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訃報:理事長 田中啓二 逝去のお知らせ

2024年7月29日

2024年7月23日(火曜日)、当財団理事長 田中(たなか) 啓二(けいじ) が逝去いたしました。

ここに故人が生前に賜りましたご厚誼に深く感謝するとともに、謹んでお知らせいたします。


葬儀・告別式につきましては、ご遺族の意向により近親者のみで7月28日に滞りなく執り行われました。

なお、後日、お別れの会を執り行う予定です。

また、ご香典、ご供花、ご供物の儀は固くご辞退申し上げます。


<略歴> こちらへ >>

<主な研究成果>

  • 細胞内で不要になった蛋白質や有害な蛋白質を選択的に分解する巨大で複雑なプロテアソーム複合体を発見し、その分子構造と機能に関する研究を包括的に推進した。
  • プロテアソームの生理機能とその破綻によって発症する病態機構を詳細に解析、蛋白質のリサイクルシステムが生命機能の維持に必須な役割を担っていることを解明した。

2024年7月29日

追悼 田中啓二先生

(公財)東京都医学総合研究所 所長
正井 久雄

私たちが敬愛する当研究所理事長の田中啓二先生は、2024年7月23日(火)の朝にご逝去されました。突然の別れに、言葉を失うほどの深い悲しみと衝撃を感じております。

田中先生は、徳島大学酵素研究施設・助手を経て、1981年 米国ハーバード大学医学部生理学部門(現・細胞生物学部門)に留学、1995年 徳島大学酵素科学研究センター・助教授, 1996年 東京都臨床医学総合研究所 部長、2002年 東京都臨床医学総合研究所・副所長、2006年 東京都臨床医学総合研究所・所長代行、2011年 東京都医学総合研究所・所長 、2016年 同理事長兼任、2018年 理事長を務められました。1996年から、東京都医学総合研究所の前身の臨床研も含めて本研究所で研究を推進されてきました。


田中先生は小さい時から、大変読書好きで、学生の時には小林秀雄を愛読されていて小説家になりたいと考えられたこともあるということです。先生の多くの著作物は、大変格調が高く、流麗な文章であることは有名です。理系に進学された田中先生は、徳島大学医学部附属酵素研究施設において、市原明先生の研究室で研究を開始されました。田中先生は、その後市原先生のご紹介で留学した、アルフレッド・ゴールドバーグ教授の研究室で、プロテアソームの発見につながる研究を開始されました。セントラルドグマを中心とした分子生物学が勃興している1970年代の半ばにタンパク質の運命に興味を持たれました。先生は当時タンパク質について2つ不思議に思うことがあったとお話しされていました。1つはタンパク質の寿命が不均一であることです。タンパク質の寿命は千差万別で、数分から数カ月まで、約一万倍もの開きがあるのですが、その寿命を決定するメカニズムは不明でした。もう1つは、体は毎日約200グラムのタンパク質を合成しますが、食事から摂取する材料は僅か70グラム程度、残りの130グラムがどこから来るかという疑問でした。後に、分解したタンパク質を再利用していることが判明しますが、このプロセスは当時全く分かっておらず、田中先生は、多くの研究者が行なっているタンパク質合成ではなく、分解のメカニズムの研究に向かわれました。

留学先のアルフレッド・ゴールドバーグ教授の研究室では当時、分解反応であるタンパク質分解になぜATPが必要とされるのかという問題が重要な命題でありATP依存性のタンパク質分解酵素の同定を目指していましたが、難航していました。その矢先、イスラエルのハーシュコ博士とチカノーバー博士がゴールドバーグ教授の開発した実験系(網状赤血球の抽出液)を用いて、ATP依存性のタンパク質分解因子を発見し、さらに、それがユビキチンと同一分子であること、基質タンパク質と鎖状的に共有結合することを明らかにし、ユビキチンが標的タンパク質を分解装置に輸送するための目印となるという“ユビキチンシグナル仮説”を提唱しました。田中先生は、留学当初、まずこの実験の再現実験を任され、再現性があることを示されました。同時に、すでにエネルギーを使ってユビキチン化したタンパク質の分解にもATPの加水分解が必要であることを明らかにし、1983年に「エネルギー依存性の2段階説」という新たなタンパク質分解システムを提唱し、これがATP依存性タンパク質分解酵素の発見への糸口になりました。その後、工夫を重ねてこの酵素が巨大複合体であることを見出し、プロテアソームと名付けました。その後は、ドイツのバウマイスター教授らとの共同研究による複合体構造の決定、中西重忠教授、垣塚彰教授らとの共同研究によるプロテアソームサブユニットの遺伝子クローニングと驚くべきスピードで研究を進行させ、田中先生は一躍プロテアソーム研究の最先端に躍り出ることになりました。一連の研究は、プロテアソームは、分解の前段階にATP加水分解エネルギーを用いて基質タンパク質の3次元構造を壊し、ひも状に変性させることを明らかにしました。これにより田中先生が1983年に提唱した「蛋白質分解のエネルギー依存性の2段階説」の分子実態が解明されました。

プロテアソーム研究の波及効果は、分子構造やメカニズムの面白さのみにとどまりませんでした。田中先生の研究グループによる免疫プロテアソームと胸腺プロテアソームの発見は、免疫研究者に大きな衝撃を与えました。通常型20Sプロテアソームの触媒サブユニットβ1、β2、β5が、免疫応答により誘導されたβ1i、β2i、β5iとそれぞれ置き換わってできる“免疫プロテアソーム”は、より高いキモトリプシン様活性を持つため、MHCクラスⅠとより結合しやすいペプチドを効果的に産出できることが明らかとなりました。一方、胸腺だけに大量に発現しているプロテアソームサブユニットβ5tが組み込まれた“胸腺プロテアソーム”は、T細胞のレパトア形成時に「正の選択」により、免疫の基本である自己と非自己の識別に深く関わっているという、免疫の概念を覆す発見をもたらしました。その後も巨大分子複合体の形成メカニズムの解明、リン酸化によるユビキチン制御機構の解明、液滴形成によるプロテアソームの機能制御など次々と新しい発見を報告され、田中先生は、プロテアソームの発見からその構造・作動機序、生物学的機能の解明に至るまで、まさに、世界の研究の頂点で研究を率いてこられました。

その広い研究者ネットワークを最大限に利用し、国際共同研究も含め、多くの共同研究を通じて、常に最先端の技術を研究に活かし、問題を解決されてきました。このような能力は日本人研究者には稀有であり、先生の研究に対する鋭い嗅覚と、そのお人柄ゆえの幅広い研究者人脈があったからこそ可能であったと思います。

私は、恥ずかしながら、先生とお会いするまで、先生のご業績について、深く知らなかったのですが、20年近く前にある会議で先生のご講演を初めて聴講させていただきました。その時、そのお話のあまりの美しさに、心から感動をしたのを覚えております。これは、素晴らしい音楽や美術作品に触れた時の感動と全く同じでした。自然の摂理・真理を明らかにすることにより、これだけの感動を与えることができるのだと感じたのは、後にも先にもこの一度だけでした。これらのご業績に対して、日本生化学会奨励賞、内藤記念科学振興賞、上原賞、朝日賞、東京スピリット賞、東レ科学技術賞、武田医学賞、日本学士院賞、日本内分泌学会マイスター賞、慶應医学賞、文化功労者顕彰、日本医療研究開発大賞(内閣総理大臣賞)など数多くの賞が授与されております。最近は、毎年、ノーベル賞の季節には、受賞の候補者として、田中先生のお名前が挙がっておりました。

田中先生は、その卓越した研究成果により世界の生命科学に輝ける金字塔の一つを打ち立てましたが、同時に多くの研究者に対して、分け隔てなく惜しみない指導と支援を提供されました。先生のご支援により、研究者として救われた研究者は私も含めて数多いと思います。また、先生は、研究室から多くの人材を育成し、先生の指導の下で成長した多くの研究者たちは、今やそれぞれの分野で活躍し、田中先生の精神と知識を継承し関連分野の研究を率いておられます。

田中先生は、3研究所の合併時には、多くの難題を、体を張って解決し、統合後も、3つの研究所の多様な背景の研究者が、その能力を最大限発揮できるように、また、研究所が統合の利点を生かして、飛躍的に発展できるよう研究所内の融合を図り、その強い指導力を発揮して、研究所の一体化を進めました。このように、研究所のマネージャーとしても、強いリーダーシップとビジョンを示し、同時に所内の細かい点まで気配りし、統合後8年間にわたり所長として、研究所を多いに発展させました。私は2018年より田中先生の後任として所長に就任いたしました。先生の意思を引き継いで、また先生に教えを乞いながらより良い研究所にすべく日々努力してまいりました。これからは、田中先生が天国から心配しなくて済むよう、研究所のさらなる発展のため、より一層頑張っていこうと思います。それが、私がすべき先生への御恩返しです。

田中先生の人懐っこい笑顔と、温かいお人柄、そして研究に対する真摯な厳しい姿勢は、私たちの心に永遠に刻まれているだけでなく、世界中の研究者の敬愛を集めました。田中先生の言葉や行動の一つひとつが、多くの人々にとっての光となり、道標となりました。

突然の別れは非常に辛く、言葉では表し尽くせない悲しみを感じます。しかし、私たちは、田中先生の偉大な功績と、先生が私たちに残してくださった貴重な教えを忘れません。先生の精神は、これからも私たちの研究や日々の生活の中で生き続けることでしょう。

田中先生と言うと、おそらく多くの人がお酒を思い浮かべると思います。朝日賞の授賞式の際のスピーチでの『賞金は全てお酒に使います』は伝説となっています。最近はご体調がすぐれず、お酒を控えておられました。早く回復されて、一緒にお酒を飲める日を心待ちにしていたのに、それがもうできなくなってしまいました。どうか、これからは、天国で恩師の市原先生、ゴールドバーグ先生も交えて久しぶりの酒盛りを心ゆくまで楽しんでください。

この追悼文を書いている今、外では、今年初めての花火の音が聞こえてきます。その音を聞きながら、田中先生との、沢山の楽しい思い出が走馬灯のように思い出されました。この大切な思い出は、今は自分の心の中に、そっとしまっておきたいと思います。

田中先生、今まで本当にありがとうございました。

そして、どうか安らかにお休みください。


※ 追悼文中の田中先生のご業績に関する部分は、先生がご執筆になった下記のエッセイを参考にし、一部引用させていただいております。
『プロテアソームの発見から生命科学の中枢へ』田中 啓二(JT生命誌研究館 | サイエンティスト・ライブラリー | No.81)