必要があることを示している。

用語の解説

*1.ネオアンチゲン(Neo Antigen)
がん細胞特有の遺伝子変異などにより、新たに生じた抗原のこと。がん細胞にのみ生じ、正常細胞には生じない。新しいを意味するネオ(Neo)と抗原(Antigen)を組み合わせた単語で、新生抗原とも呼ばれる。ネオ抗原は、細胞内でプロテアソームを介して、ペプチドに分解される。その上で、主要組織適合遺伝子複合体(MHC)クラスIに結合し、抗原ペプチドとしてCD8陽性T細胞のT細胞受容体(TCR)に提示される。ネオ抗原由来の抗原ペプチドの中には、宿主の抗腫瘍免疫を強力に誘導するものがあることから、ネオ抗原は、がん免疫療法の創薬標的として、また、がん免疫療法に感受性を持つ患者を選別するマーカーとして応用が期待されている。どのようなネオ抗原は生じているかは、がん患者ごとに異なり、かつ、1人のがん患者には多様なネオ抗原が生じる。近年、次世代シーケンサーの登場やデータ解析技術の進展などにより、個々の患者のがん細胞に生じている複数のネオ抗原を探索し、MHCへの結合性やT細胞の反応性などを評価した上で、個別化がん免疫療法に活用できるようになってきた。
*2.メモリアル・スローン・ケタリング癌センター (Memorial Sloan-Kettering Cancer Center)
Memorial Sloan-Ketteringは、癌の予防、治療、研究、そして教育に全力を傾ける民間機関で、世界で最も長い歴史を持ち(癌治療専門の医療機関として100年以上前に設立された)、400人以上の専門医がいる。2001年、Memorial Sloan-Kettering Cancer Center(メモリアル・スローン・ケタリング癌センター)は、U.S.News & World Report マガジンから“米国一の癌治療センター”であるという栄誉を受けた。
*3.アジュバント療法
手術の補助療法のことで、化学療法やホルモン療法を用いる。根治手術する前後に再発するのを予防する目的で行なう(ただし、アジュバント療法という場合には術後治療を指すことが多い)。
*4.リポプレックス
カチオン性リポソームとプラスミドDNAとを混合し、静電的相互作用に基づいて形成させた複合体をリポプレックスと呼ぶ。リポプレックスは数百ナノメーター程度の大きさを持つナノ粒子であるが、電荷比が正になるように調製されるため、負に帯電した細胞膜に結合した後、吸着性エンドサイトーシスにより細胞内に取り込まれ、遺伝子の発現が起こる。siRNAやアンチセンスODNに対しても同様の手法が応用可能である。リポプレックスの表面をリガンドや抗体で修飾すればアクティブターゲティングへの応用も可能である。カチオン性ポリマーを用いた複合体はポリプレックス、カチオン性リポソームとポリマーを併用した複合体はリポポリプレックスと呼ぶ。
*5.免疫チェックポイント阻害薬
がん免疫療法のなかで、免疫チェックポイント阻害薬が複数のがん種で臨床開発が成功をおさめてきている。本剤はT細胞に抑制のシグナルを入れる受容体である免疫チェックポイント分子を抗体でブロックすることにより、抗原提示細胞や腫瘍細胞に発現するリガンドから抑制のシグナルが入ることを遮断して、T細胞の活性化を持続させて癌を攻撃させる。

今回の論文のポイント

  • 本研究により、患者さんごとに個別化mRNAワクチンと他の治療法を併用して膵臓がんを治療した場合に、強い免疫応答(T細胞)が誘導され、がんの再発を遅らせる効果が生じ得る可能性があることが示されました。今後の結果次第では、膵臓がんの治療研究のブレークスルーになることが期待されます。
  • mRNAワクチンの技術は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックを乗り越える際に大きく発展しました。パンデミックに苦しんだことが決して無駄ではなかったと言える日が来るかも知れません。

文献1
Luis A. Rojas et al., Personalized RNA neoantigen vaccines stimulate T cells in pancreatic cancer, Nature (2023) 618, 144-150.