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世界で行われている研究紹介 教えてざわこ先生!教えてざわこ先生!


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一般向け 研究者向け 査読前論文

2024/3/28

ストレスによるうつ病発症;側坐核アストロサイトにおけるCREBの役割

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 側坐核*1におけるアストロサイトのストレスに対する転写レベルでの反応については、ほとんど不明である。
  • 本研究では、社会的敗北処理による慢性ストレス*2に反応する雄マウス脳側坐核のアストロサイトのトランスクリプトームを調べた結果、CREB*3 が最上位に位置する分子の一つであることがわかった。
  • ウイルスベクターを用いて、側坐核のアストロサイトにCREBを過剰発現したところ、マウスはストレスに対して脆弱になった。
図1.

うつ病、その他の精神疾患のメカニズムは不明ですが、最近のストレスとの関連性における研究により、徐々に明らかになってきました。先週お伝えしましたように、ストレスにより、末梢血の単球におけるマトリックスメタロプロテイナーゼ(MMP8) *4の発現が上がり、MMP8が脳内に侵入して側坐核の微細構造を変化させることが、うつ病をひき起こす原因となることが一つの可能性として示されましたが、他にも多くのメカニズムが関与すると思われます。以前より、拘束性ストレスによりCREBのリン酸化が亢進するという報告など、ストレスとCREBの関係が注目されてきました。これに関連して、ニューヨークのマウントサイナイ医科大学のLeanne M. Holt博士らは、マウス脳の側坐核のアストロサイトに発現しているCREBのリン酸化が社会的敗北処理による慢性ストレス*4に反応して促進することを報告しましたので(文献1)、今回は、これを紹介いたします。この論文の結果からは、側坐核アストロサイトにおいて、CREBのリン酸化が亢進することにより下流の遺伝子群の発現が促進され、ストレスに対する脆弱性が増して、うつ病発症に至るという可能性が考えられます(図1)。しかしながら、実際のうつ病の患者さんや、アルツハイマー病などの神経変性疾患(うつ症状を合併しやすい)の患者さんでは、CREBのリン酸化は低下していることが示されてきましたので、マウスを解析したこの論文の結果をヒトに適用することができるのか今後の研究が必要です。


文献1.
Astrocytic CREB in nucleus accumbens promotes susceptibility to chronic stress, Leanne M. Holt et al. bioRxiv 2024-01-1 [preprint].


【背景・目的】

齧歯類のモデルやヒトの大うつ病で、ストレスやうつにおけるアストロサイトの役割を示唆する証拠が増えている。それにもかかわらず、報酬系の鍵になり、行動に影響する領域である側坐核におけるアストロサイトのストレスに対する転写レベルでの反応については、ほとんど不明であり、それを理解することを本研究の目的とする。

【方法】

  • セルソーティング、 RNAシークエンシング、バイオインフォマティクス*5 により社会的敗北処理による慢性ストレスに反応する雄マウス脳側坐核のアストロサイトのトランスクリプトーム*6 を調べた。
  • 免疫組織化学により、側坐核のアストロサイトに発現するCREBのストレスによる変化を決定した。
  • 最後に、ウイルスベクターを用いて、CREBの発現を変えて、社会的敗北処理による慢性ストレスと組み合わせてアストロサイトによるうつ病様の行動の制御について研究した。

【結果】

  • 社会的敗北処理による慢性ストレスに反応して、ストレスに対して脆弱性、あるいは、抵抗性を示したいずれのマウスにおいても脳側坐核のアストロサイトの転写の強固な反応性を認めた。
  • バイオインフォマティクス分析では、CREBが、脳側坐核のアストロサイトのトランスプリクトームを制御する最上位の転写因子であることが示された。ストレスに対して脆弱性、あるいは、抵抗性を示したいずれのマウスにおいて、遺伝子の活性化は逆のパターンを呈した。
  • バイオインフォマティクス分析により得られた結果は、免疫組織化学により確認された。
  • ウイルスベクターを用いて、側坐核のアストロサイトにCREBを過剰発現させたマウスにストレスに対する脆弱性が認められた。

【結論】

本研究結果を合わせると、脳側坐核のアストロサイトのトランスクリプトームは、社会的敗北処理による慢性ストレスに強固に反応して、側坐核のアストロサイトの転写の調節がうつ様行動に貢献していることがわかった。これをよりよく理解することによって、精神疾患の基礎となる未知のメカニズムが明らかになるかも知れない。

用語の解説

*1.側坐核
ストレスがうつ病を促進するメカニズム〈2024/3/21掲載〉)を参照。
*2.社会的敗北処理による慢性ストレス
ストレスがうつ病を促進するメカニズム〈2024/3/21掲載〉)を参照。
*3.CREB(cAMP response element binding protein)
CREBは転写因子であり、cAMP応答配列(cAMP response element、CRE)と呼ばれる特定のDNA配列に結合し、遺伝子の転写を増加させたり低下させたりする。CREBは1987年に、ソマトスタチン遺伝子を調節するcAMP応答性転写因子として最初に記載された。
*4.マトリックスメタロプロテイナーゼ (MMP8)
ストレスがうつ病を促進するメカニズム〈2024/3/21掲載〉)を参照。
*5.バイオインフォマティクス(Bioinformatic analysis)
バイオインフォマティクスとは、生物学とITの両方の要素が入った生命科学の分類の一つです。生体分子に由来するデータ、主にDNAの塩基配列もしくはアミノ酸配列、の分析に用いられ、遺伝子やタンパク質の機能や、進化論において生物間の関係性の研究などに需要がある。2010年頃からITの分野は大きく進化し、シークエンサーも急速に進歩した。バイオインフォマティクスはその2つが交差する点である。バイオインフォマティクスと言う用語はもともと“生体分子の配列の分析”を定義する為に1980年代半ばから現れた造語であるが、現在では生物学でコンピューター技術を使用するシナリオ全般を指す。シークエンシング技術は通常、生データを断片ずつでしか生成できず、それらの破片を一つの完全なゲノムデータに組み立てる作業が必要である。この作業はシークエンスアセンブリを呼ばれプログラムやアルゴリズムによって行われるが、生成された生データの評価など、計算上まだ多くの課題を持っています。一般的なバイオインフォマティクスの用途には候補遺伝子の同定や一塩基多型の捜索などがあり、その識別は主に病気の遺伝的要素の発見、農業種において望ましい特性の選別、または集団間の表現的違いを理解する事を目的として行われる。
*6.トランスプリクトーム(Transcriptome)
ゲノムのすべての遺伝子の全体または一部のDNAをスポットしたDNAチップまたはDNAマイクロアレイを利用し、試験細胞から抽出した全mRNAを鋳型に蛍光基質を利用して逆転写をしたcDNAとハイブリダイズをしてゲノム各遺伝子の転写量を計測したパターンである。

文献1
Astrocytic CREB in nucleus accumbens promotes susceptibility to chronic stress, Leanne M. Holt et al. bioRxiv 2024-01-1 [preprint].