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2023/7/26

台湾における前立腺がんのアンドロゲン遮断療法に伴う骨折に関して

文責:橋本 款
図1.

近年、高齢化、食生活の欧米化、検査方法の発展(前立腺特異抗原: PSA*1) などにより、前立腺がんは、欧米と同様に日本においても急増しており、日本人男性が罹患するがんの第1位となっています。転移のない早期の前立腺がんに対しては、手術療法(韓国における前立腺癌に対するダビンチ手術の成績〈2023/5/30掲載〉)、放射線療法、薬物治療、経過観察(PSA監視療法)など、いくつかの選択肢がありますが、骨転移やリンパ節転移などの遠隔転移を伴うがんには、アンドロゲン遮断療法(ADT)*2) などのホルモン治療が基本となってきます。ADTは、アンドロゲンを遮断することにより、アンドロゲン依存性のがんの増殖を抑制する目的で行われます。ADTは進行例に対する初期治療として非常に有効ですが、一つの重要な問題点は、副反応です。ほてり、頭痛、発汗、肝機能障害、性欲減退、勃起障害、女性化乳房、乳房痛、精巣萎縮、貧血などホルモンのアンバランスによる症状に加えて、より長期的には、骨粗鬆症、肥満、糖尿病、心血管疾患、筋肉減少、認知機能の低下、うつ傾向など(図1)病的な老化に関係した症状が出現しやすくなります。これに関連して、最近、台北栄民総医院*3) のChen博士らは、台湾の国民医療保険のデータベースを基に調査を行ったところ、前立腺がんでホルモン療法を受けた患者さんにおいて骨折の頻度が有意に高かったことを見出し、PLoS Oneに報告しましたので、今回はこの論文(文献1)を紹介致します。


文献1.
Wei-Cheng Chen et al., Conventional androgen deprivation therapy is associated with an increased risk of fracture in advanced prostate cancer, a nationwide population-based study, PLoS One 2023 Jan 4;18(1):e0279981.


【背景・目的】

ADTは進行性前立腺がんに対する標準的な治療法であるが、認知症、心血管系障害、筋量低下などの副反応を伴うことが、知られている。本研究は、ADTと骨折の相関性の有無に関して台湾の国民医療保険のデータベースを用いて評価した。

【方法】

2001~2008年の台湾の国民医療保険よりデータを収集した。この間に新しく診断された前立腺がんの患者さんを4つのグループ;i)性腺刺激ホルモン放出ホルモン(LH-RH)アゴニスト・アンタゴニスト*4) の静注、ii)精巣摘除術、iii)経口抗アンドロゲン薬、iv)根治的前立腺摘除術、に分けて比較した。非がん患者さんからなるグループを対照に加えた。統計方法は、t検定、カイ二乗検定、Cox比例ハザード・モデル*5) が用いられた。

【結果】

  • 22,517例の登録者から、解析に不適合な患者さんを除くと、13,321例(平均年齢74.4歳)でその内訳は、静注グループ5,020例、精巣摘除術グループ1,193例、経口グループ6,059例、根治的前立腺摘除術グループ1,049例であった。
  • 多変量解析の結果、骨折の頻度は前3者のADTのグループで優位に増加した。(それぞれのハザード比[HR] = 1.55, 95%, confidence interval [CI] 1.36 to 1.76, p<0.001, HR = 1.95, 95%, CI 1.61 to 2.37, p<0.001, HR = 1.37, 95%, CI 1.22 to 1.53, p<0.001).
  • 対照的に、根治的前立腺摘除術のグループでは、骨折の頻度は優位に低下した(HR = 0.51, 95%, CI 0.35 to 0.74, p<0.001)。(このグループの患者さんは、術前の全身状態が良かった事を反映しているのかも知れない。)
  • 注目すべきことに、骨粗鬆症薬を内服していた患者さんの骨折の頻度は優位に低かった。(HR = 0.26, 95%, CI 0.19-0.37, p<0.001).

【結論】

研究の結果は、前立腺がんのADT療法には、骨折の危険が増加することを示唆している。長期間にわたり、ADT療法を行っている患者さんに対しては、医者は骨粗鬆症などの病的な老化が促進する可能性に対して注意を払う必要がある。

用語の解説

*1.前立腺特異抗原(Prostate specific antigen; PSA)
PSAは前立腺から分泌される特異なタンパクで、精液の中に混じって、ゲル状の精液をさらさらにすることで精子の運動性を高める役割があると言われている。PSAは、血液検査により測定することができる。PSAは前立腺癌のスクリーニング検査として有用で、血液中濃度の正常値は4 ng/mL以下であるが、前立腺癌があると正常値を超えて上昇する。4~10 ng/mLの上昇はグレーゾーンと言われ、前立腺癌以外に、前立腺肥大症や前立腺炎でもみられることがある。また、射精や長時間の車の運転のような前立腺への機械的な刺激でも軽度上昇する場合がある。
*2.アンドロゲン遮断療法(Androgen deprivation therapy; ADT)
前立腺がんにおけるホルモン療法とは、アンドロゲンの作用を抑制することの総称で、アンドロゲン遮断療法(ADT)とも呼ばれる。前立腺がんはアンドロゲンを利用して増殖するので、アンドロゲンの作用を抑制することで治療効果を期待する方法である。ADTで使われる薬剤には、注射剤と内服薬があり。注射剤は、脳の視床下部・下垂体に働きかけることで精巣からのアンドロゲン分泌を抑える薬で、LH-RHアゴニスト製剤とLH-RHアンタゴニスト製剤が使用される。内服薬は、がん細胞にアンドロゲンが作用するのをブロックする抗アンドロゲン薬である。
*3.台北栄民総医院
台湾台北市にある最も大きな国立病院のひとつである。略称は台北栄総。行政院国軍退除役官兵輔導委員会の直轄病院である。台湾における医療衛生体制において、国立台湾大学付属病院、三軍総合医院、国立成功大学付属病院及び長庚紀念医院と同じく最高レベルの医療センターとして位置付けられている。また、22階建ての中正棟は石牌地区のランドマークの一つとなっている。
*4.性腺刺激ホルモン放出ホルモン(LH-RH)アゴニスト・アンタゴニスト
LH-RHアゴニストを投与されると刺激を受けて、性ホルモンが分泌され、大量に分泌されることで性ホルモンの受容体は減少する。そのため、結果的に性ホルモンの作用を抑えることができる。LH-RHアンタゴニストは、下垂体前葉にあるLH-RH受容体を直接的に阻害することにより、下垂体からのLHの分泌を直ちに抑制する。したがって、LH-RHアゴニストのように投与初期の一次的な男性ホルモンの上昇は見られない。
*5.t検定、カイ二乗検定、Cox比例ハザード・モデル
t検定、カイ二乗検定は、それぞれ、t分布、カイ二乗分布を利用する検定方法の総称である。Cox比例ハザード・モデルは、生存時間分析のためのノンパラメトリックな手法の1つで、生存時間データのほかに年齢や性別などの共変量を用いることで、共変量が生存時間に与える影響を調べることができる。詳細は統計学の成書をご覧ください。

今回の論文のポイント

  • 本研究により、前立腺がんのADT療法により骨粗鬆症が進行し、骨折を伴いやすくなることがわかりました。このように、がんの治療に伴って病的な老化が促進する可能性に対しても注意を払う必要があります。本研究で示されたように、骨粗鬆症薬で予防することができる場合があるからです。
  • 女性の場合は、ホルモン感受性が陽性の乳がんに対して、エストロゲンの産生を抑制するLH-RHアゴニスト製剤とアロマターゼ阻害薬、がん細胞とエストロゲンの結合を阻害する抗エストロゲン薬(タモキシフェン)があります。筆者の知る限り、これらの薬剤による治療と老化との関係は報告されていません。

文献1
Wei-Cheng Chen et al., Conventional androgen deprivation therapy is associated with an increased risk of fracture in advanced prostate cancer, a nationwide population-based study, PLoS One 2023 Jan 4;18(1):e0279981.