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2023/12/5

運動により骨格筋から分泌されるイリシンはアミロイドβの蓄積を抑制する

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 著者らが以前に開発したアルツハイマー病(AD)の3次元細胞培養モデル*1においてイリシン(irisin)*2はネプリライシン*3の分泌を促進し、アミロイドβ(Aβ)の蓄積を抑制することが示された。
  • この実験系において、アストロサイト細胞膜上のインテグリンαV/β5がイリシンの受容体として働き、ネプリライシンの分泌を促進したと考えられた。
  • イリシンによるネプリライシンの分泌促進にはERK-STAT3シグナル伝達経路の活性の低下が関係すると思われた。
図1.

2型等糖尿病やその他、多くの高齢疾患と同様に、運動が軽度認知障害(MCI)や初期ADの進行の予防に有効であることは多く報告されてきました。その理由は、いくつかありますが、必ずしも、分子的なレベルではっきりしているとは言えませんでした(図1)。もし、そのメカニズムが明らかになり、それに関与する特定の分子がわかれば、ひいては、その分子を標的にした薬剤開発が可能になり、運動の代用にすることが期待されます。高齢者の中には、サルコペニア*4やそれによる転倒・骨折、さらに、複数の慢性疾患の併存などの影響もあり、フレイル*5に陥って、運動ができない人が多くいらっしゃることを考慮すれば、このことは、特に臨床的に重要であると言えましょう。これに関連して、米国マサチューセッツ総合病院(MGH)のChoi博士らのグループは、彼らが、以前、開発したADの3次元細胞培養モデルを用いて、運動により骨格筋から分泌されるマイオカイン*6であるイリシンが、ADの特徴であるAβの蓄積を減少させる可能性を示しました。最近、その結果が「Neuron」に掲載されました(文献1)ので、今回はその論文について報告致します。


文献1.
Irisin reduces amyloid-β by inducing the release of neprilysin from astrocytes following downregulation of ERK-STAT3 signaling, Kim, E. et al., Neuron 2023 Nov 15;111(22):3619-3633.e8.


【背景・目的】

運動がAβの蓄積を減少させることは、ADモデルマウスを用いた研究によりすでに示されていたが、そのメカニズムは不明だった。運動をすると、骨格筋からのイリシン分泌が促されて、その血中濃度が上昇する。イリシンには脂肪組織中の糖と脂質の代謝を調節し、また、白質脂肪組織の褐色脂肪化を促すことでエネルギー消費量を増大させる働きがあると考えられている。過去の研究で、イリシンはヒトやマウスの脳に存在するが、AD患者やADモデルマウスではそのレベルが低下していることが報告されている。本研究においては、イリシンによるAβの蓄積の抑制を分子レベルで解析することを目的とした。

【方法】

  • 著者らは以前の研究で、ADの3次元細胞培養モデルを開発し、ADの主要な特徴であるAβの蓄積とタウタンパク質のもつれを再現させることに成功していた(Nature 2014)。今回の研究では、この3次元細胞培養モデルを用いて、イリシンが脳内のAβの蓄積に及ぼす影響について検討した。

【結果】

  • イリシンを投与することで、脳のグリア細胞であるアストロサイトから分泌されるAβ分解酵素のネプリライシンのレベルと活性化が上昇し、これによりAβレベルが著しく低下することが明らかになった。過去の研究では、運動やAβの減少につながるその他の条件にさらされたADモデルマウスの脳では、ネプリライシンのレベルが上昇することが確認されている。
  • イリシンがAβレベルを低下させる、より詳細なメカニズムも明らかになった。例えば、インテグリンαVβ5という受容体を介したイリシンのアストロサイトへの結合が引き金となって、アストロサイトからのネプリライシンの分泌量が増えることが確認された。さらに、イリシンがこの受容体と結合することで、重要な2つのタンパク質〔ERK(細胞外シグナル制御キナーゼ)、STAT3(シグナル伝達兼転写活性化因子3)〕に関わるシグナル伝達経路が阻害されることも示され、これがネプリライシンの活性化を増強させる上で重要なことが示唆された。

【結論】

本研究結果は、運動により誘発されたイリシンの分泌が主要なメディエーターとなってネプリライシンレベルが上昇し、Aβの蓄積が減少することを示すものだ。この結果は、ADの予防法や治療法の開発において、イリシンとネプリライシンに関わる経路が新たなターゲットとなり得ることを示唆している。

用語の解説

*1.ADの3次元細胞培養モデル
Choi博士らは以前の研究で、ADの3次元細胞培養モデルを開発し、ADの主要な特徴であるAβの蓄積とタウタンパク質のもつれを再現させることに成功していた。詳細は、[A three-dimensional human neural cell culture model of Alzheimer’s disease Choi SH et al., Nature 2014, 515: 274-278]を参照。
*2.イリシン(irisin)
irisinは骨格筋から分泌されるマイオカインであり、白色脂肪細胞を褐色脂肪細胞化する作用が報告されている。膜タンパク質FNDC5(Fibronectin type III domain-containing protein 5)が切断されることにより生成し、生体内に分泌される新規ホルモンである。 白色脂肪細胞において、UCP1発現亢進および、褐色脂肪細胞の成長を促進する機能を有する。
*3.ネプリライシン
ネプリライシンは、5-40アミノ酸残基ほどの長さを有するペプチドを基質として、ペプチド内部の疎水性アミノ酸残基の前で切断を行う膜結合型のメタロペプチダーゼである。AD脳に蓄積し、発症に中核的役割を果たすAβの脳内主要酵素であることが明らかにされて以来、病態との関連性や創薬標的として注目されている。また、前立腺などのがんの進行にも関与する。
*4.サルコペニア
サルコペニアとは、加齢による筋肉量の減少および筋力の低下のことを指す。2016年10月、国際疾病分類に「サルコペニア」が登録されたため、現在では疾患に位置付けられている。サルコペニアになると、歩く、立ち上がるなどの日常生活の基本的な動作に影響が生じ、介護が必要になったり、転倒しやすくなったりする。また、各種疾患の重症化や生存期間にもサルコペニアが影響するとされ、現在は様々な診療科にまたがってサルコペニアが注目されている。
*5.フレイル
フレイルとは、わかりやすく言えば「加齢により心身が老い衰えた状態」のことである。しかしフレイルは、早く介入して対策を行えば元の健常な状態に戻る可能性がある。高齢者のフレイルは、生活の質を落とすだけでなく、さまざまな合併症も引き起こす危険がある。フレイルは、海外の老年医学の分野で使用されている英語の「Frailty(フレイルティ)」が語源となっています。「Frailty」を日本語に訳すと「虚弱」や「老衰」、「脆弱」などを意味します。日本老年医学会は高齢者において起こりやすい「Frailty」に対し、正しく介入すれば戻るという意味があることを強調したかったため、多くの議論の末、「フレイル」と共通した日本語訳にすることを2014年5月に提唱した。
*6.マイオカイン(myokine)
マイオカインとは、骨格筋(筋肉)から分泌される生理活性物質(サイトカイン)の総称。ギリシャ語のmyo(筋)とkine(作動物質)を組み合わせて作られた造語である。近年、研究が進み、「運動と健康」の仕組みを解明するカギとなる物質として注目を集めている。今後、マイオカインの詳細メカニズムの解明がさらに進めば、マイオカインが関わる病気の治療を目的とした創薬や、バイオマーカーの発見などが加速するかも知れない。

文献1
Irisin reduces amyloid-β by inducing the release of neprilysin from astrocytes following downregulation of ERK-STAT3 signaling, Kim, E. et al., Neuron 2023 Nov 15;111(22):3619-3633.e8.