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一般向け 研究者向け 査読前論文

2023/7/20

デュシェンヌ型筋ジストロフィーのゲノム編集治療による死亡例

文責:橋本 款
図1.

筋ジストロフィー症*1は、骨格筋の壊死・再生を主病変とする遺伝性筋疾患の総称であり、一般に、原因遺伝子に変異が生じると、タンパク質の機能が障害され、細胞の機能を維持できなくなり、筋萎縮や脂肪・線維化 が生じ、筋力が低下し運動機能など各機能障害をもたらします(図1)。筋ジストロフィー症の中でもっとも頻度が高いDuchenne型筋ジストロフィー症(DMD; Duchenne muscular dystrophy)は、幼児期から始まる筋力低下・動揺性歩行・登攀性歩行・仮性肥大を特徴とするX連鎖劣性遺伝病です。現時点で筋ジストロフィー症の根本的な治療法はありません。DMDでは、ステロイドの骨格筋障害への短期間投与の有効性が確立されていますが、原因となるジストロフィン遺伝子が同定されていますので、ゲノム編集による新しい治療方法の確立が望まれます。今回、Yale大学やMassachusetts大学を中心とした米国の研究チームは、DMD患者の個別化治療として、ジストロフィンの発現を亢進するdCas9-VP64*2トランスジーンを投与した結果、残念ながら、患者は、10日以内に死亡する転帰となったことを報告しました。その査読前論文(文献1)がmedRxivに掲載されましたのでこれについて紹介致します。DMDのゲノム編集による治療に関しては、今後の臨床試験は安全性を顧慮してより慎重なものになることが予想されます。


文献1.
Angela Lek et al., Unexpected Death of a Duchenne Muscular Dystrophy Patient in an N-of-1 Trial of rAAV9-delivered CRISPR-transactivator, medRxiv 2023-05-18 [preprint].


【背景・目的】

DMDは染色体に位置するジストロフィン遺伝子が突然変異により機能喪失することによって引き起こされる。したがって遺伝子治療によって、ジストロフィン遺伝子の機能を回復させることが治療に有効であると考えられる。現時点で、エクソン・スキッピング*3などの方法が、動物モデルでは成功しているが、臨床には反映されていない。したがって、本プロジェクトは、DMDの患者さんにおいて、ゲノム編集によるジストロフィン遺伝子の機能回復による治療効果を評価することを目的とする。

【方法】

  • DMD患者さんは幼年期に発症した20代の男性で進行性に上肢の筋力は低下し、心肺機能の低下が見られた。筋バイオプシーで、ジストロフィンの発現は正常の3%程度に減少していた。全ゲノムのシークエンスでジストロフィン遺伝子(筋タイプ)のエクソン1の部分に欠損が見られた。ジストロフィン遺伝子(皮質タイプ)は正常であり、筋組織においても皮質タイプのジストロフィン遺伝子の発現がRNAシークエンスで確認出来たので代償的な作用があると考えた。
  • 個別化治療として、皮質タイプのジストロフィンの発現を亢進するdCas9-VP64トランスジーンをリコンビナントアデノ随伴ウイルスベクター(rAAV)*4 を用いて静脈注射によりデリバリーするN-of-1試験*5が行われた。
  • 尚、Massachusetts大学治験審査委員会のプロトコールに従って被験者から書面による同意書を得た。

【結果】

  • 投与直後、しばらくして、軽度の心機能不全と心膜液貯留が認められた後、6日後に急性に増悪して心停止し、2日後に死亡した。
  • 検死では、びまん性肺胞損傷を伴う重症急性呼吸窮迫症候群が認められたが、遺伝子治療による他の死亡例で報告されていた血栓性微小血管障害症、心炎などは見られなかった。
  • ベクターの生体内分布データを取得したところ、肝臓でのトランスジーンの発現はごく僅かであり、また、AAV抗体やエフェクターT細胞反応性も認められなかった。

【結論】

今回の結果は、CRISPRによる遺伝子編集によるものではなく、そのデリバリーに利用する高用量のrAAVにより、この被験者に特有の、毛細血管漏れを伴う免疫応答が引き起こされたことによると考えられる。

用語の解説

*1.筋ジストロフィー症
骨格筋の壊死・再生を主病変とする遺伝性筋疾患で、50以上の原因遺伝子が解明されてきている。骨格筋障害に伴う運動機能障害を主症状とするが、関節拘縮・変形、呼吸機能障害、心筋障害、嚥下機能障害、消化管症状、骨代謝異常、内分泌代謝異常、眼症状、難聴、中枢神経障害等を合併することも多い。すなわち、筋ジストロフィーは、骨格筋以外にも多臓器が侵され、集学的な管理を要する全身性疾患である。代表的な病型としては、ジストロフィン異常症(デュシェンヌ型/ベッカー型筋ジストロフィー)、肢帯型筋ジストロフィー、顔面肩甲上腕型筋ジストロフィー、エメリー・ドレイフス型筋ジストロフィー、眼咽頭筋型筋ジストロフィー、福山型先天性筋ジストロフィー、筋強直性ジストロフィーなどがある。分子遺伝学の進歩とともに責任遺伝子・蛋白の同定が進んでいるが、発病に至る分子機構については十分に解明されていない。また、責任遺伝子が未同定なもの、詳細な発症メカニズムが不明なものも多数存在する。
*2.dCas9-VP64
CRISPR-Cas9 システムを応用することで、遺伝子ノックアウトだけでなく内在性遺伝子発現の強い活性化が可能になる。CRISPR-Cas9 システムにおいて、いくつかの改良型構成物を利用することで3 種のプラスミドからなるSAM複合体が産生する。これらプラスミドはそれぞれ、転写活性化因子 VP64と融合した不活性型Cas9(dCas9)ヌクレアーゼ、さまざまな転写因子の動員を促進するMS2-p65-HSF1融合タンパク質、およびMS2-P65-HSF1 融合タンパク質に選択的に結合するアプタマー修飾型sgRNA 足場をコードする。このSAM 複合体は、現時点で最も効果的な転写活性化システムである。
*3.エクソン・スキッピング
エクソン・スキッピング療法は、筋肉の中でジストロフィンを作らせる治療法である。エクソン・スキッピング剤を筋細胞の核内で作用させ、ジストロフィンmRNA前駆体の変異が起きている場所に隣接した 特定のエクソンを認識させない(スキップさせる)ように促すことで、隣り合ったエクソン同士をつなげ、ジストロフィンを作らせる。作られたジストロフィンは野生型より少し小さいながら機能すると考えられており、運動機能などの低下を抑えることで、症状の進行を遅らせることが期待されている。
*4.リコンビナントアデノ随伴ウイルスベクター (rAAV)
rAAVは、他のウイルスベクターと比べ、AAVを利用する利点として分裂細胞と静止状態の細胞の何れにも感染できる能力があり、遺伝物質を非常に多様な細胞種に移送することが出来る。野生型AAVは宿主細胞に部位特異的に組込まれ、信頼できる挿入パターンをもつ。近年では組換え型AAVは宿主ゲノムに挿入されないよう変更されてはいるものの、染色体外の状態で長期にわたり存続することが可能である。また、AAVは非分裂細胞において長期発現し、ほぼ無視できる程度の病原性を示すとともに非常に緩やかな免疫応答を及ぼすが、これらは全て遺伝子治療に利用する上で好ましい特性であるといえる。
*5.N-of-1試験
臨床試験のデザインにおいてN-of-1試験とは単一被験者試験のことで、1例の被験者に交互に2つ以上の治療を行うこと。個々の患者の治療法決定には最高のエビデンスの強さをもつといわれる。

今回の論文のポイント

  • 本研究の患者さんの死亡は、恐らく、高用量のrAAVにより、毛細血管漏れを伴う自然免疫応答が引き起こされたことによると考えられますが、メカニズムの解明をしっかりと行う必要があります。また、rAAVに代わって、新しいドラッグ・デリバリーの方法が開発されることが期待されます。
  • 新薬開発の臨床試験に伴う予期できない死は筋ジストロフィーに限られたことではありません。例えば、アルツハイマーの抗体治療薬の開発の際にも死亡例が報告されています。新薬開発はこの様な尊い命の犠牲の上に成り立っていることを決して忘れてはいけません。

文献1
Angela Lek et al., Unexpected Death of a Duchenne Muscular Dystrophy Patient in an N-of-1 Trial of rAAV9-delivered CRISPR-transactivator, medRxiv 2023-05-18 [preprint].