※世界各国で行われている研究成果をご紹介しています。研究成果に対する評価や意見は執筆者の意見です。
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2024/10/24
iPS細胞を用いたI 型糖尿病の再生医療;第1相臨床治験
文責:橋本 款
今回の論文のポイント
- 化学的に誘導されたiPS細胞(人工多能性幹細胞)*1を用いて1型糖尿病の患者さん由来の膵頭を作成した。
- これらの膵頭を、腹部部位に移植したところ、3人中1人の患者さんで生着し、75日以内に外因性のインスリン非依存性血糖コントロールが回復した。
- さらに、1年の追跡調査において安全性、及び、有効性の臨床エンドポイント*2は達成された。
- 以上の結果より、iPS細胞を用いた再生医療は1型糖尿病に有効であると考えられ、今後も臨床試験を進めることが望ましい。
1型糖尿病は、膵臓のインスリンを出す膵島のβ細胞が免疫系の異常により壊されてしまう「インスリン依存型」*3の糖尿病です。糖尿病全体(2型糖尿病や妊娠糖尿病を含む)の約5%が1型糖尿病と言われています。β細胞からインスリンがほとんど出なくなるので、1型糖尿病と診断されたら、生命を維持するために、すぐに、対症療法としてインスリン製剤を開始しますが、一日数回の注射を繰返す負担を永久に強いられるだけでなく、血糖コントロールが困難で低血糖発作やケトアシドーシス性昏睡*4という危険な副作用と常に隣り合わせの状態になります。そこで、根治療法が望まれますが、現在、試みられているのは、臓器提供者(ドナー)より善意で提供された膵臓から、膵島細胞のみを分離して移植する治療法ですが、この方法では、術後、長期的に免疫抑制剤を使わなくてはならないこと、ドナーの数が慢性的に不足しているなどの欠点があり、現実的ではありません。そこで、考えられるのが、iPS細胞を用いた再生医療の可能性です。すなわち、患者さん由来のiPS細胞からインスリンを合成する細胞を作って自家移植することで、ドナー不足と免疫抑制剤の問題は解消されるからです。実際、多くの疾患でiPS細胞を用いた再生医療の臨床治験が行われています(図1)。最近、注目すべきことに、中国天津市・南開大学のShusen Wang博士らは、北京大学との共同研究により、1型糖尿病患者さん由来のiPS細胞からインスリンを合成する細胞を作って移植し、1年経過後もインスリンの投与なしでほぼ完全に血糖コントロールができるまでに治療できたことを発表しました。これらの結果がCellに掲載されましたので(文献1)、今回はそれを紹介いたします。今回のような臨床治験の結果が基礎医学研究雑誌であるCellに受理されるは驚くべきことですが、それだけ、この問題は重要でインパクトがあるということでしょうか。ただし、気をつけなくてはならないのは、1型糖尿病の原因は不明ですが、恐らく、自己免疫異常が原因であるため、もし移植した細胞が体から「異物」として拒絶されなかったとしても、依然として免疫系が膵島を攻撃してしまうリスクがあります。従って、しばらくの間、経過を見る必要があるのではないかと考えている専門家も多いようです。
文献1.
Transplantation of chemically induced pluripotent stem-cell-derived islets under abdominal anterior rectus sheath in a type 1 diabetes patient, Shusen Wang et al. Cell in press, Corrected Proof, Available online 25 September 2024
【背景・目的】
- 今や世界中で糖尿病の患者さんの数は、総数5億人になろうとしており、そのうち、~5%が1型糖尿病である。1型糖尿病は、膵臓のβ細胞の機能障害のためインスリンがほとんど出なくなるので、再生医療により、β細胞の機能を補うのは合理的である。
- 1型糖尿病治療の患者さんから採取した繊維芽細胞よりiPS細胞を作成し、これらのiPS細胞をインスリンを合成するβ細胞に分化させて自家移植することが治療に繋がるかどうか調べることを研究目的とした。
【方法】
- この目的のため、3人の患者さんに対し、iPS由来の膵島の自家移植を行い、そのうち、患者1例の1年間の経過を予備的に解析した。
【結果】
- 患者は移植後75日目から持続的なインスリン依存から自立を達成した。患者の目標血糖域に達した時間(TIR)*5は、移植後4ヶ月までに43.18%から96.21%に増加し、非糖尿レベルの長期的な全身グルコースレベルの指標である糖化ヘモグロビン(HbA1c)*6の減少を伴っていた。
- その後、患者は安定した血糖コントロール状態を示し、目標血糖範囲内の時間は98%以上、糖化ヘモグロビンは5%前後であった。
- 1年後の臨床データは、移植に関連した異常を示すことはなく、すべての試験エンドポイントを満たしていた。
【結論】
第1相臨床治験における有望な結果により、1型糖尿病における膵島移植を評価する更なる臨床研究が正当化される。
用語の解説
- *1.iPS細胞(induced pluripotent stem cells, 人工多能性幹細胞)
- iPS細胞は、体細胞へ4種類の遺伝子を導入することにより、ES細胞(胚性幹細胞)のように非常に多くの細胞に分化できる分化万能性 (pluripotency)と、分裂増殖を経てもそれを維持できる自己複製能を持たせた細胞のこと。2006年、山中伸弥博士の研究グループによってマウスの線維芽細胞(皮膚細胞)から初めて作られた。分化万能性を持った細胞は理論上、体を構成するすべての組織や臓器に分化誘導することが可能であり、患者自身から採取した体細胞よりiPS細胞を樹立する技術が確立されれば、拒絶反応の無い移植用組織や臓器の作製が可能になる。また、再生医療への応用のみならず、患者自身の細胞からiPS細胞を作り出し、そのiPS細胞を特定の細胞へ分化誘導することで、従来は採取が困難であった病変組織の細胞を得ることができ、今まで治療法のなかった難病に対して、その病因・発症メカニズムを研究したり、患者自身の細胞を用いて、薬剤の効果・毒性を評価することが可能となることから、今までにない全く新しい医学分野を開拓する可能性をも秘めている。
- *2.エンドポイント
- エンドポイントとは、臨床試験における治験薬の有効性や安全性をはかるためのアウトカム(評価項目)である。有効性があると客観的に判断できるか、また結果に普遍性が認められるかが重要となる。エンドポイントは治験を実施する前に、項目の解析方法も含めて治験実施計画書に記す必要がある。
- *3.インスリン依存型
- 「インスリン依存型(I型)糖尿病」は、ウイルス感染や自己免疫により膵臓が破壊されておきる糖尿病である。1型糖尿病では、膵臓からインスリンがほとんど出なくなる(インスリン分泌低下)ことにより血糖値が高くなる。注射でインスリンを補う治療が必須となり、この状態を、インスリン依存状態という。「インスリン非依存型(2型)糖尿病」は、遺伝要因にくわえて、食べ過ぎ、運動不足、ストレスが加わって発症する糖尿病である。
- *4.ケトアシドーシス性昏睡
- インスリンが不足した状態では、脂肪の分解が高まり、最後に「ケトン体」という物質になる。このケトン体が著しく高くなり、血液が酸性に傾き、ケトアシド-シスと呼ばれる状態になる。ケトアシドーシスは1型糖尿病で主にみられ、糖尿病発症時やインスリン注射を中断したとき、あるいは感染症や外傷などによって極端にインスリンの必要性が増加したときに起こる。
- *5.目標血糖域に達した時間(time in range: TIR)
- 2019年6月に開催された米国糖尿病学会学術集会において“血糖管理目標に関する国際的なコンセンサス”として発表されたのがtime in range(TIR)という新たな血糖管理指標である。TIRは、24時間の血糖値の経時的変化のなかで、70~180mg/dLの治療域(target range)の範囲内にある測定回数あるいは時間が占める割合と定義される。そして1型、2型糖尿病においてはTIRが70%以上、高血糖域(time above range: TAR)を25%未満、低血糖域(time below range: TBR)を5%未満に抑えることを目標とする。
- *6.糖化ヘモグロビン(glycohemoglobin)
- 糖化グリコヘモグロビンとは、ヘモグロビンにグルコースが結合した糖化産物の総称である。ヘモグロビンは1種類のタンパク質で構成されているわけではないため、グリコヘモグロビンも1種類ではない。中でもHbA1cは臨床検査に利用されることで有名である。
- 文献1
- Transplantation of chemically induced pluripotent stem-cell-derived islets under abdominal anterior rectus sheath in a type 1 diabetes patient, Shusen Wang et al. Cell in press, Corrected Proof, Available online 25 September 2024