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2023/1/4

新型コロナウイルス感染症の重症化は脳の老化を加速させる?

文責:橋本 款
図1.

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に罹患すると、特に高齢者は認知機能が低下することが知られていますが、その機序は必ずしも明らかでは無く、これまで、分子的な解析はありませんでした。このような状況で、最近、ハーバード大学ベス・イスラエル・ディーコネス医療センターのMavrikaki博士らは、重症COVID-19患者由来の死後脳のトランスクリプトーム解析*1 による遺伝子発現プロファイルから、パスウェイ解析*2 を行ない、その結果、COVID-19の重症患者由来の前頭葉で発現した遺伝子の発現パターンが高齢者のそれと類似すること、その病態において、TNFやInterferonなどの炎症性サイトカインが重要な役割を持つことを見出しました(図1)(文献1)。これらの結果は、COVID-19が脳の老化を促進する可能性を示唆すると解釈できる所見であり、分子的な証拠に基づいた治療に結び付くポテンシャルがあると考えられます。新年の初回はこの興味深い論文(文献1)を御報告致します。


文献1.
Maria Mavrikaki et al., Severe COVID-19 is associated with molecular signatures*3 of aging in the human brain, Nature Aging | Volume 2 | December 2022 | 1130–1137


【背景・目的】

COVID-19に罹患すると認知機能は低下するが、正常老化においても認知機能の低下を伴うことから、一つの解釈として、COVID-19の老化に対する促進効果が考えられた。本プロジェクトは、この仮説を剖検脳の前頭葉皮質における遺伝子発現のトランスクリプトーム解析を通して検討することを目的とした。

【方法】

  • 重症のCOVID-19患者21人、年齢(±2歳)と性別をマッチさせた神経疾患や精神疾患の既往のない非感染者22名、さらに集中治療室(ICU)や人工呼吸器(VENT)の治療歴がある非感染者9名のコントロール(22歳〜85歳。ICU/VENT)の死後前頭葉皮質サンプルのRNA配列解析(RNA-seq)を行った。
  • これらの脳は死後経過して50時間以内のものであり、2020年9月1日~2021年12月31日にブリガム・アンド・ウィメンズ病院(ハーバード大学医学部の関連病院)、一部は、NIHのニューロバイオバンクより入手した。

【結果】

(データの量が多いので)一部を抜粋して報告いたします。

  • COVID-19感染者と、年齢や性別をマッチさせた対照者を比較したところ、6,993個の異なる発現遺伝子(DEG)が見つかり、そのうち3,330個が増加、3,663個が低下していた。
  • パスウェイ解析では、免疫関連経路が陽性に、シナプス活性、認知・記憶経路が陰性に濃縮されるなど、ヒト脳の老化に関連する多数の遺伝子が有意に重篤なCOVID-19に濃縮されていることが確認された。また、DNA損傷に対する細胞応答、ミトコンドリア機能、ストレスおよび酸化ストレスに対する応答の調節、小胞輸送、カルシウムホメオスタシス、およびインスリンシグナル/分泌経路は、以前から老化プロセスや脳の老化と関連することが知られている。
  • 遺伝子セット濃縮解析(GSEA)*4 により、低認知能力者とCOVID-19との間に強い相関があることがわかった。
  • 若年者(38歳以下)10人と高齢者(71歳以上)の非感染者10人の剖検前頭皮質試料についてRNA-seq解析を行い、これらの所見をCOVID-19のDEGと比較した結果、COVID-19と高齢者の間に顕著な類似性があることがわかった。

【結論】

これらの結果は、COVID-19の重症化は脳の老化(認知機能の低下)を加速させることを示唆するものであり、COVID-19から回復した患者の神経学的フォローアップをすることにより、老化に関連した神経学的病理および認知機能低下のリスクを低減または発症を遅らせるために危険因子を修正する必要がある。

用語の解説

*1. トランスクリプトーム解析
RNA-seq(RNA-sequencing)解析
主に次世代シーケンサーを用いたトランスクリプトーム解析を指す。トランスクリプトーム解析では対象生物のゲノム情報を基に各遺伝子のRNA発現量を解析することで、ある環境/細胞においてどの遺伝子や代謝系が活性化しているかを知ることができる。RNAの発現量を調べる手法はこれまでいくつか提案されており、10年ほど前はマイクロアレイ解析が主流であったが、現在は次世代シーケンサーを使ったRNA-seqによるものが一般的である。
*2. パスウェイ解析
遺伝子発現プロファイルから、活性化されているパスウェイや上流の分子を予測する手法のことを、一般的にパスウェイ解析という。遺伝子発現解析技術の進歩に伴い、大量の遺伝子発現解析データが、日々公的データベースに蓄積され、タンパク質間の相互作用、転写因子の制御遺伝子情報、シグナル伝達に関する新規の知見が、公表され続けている。このような膨大な過去の知見を活かして、自身の遺伝子発現プロファイルの解釈をすることは、生理現象のよりよい理解のために重要である。
*3. Molecular signatures分子署名
ある細胞に特徴的な網羅的な遺伝子の発現様式のこと。具体的には、ある機能、病態、病態ステージ、分化ステージ、細胞の形態的特徴、病態の予後など、研究、診断上の標的(課題)としている生理的又は病態、病因的特徴づけの指標として使用できるような遺伝子配列、アミノ酸配列等のことをいう。
*4. Gene-set enrichment assay: GSEA
GO解析、パスウェイ解析、に並んで、よく用いられる解析手法の1つ。これらの解析は、原理的には、遺伝子発現が増加または減少した遺伝子群を多く含む「特定の遺伝子群」を探すというものである。この「特定の遺伝子群」が、あるキーワードをアノテーションに持つ遺伝子群であったり(GO解析)、あるパスウェイに載っている遺伝子群であったり(パスウェイ解析)する。この「特定の遺伝子群」を「遺伝子セット」として、あらかじめ準備しておき、増加または減少した遺伝子群が、どの「遺伝子セット」に多く含まれているかを調べるのが、GSEAである。

今回の論文のポイント

  • 本論文の結果より、COVID-19の重症化は脳の老化を加速させる可能性があると推定されました。パスウェイ解析などで得られた知見は、治療開発につながるポテンシャルがあると考えられます。
  • RNA-seqによるトランスクリプトーム解析だけでなく、プロテオミクスなどタンパクの情報も含んだ包括的な解析が理想的かも知れません。

文献1
Maria Mavrikaki et al., Severe COVID-19 is associated with molecular signatures of aging in the human brain, Nature Aging | Volume 2 | December 2022 | 1130–1137