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2024/5/9

海馬神経系の発達におけるTREM2の役割

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • ミクログリアに発現するTREM2*1の遺伝子変異は、那須ハコラ病*2やアルツハイマー病(AD)に関連しており、TREM2の機能喪失による神経炎症の促進が、神経変性疾患の発症の原因になると考えられている。
  • 現時点で、TREM2の神経系の発達期における役割に関しては不明であり、より理解を深めることが必要である。
  • TREM2ノックアウトマウスの海馬を解析したところ、CA1領域における新生中の神経は、エネルギー代謝は低下しており、これに伴って、ミトコンドリアのサイズは減少していた。さらに、海馬の錐体神経に転写再構成*3が起こり、代謝異常、酸化的リン酸化、ミトコンドリアの遺伝子発現パターンが変化し、神経の成熟は遅れていた。
  • これらのことから、TREM2は海馬領域特異的に神経の代謝の状態を規制することにより、神経の発達を制御していると考えられた。
図1.

ADは 原因遺伝子*4(Presenilin1/2: PS1/2,Amyloid Precursor Protein: APP)のミスセンス変異によりアミロイドβの産生・分泌が亢進することで早期に常染色体優性遺伝として発症する家族性(Early-onset AD:EOAD)と、高齢期にとして発症する孤発性(late-onset AD: LOAD)の2つのタイプからなります。LOADに関しては、これまでAPOE遺伝子のE4対立遺伝子が感受性遺伝子*4である他はほとんど知られていませんでしたが、近年のゲノムワイド関連解析(genome-wide association studies: GWAS)*5により、 LOADの関連遺伝子がいくつか同定されました(図1)。それらの中でもthe triggering receptor expressed on myeloid cells 2 (TREM2)は、特に注目されています。TREM2は、膜貫通型の糖蛋白質で、細胞外に免疫グロブリン様のドメインを有し、脳では、ミクログリアに発現しています。興味深いことに、TREM2の変異は、まれな、劣性遺伝病である那須ハコラ病の原因と見なされています。那須ハコラ病は、TREM2遺伝子に機能喪失変異を有する患者が、この病気の特徴である多発性骨嚢胞による病的骨折と白質脳症による若年性認知症を示すことが知られています。また、TERM2遺伝子の点変異(ヘテロ接合体)によりLOADにおいてTERM2の機能喪失がこれらの疾患の神経炎症促進に関与する可能性があると推定されました。このように、TREM2が高齢期に有益な作用を持つのは、おそらく、発達期・生殖期に進化的に有利な作用を持つからだと推定されます。このような状況で、イタリア・ミラノにありますIRCCS Humanitas Research HospitalのErica Tagliatti博士らは、マウスにおいて、TREM2が発達期・生殖期における海馬CA1領域にある錐体細胞*6の生体エネルギー機構の制御に重要な役割を担うことを観察しました。これらの結果は、最近、Immunity (Cell Press)に掲載されましたので(文献1)、今回はその論文を紹介いたします。


文献1.
Trem2 expression in microglia is required to maintain normal neuronal bioenergetics during development. Tagliatti et al., 2024, Immunity 57, 86-105. January 9, 202


【背景・目的】

TREM2は、脳では、ミクログリアに発現する、骨髄系細胞特異的な遺伝子であるが、その点変異体のいくつかは、ADを含む神経変性疾患に関連している。TREM2はミクログリアによるシナプスの調整に本質的な役割を果たしているが、TREM2が神経系の発達期にどのように貢献しているのかは不明であり、これを理解することを本研究の目的とした。

【方法】

この目的のために、TREM2ノックアウトマウスを作成し、新生児期(P1)のマウスの海馬神経の代謝機能を解析した。

【結果】

  • TREM2ノックアウトマウスの海馬CA1領域における新生中の神経は、コントロールマウスのそれに比べて、エネルギー代謝は低下しており、これに伴って、ミトコンドリアのサイズは減少し、形態異常も見られた。CA3領域の神経については、異常が無かった。
  • これに並行して、TREM2ノックアウトマウスにおいて、出生時における海馬の錐体神経に転写再構成が起こり、代謝異常、酸化的リン酸化、ミトコンドリアの遺伝子発現のパターンが広く変化し、CA1領域の神経の成熟は遅れていた。

【結論】

以上の結果より、TREM2は領域特異的に神経の代謝の状態を規制することにより、神経の発達を制御する役割をしていると考えられた。

用語の解説

*1.TREM2(Triggering receptor expressed on myeloid cells 2)
TREM2は、主に日本およびフィンランドに集積している多発性の骨囊胞と白質脳症を主徴とする常染色体劣性遺伝形式の稀少疾患である那須ハコラ病の病因遺伝子として同定された。その後、TREM2 遺伝子の点変異がアルツハイマー病発症のリスク上昇に有意に関連していることがわかった。TREM2 は膜貫通型の糖タンパクであり、細胞外にイムノグロブリン様構造を持っている。TREM2 分子自体は、シグナル伝達部位を持たないためシグナル伝達アダプター蛋白の DAP12 分子と細胞膜で会合している。DAP12 分子はImmunoreceptor thyrosine-based activation motif(ITAM)を持っており、Syk/ZAP70、Erk シグナル伝達系を活性化し、細胞内に活性化シグナルを伝達する。DAP12 分子は免疫系細胞に多く発現しており、マウスでは TREM2/DAP12 複合体は主に immature 樹状細胞、破骨細胞、ミクログリアに発現している。
*2.那須ハコラ病(Nasu-Hakola disease)
那須ハコラ病は、TREM2遺伝子に機能喪失変異(常染色体劣性遺伝病)により、多発性骨嚢胞による病的骨折と白質脳症による若年性認知症を示すことが知られている。那須ハコラ病の骨病変は破骨細胞機能、神経病変はミクログリア機能の障害によって生じると考えられている。
*3.転写再構成
細胞が特定の機能を発揮するためには、「特定の転写因子とそのネットワーク」が必要であるが、細胞に「別の転写ネットワーク」を発現することで、機能を転換(再構成)させることが出来る。
*4.原因遺伝子と感受性遺伝子
単一遺伝子疾患においては、特定の変異遺伝子を持つことが発症に必要であることから、原因遺伝子と呼ばれるのに対して、多因子疾患の発症に関わる遺伝子は感受性遺伝子と呼ばれる。何故なら、多因子疾患では、複数の遺伝子が少しずつ発症に関与し、しかも患者さんによって保有する発症関連遺伝子の組み合わせが異なるからである。発症関連遺伝子の保有が直ちに発症に結びつくのではなく、発症の危険率が上昇することを意味し、感受性遺伝子と呼ばれる。
*5.ゲノムワイド関連解析 (genome-wide association studies: GWAS)
GWAS、またはゲノムワイド関連研究は、ゲノム科学において、異なる個人のゲノム全域にわたる遺伝的変異一式を対象に、ある形質に関連する変異があるかどうかを調べる観察研究である。GWAS は、通常、一塩基多型(SNP)とヒトの主要な疾患などの形質との関連に焦点を当てているが、他のすべての遺伝的変異や他の生物にも同様に適用できる。
*6.錐体細胞(pyramidal cell)
は、大脳皮質と海馬に存在する主要な興奮性の神経細胞である。カハールにより発見・研究された。細胞体がいくらか長く伸びた錐形をしているためこの名がある。

文献1
Trem2 expression in microglia is required to maintain normal neuronal bioenergetics during development. Tagliatti et al., 2024, Immunity 57, 86-105. January 9, 202