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2023/12/11

パーキンソン病モデルマウスの神経病理に対するイリシンの保護効果

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • イリシン(Irisin)*1は、運動によって骨格筋より分泌が誘発されるマイトカインである。本研究においても、パーキンソン病(PD)の患者さんが運動した時に血中のイリシンの濃度が有意に上昇することが示された。
  • MPTP*2投与パーキンソン病モデルマウスにおいて、運動機能の低下、ミトコンドリアの病理所見がイリシンの投与により改善された(図1)。
  • SH-SY5Y神経芽細胞モデルを用いた実験系において、イリシンの作用は、インテグリンαV/β5がイリシンの受容体として働き、シグナル伝達経路下流に位置するAktやERK1/2の活性化が関与する可能性があると考えられた。
図1.

先週、運動によって骨格筋から分泌が促進されるマイトカインのイリシンが、アルツハイマー病(AD)に予防効果があることを示唆する論文を紹介しましたが(運動により骨格筋から分泌されるイリシンはアミロイドβの蓄積を抑制する〈2023/12/5掲載〉)、AD以外にも多くの疾患において、運動の予防治療効果におけるイリシンの役割が最近の研究対象になってきました。今週は、PDにおける、イリシンの予防効果に関する論文を紹介いたします。PDは、孤発性、家族性、薬剤性などその病因によっていくつかのサブタイプがありますが、それに応じて、何種類かのモデルマウスがメカニズムや治療法開発の研究に使われています。中国同済大学(Tongji University)*3のZhang博士らは、そのうちMPTP投与PDモデルにおいてイリシンの投与により、運動機能、ミトコンドリアの病理所見を改善したことを観察し、「npj Parkinson’s Disease」に掲載されていますので(文献1)、今回はその論文について報告致します。尚、大部分のPDは孤発性で高齢者に発症するα-シヌクレインの蓄積・凝集を特徴とするタイプですが、これに関しては、米国ジョンズ・ホプキンス大学のTed Dawson博士らのグループが、α-シヌクレインの凝集を正常なマウスの脳に注入するPEFモデルマウス*4の系で、α-シヌクレインの病理を緩和することを既に報告しています(Kam et al. PNAS, 2022)。これらの結果より、イリシンはPD全般に対して保護的に働くと思われます。ただし、気をつけないといけないのはMPTP、PEFモデルともに、これらの実験に使われているのは〜8週齢の生殖期のマウスであり、得られた結果がヒトの高齢者に当てはまるかどうかは慎重に検討する必要があると思われます。


文献1.
Irisin exhibits neuroprotection by preventing mitochondrial damage in Parkinson’s disease, Xi Zhang et al., npj Parkinson's Disease volume 9, Article number: 13 (2023)


【背景・目的】

PDの患者さんの非薬理学的な管理において、運動が効果的であることは以前より提唱されていたが、そのメカニズムは不明だった。イリシンは、最近、同定されたマイトカインであり、運動により増加してエネルギ代謝に重要な役割を果たすと考えられているが、PDを予防するかどうかは不明である。本研究は、これを理解することを目的とした。

【方法・結果】

  • PDの患者さん(n=23)が12ヶ月のリハビリテーション運動を定期的に行った後の血清中のイリシンの測定値は著名に上昇し(前:1.89 ± 0.62 μg/mL 後:2.11 ± .53 μg/mL)、バーグバランススケール*5によるバランス評価の改善と相関することを見出した。
  • MPTP投与パーキンソン病モデルにおいてイリシンを投与することにより、運動機能(ロタロッドテスト)が改善し、ドーパミン神経の変性が抑制した。
  • 同時に、イリシンの投与(200 μg~30mg/kg, 5 days)により、アポトーシス細胞死の割合は減少し、ミトコンドリアの病理所見を改善した(酸化ストレスの減少、ミトコンドリア複合体I活性の増加、ミトコンドリア新生、ミトコンドリア形態異常の改善など)。
  • これらのイリシンの作用は、ミトコンドリアへのイリシンの直接的なものではなく、SH-SY5Y神経芽細胞モデル・阻害剤を用いた実験により、イリシンによりインテグリンシグナル伝達経路を通してAktやERK1/2が活性化されることによるものと推定された。

【結論】

以上の結果は、運動により誘発されたイリシンが、運動のPDの改善効果において重要な役割を持つことを示唆している。したがって、イリシンは、治療藥の有望な候補であろう。

用語の解説

*1.イリシン(Irisin)
Irisinは骨格筋から分泌されるマイオカイン(筋肉から出る生理活性物質。いわば筋肉ホルモン)である。詳細は、先週の記事(運動により骨格筋から分泌されるイリシンはアミロイドβの蓄積を抑制する〈2023/12/5掲載〉)を参照してください。
*2.MPTP(1-Methyl-4-phenyl-1,2,3,6-tetrahydropyridine)
MPTP(1-メチル-4-フェニル-1,2,3,6-テトラヒドロピリジン)は神経毒の一つで、ヒトが摂取するとパーキンソン病様の病態を引き起こす。これは、脳内でモノアミン酸化酵素によりパラコートに類似したMPP+(1-メチル-4-フェニルピリジニウム)に変換され、中枢神経系ドーパミン神経の特異的な脱落を引き起こすためである。
*3.同済大学(Tongji University、どうさいだいがく)
同済大学とは、上海市の東北の楊浦区にある理工系大学。副部級大学の一つとして、国家重点大学及び双一流に指定されている。
*4.PEF(preformed fibril, PPF)パーキンソン病モデル
体外でαシヌクレインの凝集体を作成し、正常なマウスの脳に注入する病理学的条件下では、αシヌクレインが、オリゴマーや前線維集合体から高度に秩序化された凝集体に至るまで、さまざまな望ましくない構造に統合される。これらのフィブリ構造は「活性化」であり、伸長のためにモノマーを急速に動員するため、フィブリ構造はタンパク質凝集の急速な成長段階を表している。さらに、これらのフィブリは、「seed」として機能する可能性のある短い断片にランダムに分割され、他の細胞に伝達され、モノマーを独立して動員して新しいフィブリを形成する。 PFF体(Preformed Fibril)は、in vitroで形成されたアクティブなフィブリルであり、この「seeding」の活性を持ち、可溶性の内因性シヌクレインを継続的に動員して凝集体を形成し、最終的に神経変性病理を誘発する。同様のPPFモデルが、タウ、アミロイドベータ、TDP-43、ハンチンチンなど他のアミロイドタンパク質についても用いられている。
*5.バーグバランススケール(Berg Balance Scale)
高齢者や脳卒中患者、PD患者のバランスの重症度の最も一般的に使用される臨床試験。検査項目ごとに0から4点に評定される14の検査項目からなるバランス能力の測定法である。通常は評定得点の合計点で総合的なバランス能力の指標とするが、歩行能力との対応や検査項目間の関連性については報告が少ない。

文献1
Irisin exhibits neuroprotection by preventing mitochondrial damage in Parkinson’s disease, Xi Zhang et al., npj Parkinson's Disease volume 9, Article number: 13 (2023)