免疫医薬グループ 鈴木 輝彦
先日開催いたしました2026年度第1回都民講座では、日々進化を続ける血液がん治療の最前線と、日本発の次世代バイオ医薬品開発に向けた挑戦についてお届けいたしました。

はじめに、横浜市立大学附属市民総合医療センターの宮崎拓也先生を講師にお迎えし、「新しい血液がん治療」についてご解説いただきました。血液がん治療は、従来の抗がん剤による化学療法から始まり、現在では私たちの体が持つ免疫の力を引き出す免疫療法へと発展してきています。宮崎先生からは、遺伝子改変技術を利用してがんを見つける力と攻撃する力を融合させた「CAR-T(カーティー)療法」や、免疫細胞であるT細胞をがん細胞の近くに引き寄せて攻撃を助ける「二重特異性抗体」といった最先端の治療法が紹介されました。

続いて私、鈴木から「次世代バイオ医薬品開発への挑戦」と題してお話ししました。宮崎先生からご紹介のあったCAR-T療法などの最先端医療は、高い効果をもたらす一方で、患者さん一人ひとりに合わせて製造されるため、コストが非常に高額であるという経済的な課題も抱えています。日本が置かれている状況に目を向けると、こうした高額な最先端バイオ医薬品の多くを海外からの輸入に頼っており、日本は大幅な医薬品貿易赤字を抱えているのが現状です。
このような背景から、経済的にも日本独自の創薬技術を構築することが急務となっています。これまでの抗体医薬では細胞表面にある標的しか狙えませんでしたが、私たちが注目する次世代の「TCR医薬」は、細胞の内部に隠れたがんの目印を認識して攻撃することが可能です。私たちは、このTCR医薬の開発を妨げていた「ヒトとマウスの免疫の仕組みの違い」という壁を打ち破るべく、新たな技術を開発して世界で初めて「MHC遺伝子群完全ヒト化マウス」の作製に成功しました。
本講座では、これまで治療が難しかった患者さんたちに新たな希望をもたらす、「CAR-T療法」や「二重特異性抗体」といった最先端の血液がん治療についてお伝えしました。一方で、日本も独自の先端医薬を開発し国際的な競争力を持たなければ、今後さらに医薬品貿易赤字が拡大し、経済を圧迫することが懸念されます。私たちが開発した「MHC遺伝子群完全ヒト化マウス」は、次世代の免疫医薬開発を強力に推進し、がんのみならず自己免疫疾患やアレルギー疾患の根本治療をも生み出す可能性を秘めています。この日本発の技術を活用して、新たな医薬品開発に貢献してまいります。
脳神経回路形成プロジェクトリーダー 丸山 千秋
2026年5月11日(月)、当研究所にて、第16回 都医学研シンポジウム「ヒト脳進化を駆動した哺乳類脳の発生原理」が開催されました。このシンポジウムでは、私たちの脳がどのようにして現在の複雑で高性能な形へと進化を遂げたのか、そのメカニズムから進化の過程で生じた「光」と「影」、すなわち機能向上と同時に抱える脆弱性まで、多角的な視点から最先端の研究成果が発表されました。10名の外部講師をお招きし、総勢11名で6時間にも及ぶ講演となり、私たちの脳の不思議に迫る知識交流の場となりました。
開会挨拶としてまず私から、ヒトの脳進化の特徴について「ウィキッド・アダプテーション」と表現しました。これは、ヒト脳は高い学習能力や適応力といった機能的な優位性を獲得した一方で、神経発達障害や精神疾患への脆弱性といったリスクを抱え込んだ進化を遂げたという、複雑な適応現象を意味します。このトレードオフ(あちらを立てればこちらが立たない関係性)を理解するためには、脳が作られる「発生過程」を深く探ることが不可欠であると強調致しました。

慶應義塾大学・医学部解剖学教室の仲嶋 一範 教授は、脳が作られる初期の段階で神経細胞がどのように移動するかについて研究されています。
仲嶋教授は、大脳皮質と海馬、という脳の異なる部位において神経細胞の移動の仕方に違いが見られ、この違いに関わる遺伝子を同定した研究結果について解説されました。

京都大学・医生物学研究所の野々村 恵子教授と、奈良女子大学・研究院自然科学系生物科学領域の岡本 真由美 准教授からは、「PIEZO1(ピエゾワン)」という機械刺激を感知するセンサー分子の重要性が示されました。野々村氏は、PIEZO1が機能しないと脳に水がたまる「水頭症」を発症すること、そして脳脊髄液の流れ(液流)を感知して脳内環境を整える「繊毛」の成熟を制御する可能性を指摘しました。

岡本准教授は、このPIEZO1が、脳の赤ちゃん細胞(神経前駆細胞)の増殖や、細胞が未熟な状態を保つことにも深く関与していることを発表し、物理的な力が脳の形作りにおいて重要な役割を果たすことを示されました。

京都大学・生命科学研究科高次生命科学専攻・脳機能発達再生制御学の今吉 格 教授からは、細胞内で特定の遺伝子(Ascl-1)が周期的に増減する「振動発現」という現象が、細胞が様々な細胞へと分化するタイミングを精密に制御する上で重要であるという、遺伝子発現のダイナミクスに関する新たな知見が紹介されました。

京都工芸繊維大学・応用生物学系の野村 真 教授の講演では、「GLI3」という遺伝子のわずかな変化が、ヒトの体の形や脳の発生、疾患リスクに影響を与える「進化の二面性」が語られました。特にネアンデルタール人にも見られたこの遺伝子の特定のアミノ酸変異が、現代人の神経管閉鎖障害のリスクと関連する可能性が示されました。

藤田医科大学教授兼ヘルシンキ大学グループリーダーの難波 隆 教授からは、ヒトの脳に特有の増殖能力の高い細胞(ベーサルラジアルグリア:bRG)を支えるための、進化的に獲得された代謝メカニズムが紹介されました。ヒトに特有の遺伝子がミトコンドリアの働きを活性化し、bRGの増殖を促進することで脳の拡大を可能にした一方で、ドーパミン代謝を介してbRGの増殖を促す遺伝子の同定について説明され、「小頭症」などの疾患解明への道筋も提示されました。

大阪大学大学院・医学系研究科小児科学分野の北畠 康司 教授の発表は、ダウン症候群の研究を通じてヒト脳発生の「臨界点」を浮き彫りにしました。21番染色体上にある「DYRK1A」という遺伝子コピー数が「多すぎても少なすぎても」正常な脳発達ができないことを実証し、進化がもたらした精緻なバランスの脆弱性を指摘しました。

私、丸山からは、霊長類の胎児期大脳皮質で一時的に大きく発達し、視床皮質軸索の適切な誘導を担う「サブプレート(SP)層」に注目して、このSP層の拡大を引き起こす主要な因子である転写因子を同定した研究結果について報告しました。
SP層の拡大は、複雑な脳回路を構築するための柔軟性をもたらしますが、同時に発達過程の不安定化というコストを伴う「ウィキッド・アダプテーション」の具体例であると考察しました。

浜松医科大学・医学部神経生理学講座の新明 洋平 教授からは、独自の発見である「ドラキシン」という分子が神経回路形成の鍵を握ること、そしてフェレットを用いた研究で「アストロサイト」という細胞の増加が脳のしわ形成に不可欠であることが示されました。特に、ヒトにも見られる特殊なアストロサイトの形態とその高速なCa2+ 振動活動が、脳の情報処理に貢献する可能性が示唆されました。

金沢大学・医薬保健研究域医学系脳神経医学研究分野の河﨑 洋志 教授もまた、フェレットをモデルに脳のしわ形成メカニズムを解説しました。しわが脳脊髄液の循環効率を高める上で決定的な役割を果たしていることを明らかにし、特に「脳溝」が脳脊髄液の浸透を促す「ホットスポット」として機能するという画期的な知見を発表しました。これは、脳の形が機能と密接に結びついている進化的なデザインを示すものです。

最後に、大阪大学大学院・生命機能研究科ヒト進化・機能ゲノミクス研究室の鈴木 郁夫教授は、人類の脳が短期間で拡大した謎を解明しました。ヒト特有の「NOTCH2NL」遺伝子が神経細胞の増殖を促し、脳容積拡大に貢献した「光」の側面だけでなく、「影」の側面も存在します。脳を大きくする恩恵をもたらす一方で、悪性の脳腫瘍「膠芽腫(グリオブラストーマ)」の発症リスクを高める可能性も指摘されており、進化の“代償”とも言える二面性が示唆され、生命の根源的なトレードオフが浮き彫りになりました。
総合討論では、脳拡大に伴う機能的トレードオフ、研究ツールであるオルガノイドの限界と将来性、進化が持つ非線形性や偶然性など、幅広い議論が交わされました。会場との活発な質疑応答を通じて、ヒト脳進化研究に残された課題や新たな研究の方向性も浮き彫りとなりました。
複雑なヒトの脳がどのようにして形成され、機能し、そして病気になるのか――この根源的な問いへの探求は、今後も新たな知見を生み出し続けるでしょう。
学術支援室 笠原 浩二
東京都は「科学技術週間」期間中、4月18日、19日に小・中学生を対象とした科学技術イベント『Tokyo ふしぎ祭(サイ)エンス 2026』を日本科学未来館で開催しました。青少年やその保護者等、都民の科学技術への更なる関心と理解を深めるとともに、科学技術の振興を図ることを目的とし、18のコンテンツが実施されました。
当研究所は、18日に「DNA博士になろう!」と題し、3つの体験型企画を実施しました。
企画1「ブロッコリーからDNAを取り出そう!」では、ブロッコリーをすり潰しDNAを抽出し、エタノールを加えるとDNAが白い沈殿として見えてくる実習です。はじめにイントロダクションとして体内時計プロジェクトの大学院生コンビの佐藤丈瑠さんと中村宇太郎さんが「遺伝子とDNA」について解説しました。小学生相手のイベントとして、遺伝子の妖精「デオキシリンリン」とお友達の「博士」にふんし、子供たちを飽きさせない絶妙な掛け合いで大変盛り上がりました。その後の実習では、白く浮き上がってきたDNAを見て楽しそうな様子で「触ってもいい?」「ちょっとネバネバしてる!」という声が子供たちから聞こえました。親御さんからは、「ブロッコリー以外では何が使えるのですか?」という質問が多く出ました。
企画2「DNA鑑定で犯人を捕まえよう!」では、ストーリー仕立てで、DNAの「電気泳動」という科学者が実際に行っている分析手法を体験してもらいました。光るDNAを観察しミステリーを解き明かすドキドキの実習で、再生医療プロジェクト宮岡佑一郎リーダーの指導のもと大学院生の安田有冴さんと篠﨑佳代子さんが分かりやすく解説しました。犯人が見つかったとき参加した小学生から大きな歓声が上がり、大いに盛り上がりました。DNA鑑定の話は、親御さんたちの関心を特に引いているようで、電気泳動したゲルの写真と配布したプリントをもとに「家で復習します!」や「小学生向けだけど(聞いていて)大人でも難しい!」などの言葉をいただきました。
企画3「DNAの二重らせんを作ろう!」では、ビーズを使って DNA の二重らせんストラップを作成しました。「らせん構造は逆向き(逆方向の巻き方)の人もいるんですか?」や「(アデニンAとチミンT、グアニンGとシトシンCの組み合わせで適当に並べつつ)この並びのDNAを持つ生き物も、探したらどこかにいますか?」など洞察力の高い質問をしてくれました。また小2の男の子は「デオキシリボースでしょこれ。」「これがねプリン*なんだけど、お菓子のプリンじゃなくて、DNAのプリン!」と楽しんでくれている様子でした。
(*プリン体:DNA核酸にはAとGのプリン塩基とCとTのピリミジン塩基という2種類の塩基が含まれています。プリン塩基は代謝されると尿酸にかわり、たまり過ぎると痛風の原因になります。)
ご参加されたお母様と二人の子どもさんからは、「楽しかったね。ママも楽しかった。」と大変嬉しいご感想をいただきました。また親御さんからは、医学研で独自に実験教室をやっていないか聞かれました。さらに、大学のどの学部に行けばいいか、などと学生スタッフとお話ししているケースも見られました。ご参加いただいた約300名の皆様方が、今回の体験をきっかけに、少しでも科学に興味を持っていただけたら幸いです。東京都医学総合研究所は、今後もこのような体験を通じて、青少年や都民の皆様が科学の面白さや重要性を体感できる機会を積極的に提供してまいります。
