新型コロナウイルスや医学・生命科学全般に関する最新情報

  • HOME
  • 世界各国で行われている研究の紹介

世界で行われている研究紹介 教えてざわこ先生!教えてざわこ先生!


※世界各国で行われている研究成果をご紹介しています。研究成果に対する評価や意見は執筆者の意見です。

一般向け 研究者向け

2024/6/25

抗がん剤の再利用による筋萎縮性側索硬化症の治療

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 筋萎縮性側索硬化症(ALS)*1は、稀少で、重篤な特効薬のない進行性の神経変性疾患である。
  • 最近、がんと神経変性疾患のメカニズムの共通性の視点から、抗がん剤の再利用の可能性が注目されている。実際、ボスチニブに関する臨床治験も進んでいる。
  • 本論文は、抗がん剤のALSの治療薬開発に関するナラティブ・レビュー*2である。
図1.

ALSは運動神経の変性により筋肉が萎縮し、四肢が麻痺し、最終的に呼吸困難となる神経変性疾患の中でも最も壮絶である稀な疾患です。現在、ALSの治療薬として、リルゾールやエダラボンなどいくつか認可されていますが、劇的な効果はないので新薬の開発が望まれています。このような状況で、最近、京都大iPS細胞研究所の研究チームが、ALS の患者さんに対し、既存の白血病治療薬「ボスチニブ」を投与する第2相臨床治験*3を行った結果、病気の進行を抑制する有効性を確認したと発表しました。抗がん剤をALSに再利用すること(図1)、すなわち、既存薬を別の疾患の治療に使うドラッグ・リポジショニング*4は費用と時間を節減し、最近の治療薬開発の重要な戦略になっています。また、ALSの病態は複雑であることも治療研究が進まない理由の一つですが、患者さん個人由来のiPS細胞を疾患モデルとして使うことにより、将来的には、個別化医療*5に繋がる可能も期待されます。ALSの治療開発における抗がん剤の再利用に関しては、病態メカニズムの点からも興味深く、他の頻度の少ない重篤で有効な治療法のない疾患にも応用できますから、十分に理解しておいた方が良いと思われます。今回は、イタリア・ローマにある高等衛生研究院 (Istituto Superiore di Sanità) のRosa Luisa Potenza博士らによる総説論文が、Int. J. Mol. Sci.誌に掲載されていますので(文献1)、この論文の要点を説明いたします。ALSに対して少しでも治療法が改善することが期待されます。


文献1.
Can Some Anticancer Drugs Be Repurposed to Treat Amyotrophic Lateral Sclerosis? A Brief Narrative Review, Rosa Luisa Potenza et al., Int. J. Mol. Sci. , 2024, 25(3), 1751


【序論:ALSとは?】

ALSは、上位、下位の運動神経が選択的に変性し、通常は、呼吸不全で発症から3〜5年以内に死亡する稀な(10万人当たり4.1~8.4人) 神経変性疾患であり、高齢化とともに増加している。ALSの90%以上が散発性、〜10%が家族性である。散発性の約10%、家族性の約60%に銅・亜鉛スーパーオキシドディスムターゼ(SOD1)、TAR DNA結合タンパク質43 (TDP-43)、FUSタンパク質(FUS)、C9ORF72 (chromosome 9 open reading frame 72) の遺伝子異常が認められる。また、多くのALSに認知障害、錐体外路症状が認められることから、ALSは多系統の疾患であると考えられる。

【ALSの治療開発:抗がん剤のリポジショニング】

  • 現在、ALSの治療薬として、リルゾール(Riluzole)やエダラボン(Edaravone)が認可されて販売されているが、両薬剤ともに著効を示すわけではない。しかしながら、新薬の開発は、費用・時間ともにかかるプロセスであり、製薬会社は、将来の薬がどの程度、商業的にポテンシャルがあるかということに彼らの資源を割り当てることになる。したがって、稀少疾患の場合、民間産業の興味は限られたものになる。
  • 治療薬の再利用、所謂、ドラッグ・リポジショニングは、薬剤開発のための費用と時間を節減することが出来るという利点があるので奇病*6に対する治療開発の機会を提供する(図1)。実際、既に認可されている薬剤は、薬力学、薬物動態、臨床的な場面における安全性が既に確立されており、研究プロセスを迅速に安価にすることができて、新しい医薬品に適用される。リポジショニングは2つの病気の間で共有される病理学的なメカニズムに薬剤が作用する。もっと複雑な視点から見るならば、リポジショニングは薬剤の乱交的な性質に依存する可能性がある。多くの場合、複数のターゲットと相互作用し、それぞれが役割を果たすと思われる。
  • いくつかの証拠は、神経変性疾患とがんの間の興味深い関係があることを浮き彫りにする。特に、細胞の過剰な増殖と細胞の損失という2つの正反対の特徴を持つ現象にも関わらず、いくつかの抗がん剤はALSを含む神経変性疾患に再利用されることが示唆されてきた。

【蛋白キナーゼ(PK)阻害剤】

  • 抗がん剤のうち注目されているのは、PK阻害剤であり、中でも、チロシン受容体キナーゼが最も特徴付けられている。
  • 散発性ALS患者さん、及び、トランスジェニックマウスmSOD1G93Aの脊髄では、c-Abl蛋白の発現・リン酸化が増加しており、c-Ablが潜在的な治療標的となる可能性があることを示唆している。
  • 散発性ALS患者さんから作製したiPS細胞では、スクリーニングしてヒットした化合物の半分はSrc/c-Ablの伝達経路を標的としていた。著者らは、Src/c-Abl阻害剤のボスチニブ(慢性骨髄性白血病治療薬として認可)がオートファジーを促進し、ALS神経細胞の変性を抑制した。
  • ボスチニブの神経保護効果はmSOD1トランスジェニックマウスにおいても確認された;腹腔内投与(100mg/kg)で病気の発症をわずかに遅らせ、生存期間を延長した。脊髄におけるSOD1蛋白のミスフォールディングや運動神経の細胞死は有意に抑えられていた。
  • 日本の研究者により、第1相臨床試験が行われ、ボスチニブの治療を受けた患者さんは臨床的に安定を維持していた。(上述のように、最近の第2相臨床試験では、ボスチニブの有効性が示された。)
  • イマチニブ(リンパ芽球性白血病治療薬)やマシチニブ(c-KIT受容体阻害剤)などのチロシン受容体キナーゼ阻害剤によるALS の治療効果に関しても独立して検討されている。

【その他の抗がん剤】

アルキル化剤(e.g. Cisplatin), 代謝拮抗薬(e.g. 5-FU), ビンカアルカロイド(e.g. Vincristin), ホルモン受容体拮抗薬(e.g. Tamoxifen) などの多くの抗がん剤に関して、ALSの治療薬としての再利用の可能性が考えられている。

【結論】

神経変性とがんの共通したメカニズムを考慮すると、抗がん剤のリポジショニングによるALSの治療開発はポテンシャルがあり、非常に魅力的な治療戦略である。今後、ネットワーク医学を取り入れることにより、さらに発展していく可能性がある。しかしながら、現時点では、抗がん剤の中枢神経系への作用に関して、不明な部分も多く、副作用の問題もあり、慎重に進めていく必要がある。

用語の解説

*1.筋萎縮性側索硬化症(ALS: Amyotrophic lateral sclerosis)
ALSとは、体を動かすのに必要な筋肉が徐々にやせていき、力が弱くなって思うように動かせなくなる病気である。筋力の低下が主な症状であるが、筋萎縮性側索硬化症は筋肉の病気ではなく、筋肉を動かしている脳や脊髄の神経(運動ニューロン)がダメージを受けることで発症する。脳から筋肉に指令が伝わらなくなることで手足や喉、舌の筋肉や呼吸筋が徐々にやせていく。筋肉がやせると体を上手く動かすことができず、呼吸筋が弱まると呼吸困難に陥り人工呼吸器が必要になる。一般的に症状の進行は速く、人工呼吸器を使用しなければ発症から2~5年で死に至ることが多いといわれているが、個人差は非常に大きく10年以上かけてゆっくり進行する場合もある。日本における患者数は約1万人とされ、男女比は1.2~1.3:1とやや男性に多い傾向にある。中年以降に発症することがほとんどで、特に60~70歳代に多くみられる。
*2.ナラティブ・レビュー(Narrative review)
「ナラティブ」とは、患者が語る罹患の経緯、病気に対する考えなどの「物語」を通じて、病気の背景や人間関係を理解することを指す、ナラティブレビューは、システマティックレビューのようにバイアスを最小限にするための手法を用いずに書かれた総説のことで、書籍の中に典型的にみられるもので、疾患の原因、診断、予後または管理の1つまたは複数の局面に関わる考察が含まれ、多くの背景疑問、前景疑問および倫理的疑問が扱われる。
*3.「ボスチニブ」を投与した第2相臨床治験
ボスチニブ(Bosutinib)はチロシンキナーゼ阻害作用を持つ抗がん剤(分子標的薬)であり、慢性骨髄性白血病の治療に用いられる。ワイスにより創薬され、ファイザーによる買収後、同社で開発が継続された。研究チームは、「ALS患者さんを対象としたボスチニブ第2相試験」(iDReAM試験:iPSC-based Drug Repurposing for ALS Medicine Study)を行い、ボスチニブの有効性と安全性を評価した。同チームはこれまでALS患者さんのiPS細胞を用いて、病態再現と薬剤スクリーニングを実施し、慢性骨髄性白血病の治療薬であるボスチニブが強い抗ALS病態作用を有することを見出し、この薬をALS治療薬として開発するために、医師主導治験を実施してきた。第2相試験では、投与した患者さん26人中、半数以上で運動機能障害の進行を抑制する効果がみられた。
*4.ドラッグ・リポジショニング
ドラッグ・リポジショニングとはヒトでの安全性と体内動態が実績によって既に確認されている既存薬から,新たな薬効を見つけ出し,実用化につなげていこうという研究手法を指す。
*5.個別化医療(Personalized medicine)
個別化医療とは、一人ひとりの体質や病気のタイプに合わせた治療を行うことをいう。 例えば、患者さんの体質や病気に関連している遺伝子をより細かく調べた上で、個々の患者さんの体質や病気のタイプに合わせて治療を行うことを指す。
*6.奇病 (Orphan disease)
一般的には患者数がきわめて少なく、製薬企業が関心を示さないような疾患のことをいう。米国では国内患者数20万人以下、日本では10万人以下であればOrphan diseaseの基準を満たしている。

文献1
Can Some Anticancer Drugs Be Repurposed to Treat Amyotrophic Lateral Sclerosis? A Brief Narrative Review, Rosa Luisa Potenza et al., Int. J. Mol. Sci. , 2024, 25(3), 1751