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2024/8/29

モノクローナル抗体を用いたハンチントン病モデルマウスの治療

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • ハンチントン病(HD)*1の原因となる核内分子ハンチンチン(HTT)*1は、ポリグルタミンが伸長することにより凝集性・神経毒性が増して、大脳基底核の一部(線条体)に神経変性を引き起こす。
  • 本研究では、HDの抗体療法、すなわち、HTTに対するモノクローナル抗体(Mab)のHDの治療に対する有効性を検討するため、その前段階としてHDのモデルマウスを用いた動物実験を実施した。
  • その結果、投与したMabC6-17はYAC128マウス*2の中枢、及び、末梢の神経系に分布し、HTT蛋白の発現を低下させた。コントロールのMabまたはビ-クル処理マウスと比較して、Mab C6-17処理マウスは、体重と運動挙動の改善、運動障害の進行の遅延、および線条体神経変性の改善を呈した。
  • 本研究は、抗HTTMabを用いた受動免疫によるHDの疾患修飾治療*3の実現可能性と治療効果に関する概念実証を提供し、HDの臨床試験を支持するものである。
図1.

これまでお伝えして来ましたように、アミロイド蛋白に対するMabを用いた受動免疫による疾患修飾治療の確立を目指して、アルツハイマー病(AD)の患者さんに対する第3相臨床試験が成功し、続いて、パーキンソン病(PD)でも、現在、臨床治験が精力的に行われています。その他の神経変性疾患においても、神経毒性のあるアミロイド蛋白凝集物の除去が治療の目的になりますから、ほぼ同様の研究の流れで進んで行くものと予想されます。これらの疾患に関しては、まず、動物モデルを用いた研究段階を経て、患者さんを対象にした臨床治験を実施するかどうかが判断されます。この様な状況で、スイス・HD Immune社のStefan Bartl博士らは、HDの原因となるHTTに対するMab(MabC6-17)がHDの治療に有効かどうかを検討するため、HDの臨床試験の前段階としてHDのモデルマウスを用いた動物実験を実施しました。HTTは原因となる核内分子であり、ポリグルタミンが伸長することにより凝集性が増して核内封入体を形成しますが、何割かは、核外へ移行し、さらに、細胞外へ放出されて、隣接する神経細胞に播種することにより神経変性が伝播する機序が想定されています(図1)。MabC6-17による治療に関しては、抗体は細胞内に入りにくいため、細胞外に漏出したHTTが標的になると思われます(図1)。このような考えを基づいて、MabC6-17をHDのモデルマウスに5~8ヶ月腹腔内投与した結果、HTTの蓄積、炎症、運動能力は有意に改善したことから、モデルマウスにおいては、MabC6-17受動免疫による治療が有効である可能性が示されました。これらの結果は、HDの臨床試験を支持するものであり、Neurobiology of Disease誌に掲載されましたので(文献1)、今回はそれを紹介いたします。


文献1.
Reducing huntingtin by immunotherapy delays disease progression in a mouse model of Huntington disease, Stefan Bartl et al., Neurobiol Dis. 2024 Jan:190:106376.


【背景・目的】

HDの原因となるHTTに対する抗ハンチンチン抗体C6-17による受動免疫がHDの治療に有効かどうかをHDの臨床試験の前段階として、HDのモデルマウスを用いた動物実験により検討することを研究目的とした。

【方法】

  • Mab C6-17はHTTのカスパーゼ6の切断部位(アミノ酸586番目の残基)から17アミノ酸を抗原にして作製した。Mab C6-17がHTTの細胞間播種を抑制することは、イン・ビトロ*4の実験で確認した。
  • イン・ビボ*4において細胞外のHTT蛋白の負荷を取り除くことが治療に繋がるかどうか判断するために(図1)、YAC128 HDモデルマウスを用いて検討した。

【結果】

  • 一連の概念実証*5の実験において、Mab C6-17は中枢、及び、末梢の神経系に分布し、HTT蛋白の発現を低下させた。
  • コントロールのMabまたはビ-クル処理マウスと比較して、Mab C6-17処理YAC128動物は、体重と運動挙動の改善、運動障害の進行の遅延、および線条体神経変性の改善を呈した。

【結論】

これらの結果は、抗HTTMabを用いた受動免疫によるHDの疾患修飾治療の実現可能性と治療効果に関する概念実証を提供することにより、新しいHD治療戦略として抗体医薬の有効性を示唆するものである。

用語の解説

*1.ハンチントン病(HD)、ハンチンチン(HTT)
HDとは、第4染色体に局在するHTT遺伝子の変異によって、不随意運動などの運動症状、精神症状、行動異常、認知障害が現れる遺伝性の神経変性疾患である。このような症状は、運動機能や認知機能などをつかさどる脳の大脳基底核や大脳皮質が萎縮することで生じ、突然発症した後ゆっくりと進行していく。主に成人になってから発症し、30歳代に多い傾向があるが、小児期に発症することもあれば高齢期になって発症することもある。20歳以下に発症するものは若年型HDと呼ばれ、その割合は全体の10%程度とされている。日本におけるHDの頻度は100万人あたり7人程度と非常にまれな病気である。現在のところ根治的な治療法はなく、国の難病に指定されている。HTTは、ヒトではHTT遺伝子にコードされるタンパク質である。HTT遺伝子はIT15(interesting transcript 15)という別名でも知られる。HTT遺伝子の変異はHD病の原因となり、疾患における役割や長期記憶の保存との関係の研究が行われている。HTTの構造は多様であり、タンパク質中のグルタミン残基の数が異なる多くの多型が存在する。野生型(正常型)では多型部分には6個から35個のグルタミン残基が含まれているが、HD患者さんでは36個以上(最長報告例では約250個)のグルタミン残基が存在する。HTTタンパク質の分子量はグルタミン残基の数に大きく依存するが、予測分子量は約350kである。正常なHTTは、一般的には3144アミノ酸からなる。このタンパク質の正確な機能は未解明であるが、細胞内では、HTTはシグナル伝達、物質の輸送、タンパク質やその他の構造への結合、アポトーシスからの保護に関与している可能性がある。HTTタンパク質は出生前の正常な発生に必要である。
*2. YAC128マウス
トランスジェニックマウスの作製に遺伝子改変する際、巨大DNA用のクローニングベクター;酵母人工染色体(YAC;Yeast artificial chromosome)ベクターを用いる。YAC128 トランスジェニック HD マウス モデルは、グルタミン残基の伸長を伴う完全長ヒトHTTタンパク質を発現し、ヒトHD脳で見られるような年齢依存的な線条体ニューロンの喪失を示す。
*3.疾患修飾治療 (Disease-modifying therapy)
疾患修飾薬とは、疾患の原因となっている物質を標的として作用し、疾患の発症や進行を抑制する薬剤のことをいう。しばしば症状改善薬と対比的に用いられる。ADに対する疾患修飾薬として、2021年6月に抗アミロイドβ(Aβ)アデュカヌマブが, その後、レカネマブ、ドナネマブと引き続いて承認された。ADでは、Aβの蓄積が病態生理学的に原因として大きいと考えられており、その除去を目指すAβ抗体や、Aβの生成を抑制するセクレターゼ阻害薬が疾患修飾薬として期待され、開発された。また、もう1つの重要な疾患原因として考えられているタウ蛋白質に作用する抗体や低分子化合物なども、疾患修飾薬として開発が行われている。一方で、症状改善薬としては、ドネペジルやガランタミンなどのコリンエステラーゼ阻害薬、メマンチン(NMDA受容体拮抗薬)が挙がる。
*4.イン・ビトロ(in vivo)、イン・ビボ(in vivo)
イン・ビトロとは、“試験管内の”という意味で、試験管や培養器等の中でヒトや動物の組織を用いて、体内と同様の環境を人工的に作り、薬物の反応を検出する試験のことを指す。これに対して、イン・ビボとは、“生体内の”という意味で、マウス等の実験動物を用い、生体内に直接被験物質を投与し、生体内や細胞内での薬物の反応を検出する試験のことを指す。
*5.概念実証(PoC:Proof of Concept)
概念実証(PoC)とは、新たなアイデアやコンセプトの実現可能性、得られる効果などを検証するプロセスである。PoCによって実現可能性が高く、期待通りの効果が見込めた段階で、試作開発などの実プロジェクトを始動するのが一般的である。似た言葉に実証実験があるが、明確な違いはない。PoCは技術・概念・アイデアの検証をする手法で、実証実験は実際の商品・プロダクトの検証をする手法になる。

文献1
Reducing huntingtin by immunotherapy delays disease progression in a mouse model of Huntington disease, Stefan Bartl et al., Neurobiol Dis. 2024 Jan:190:106376.