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− 米国病理学会会誌「The American Journal of Pathology(AJP)」において研究成果を発表 –
公益財団法人 東京都医学総合研究所 視覚病態プロジェクトの木村敦子主任研究員 ・原田高幸参事研究員らの研究成果が米国病理学会会誌「The American Journal of Pathology(AJP)」オンライン版 で2014年12月24日に発表されました。
新規治療薬の開発には多大な時間と費用が必要です。そこで最近注目されているのが既存薬の再活用(Drug repositioningまたはDrug repurposing)です。これは病気の治療薬として確立されている薬を他の病気の治療に役立てることによって、新薬開発における時間とコストを削減する方法です。
バルプロ酸は抗てんかん薬として1970年代から世界中で広く使用されており、1990年代からは気分障害と片頭痛にも処方されている、比較的副作用の少ないお薬です。また最近の研究により、バルプロ酸が神経保護効果をもつ可能性が報告されています。そこで私たちはバルプロ酸が緑内障に対する神経保護薬として有効かを調べました。
今回の研究ではバルプロ酸が緑内障でみられる網膜神経節細胞死を抑制できるか検討し、神経保護作用のメカニズムを調べました。まず神経毒性を引き起こす高濃度のグルタミン酸をマウスの眼球に投与して、網膜神経節細胞死を起こしました。この時にバルプロ酸を投与したマウスでは、網膜変性が抑制されることがわかりました。このことは光干渉断層計 (OCT)※ による生きた動物の網膜の可視化によっても確認されました(図1)。また網膜電位の計測により、視機能障害も改善できることがわかりました(図2)。
詳しく調べると、バルプロ酸は網膜のグリア細胞に発現する神経栄養因子(BDNF)の発現量を上昇させることがわかりました。BDNFには神経細胞を保護する役割があることがわかっています。そこで私たちは網膜神経節細胞に発現するBDNFの受容体であるTrkBの欠損マウスを使い、バルプロ酸の神経保護作用にはこのBDNF-TrkB経路が大きく関わっていることを明らかにしました(図3)。さらにバルプロ酸を投与することにより網膜において酸化ストレスが抑制され、生存因子である細胞外シグナル制御キナーゼ(ERK)も上昇することがわかりました。これらの複数の要因がバルプロ酸による神経保護作用に寄与すると考えられます(The American Journal of Pathology 185: 756-764, 2015)。
我々は以前から正常眼圧緑内障の疾患モデルマウスに関する研究を続けています。正常眼圧緑内障は日本人では最も多い緑内障のタイプです。正常眼圧緑内障モデル動物に対してバルプロ酸を毎日投与すると、治療開始から2週間後には緑内障特有の網膜神経節細胞死が抑えられ、視機能障害の進行を予防できることがわかりました(Neuroscience Letters 588: 108-113, 2015)。
OCTによる網膜の生体イメージング。同一網膜の生体イメージングをグルタミン酸の過剰量投与後の7日目(上段)と14日目(下段)に行った。バルプロ酸を投与したマウスでは、いずれの時点においても網膜内層の厚みが保たれていることがわかる。矢印は網膜神経節細胞を含む、Ganglion Cell Complex (GCC)と呼ばれる網膜内層部分を示す。
多局所網膜電位による視機能解析。バルプロ酸を投与したマウスでは、網膜機能が保たれていることがわかる。
網膜神経節細胞からTrkBが欠損したマウスでは、バルプロ酸による網膜保護効果が大きく低下することが確認された。矢印は網膜神経節細胞層。下段は網膜神経節細胞層の拡大図。
緑内障は我が国で最大の失明原因です。本研究で私たちは、既存薬であるバルプロ酸が緑内障の治療薬となる可能性を動物実験で明らかにしました。本研究の成果は今後のバルプロ酸の新たな活用法として、緑内障治療研究に貢献できると考えられます。