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2025/1/10

自閉スペクトラム症の新規マウスモデルの作製と脱メチル化阻害剤の治療効果

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • KMT2Cタンパク質は、ヒストンのメチル化修飾を触媒するH3K4メチルトランスフェラーゼであるが、KMT2C*1遺伝子のde novo変異*2による機能喪失が、自閉スペクトラム症(ASD)*3を引き起こすと考えられている。
  • 本研究では、KMT2C遺伝子のフレームシフト変異*4をヘテロ接合に持ったノックアウトマウスを開発し(Kmt2c+/fsマウス)、ASDの疾患モデルとした。
  • このマウスを解析した結果、ASD様の行動異常、遺伝子発現パターンの変化が観察された。また、このマウスを使って、リジン特異的な脱メチル化の阻害剤であるvafidemstatの治療効果を評価した。
  • 以上から、Kmt2c+/fsマウスはASDの新規マウスモデルとして有効であると思われた。
図1.

現在、ASDに対する有効な治療法はありません。ASDに対しては、まず、「療育治療」*5による介入を行い、てんかん発作、睡眠障害、不注意、多動性、衝動性、興奮、精神症状や問題行動(暴言・暴力、自傷行為など)が出現した場合には、「薬物治療」を検討します。しかしながら、これらは、対症療法にすぎないので、根本的な治療方法を開発することが重要です。近年、ASDなどの慢性疾患の進行には、de novo変異による遺伝子の機能喪失(LOF)が重要であるという考え方に基づいて、次世代シークエンサーにより網羅的にde novo変異を解析し、変異数の多い遺伝子をノックアウトすることにより、その疾患のモデルマウスを作成するようになりました。このモデルを用いて、病態メカニズムの解明や薬物の効果の評価を行うことが可能になると考えられます(図1)。今回、理化学研究所、順天堂大学、及び、東京大学の共同研究グループは、ASDの原因遺伝子の一つであるKMT2Cのヘテロノックアウトマウスを遺伝子編集(Crisper/Cas9)などの技術を用いて作製し、その変異マウスがASD患者と似た行動変化を示すこと、ASDに関連する遺伝子群の発現変化が脳内で起こっていること、このような行動変化や遺伝子発現変化の一部が薬剤投与によって回復することを報告しました。将来的には診断マーカーや新規治療薬の開発に役立つ可能性が期待されます。これらの結果は、Molecular Psychiatry に掲載されていますので(文献1)、それを紹介いたします。


文献1.
Transcriptomic dysregulation and autistic-like behaviors in Kmt2c haploinsufficient mice rescued by an LSD1 inhibitor, Takumi Nakamura et al., Molecular Psychiatry volume 29, pages 2888–2904 (2024)


【背景・目的】

最近の研究により、神経系発達障害の病態において染色体と遺伝子発現の制御が重要な役割を持つことが明らかになってきた。人間や齧歯類におけるKMT2C遺伝子の突然変異(H3K4メチルトランスフェラーゼの機能喪失型)のヘテロ接合がASDやKleefstra症候群*6の病因に関連することがわかってきた。しかしながら、KMT2C遺伝子のハプロ不全*7がどのようにして神経系発達障害の表現系の原因になるのか不明であり、これを理解するのが本プロジェクトの目的である。

【方法】

この目的のため、KMT2C遺伝子のフレームシフト変異をヘテロ接合に持ったCRISPR-Cas9によるゲノム編集マウス(ノックアウトマウス)を疾患モデルとして開発して解析した。

【結果】

  • 一連の行動解析により、変異マウスは、社会性、柔軟性、作業記憶などの欠如といった自閉症様の行動を呈し、ASDのモデルとして妥当であると思われた。
  • これらの観察された表現型の分子的なメカニズムの基礎を調べるために成体マウス脳全体に対してトランスクリプトーム解析*8を行ったところ、ASDの危険遺伝子は発現変動遺伝子(DEGs)*9の発現上昇した遺伝子群の中に濃縮されたが、ChIP-seq*10の結果、KMT2C遺伝子のピークは発現低下した遺伝子群との共在が認められた。これらの結果は、KMT2C遺伝子のハプロ不全による間接的な効果を示唆していた。
  • さらに、新生マウス脳をシングルセルRNAシーケンシング (scRNA-seq)*11で解析したところ、放射状グリアと未成熟神経においてASDに関連した転写の変化を認めた。DEGsの発現に関しては、大きな変化が無かった。
  • このモデルを使って、リジン特異的な脱メチル化の阻害剤であるvafidemstat(この薬剤は他の神経発達障害・精神障害のモデルで有効性が示された)を投与した結果、成体のKmt2c+/fsマウスにも社会性の改善に有効であった(作業記憶の改善は認められなかった)。
  • 興味深いことに、Kmt2c+/fsマウスにおけるDEGsの変化を有意に減少させ、正常マウスKmt2c+/+のそれに近づけた。

【結論】

以上、我々の研究は、KMT2C遺伝子のハプロ不全が病因論的にも表面的な妥当性においてもASDのモデルのレパートリーを広げるものである。また、リジン特異的脱メチル化阻害剤の神経発達障害・精神障害に対する治療薬の一般的な有効性を示唆している。

用語の解説

*1.KMT2C(lysine methyltransferase 2C)
KMT2C遺伝子にコードされるKMT2Cタンパク質は、ヒストンのメチル化修飾を触媒する酵素活性を持ち、このメチル化修飾を介して広汎に他の遺伝子発現に影響する。
*2.de novo変異
“de novo”は、「新たに」という意味のラテン語。通常、子供は両親から半分ずつゲノム配列を受け継ぐが、DNA複製時のエラーなどが原因となって、子のゲノムに親が持たない新たな変異が生じる場合がある。これを「de novo変異」という。点変異、短い挿入欠失変異から、数kbに及ぶコピー数変異、染色体レベルの変異まで、さまざまなサイズのものがある。デノボ変異は進化の過程において自然選択をほとんど受けないため、疾患の発症に大きく関連する変異が含まれると考えられている。
*3.自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder:ASD)
自閉スペクトラム症と統合失調症のオーバーラップについての分子生物的解析。〈2024/12/26掲載〉)参照。
*4.フレームシフト突然変異
塩基の欠失または挿入が起こり、三つ組みの読み枠がずれた時に生じる突然変異である。これは、塩基対置換よりも影響が非常に大きい。というのも、大幅に遺伝暗号がずれ、アミノ酸が変わるだけでなく、終止コドンなどもずれてしまうためである。本来止まるべき終止コドンを読めなくなったり、より手前で終止コドンが現れたりする(フレームシフトの大半はこれ)ためである。
*5.療育治療
療育(発達支援)とは、障害のある子どもやその可能性がある子どもに対して、一人ひとりの障害特性や発達状況に合わせて、困りごとの解決と将来の自立、社会参加などを目指して行う支援・サポートを指す。療育は、元々は身体障害のある子どもへの「治療」と「教育」を掛け合わせたアプローチを表す用語として使われていた。現在は、身体障害に限らず発達障害や知的障害など、障害のある子どもや発達が気になる子ども全般が対象となっている。厚生労働省の「児童発達支援ガイドライン」では、「児童発達支援」を次のように定義している。「児童発達支援は、障害のある子どもに対し、身体的・精神的機能の適正な発達を促し、日常生活及び社会生活を円滑に営めるようにするために行う、それぞれの障害の特性に応じた福祉的、心理的、教育的及び医療的な援助である。」
*6.クリーフストラ症候群(KS: Kleefstra Syndrome)
KSは、まれな遺伝性の精神神経疾患の一つで、発達遅延や知能障害、自閉症様の症状が見られる。 KSの原因遺伝子として、ヒストンタンパク質のメチル化酵素であるGLPをコードするEHMT1遺伝子が同定されている。
*7.ハプロ不全(Haploinsufficiency)
ハプロ不全とは、正常な単一アリルのみからの遺伝子発現量では効果が不足し、正常な機能を維持することができないことによる疾患をいう。
*8.トランスクリプトーム解析
細胞内の全DNAの塩基配列情報をさす「ゲノム」に対し、細胞内の全転写産物(全RNA)を「トランスクリプトーム」と呼ぶ。トランスクリプトームの大半はタンパク質の情報を持たないノンコーディングRNA(ncRNA)であり、エピジェネティック制御やタンパク質合成制御、幹細胞性の制御など様々な機能に関わっている。
*9.発現変動遺伝子(DEGs, Differentially Expressed Genes)
DEGsとは、異なる条件やグループ間において発現量が大きく上昇または減少した遺伝子のことである。 RNA-Seq解析やマイクロアレイ等の網羅的な遺伝子発現解析を行った後に、発現変動遺伝子の抽出(DEG解析)がよく行われる。
*10.クロマチン免疫沈降シークエンス (ChIP-Seq)
クロマチン免疫沈降(ChIP)アッセイとシーケンスを組み合わせたChIPシーケンス(ChIP-Seq)は、転写因子やその他のタンパク質のゲノム全体のDNA結合部位を同定するための強力な手法である。ChIPプロトコールに従い、DNA-結合タンパク質は特異的な抗体を用いて免疫沈降される。
*11.シングルセルRNAシーケンシング (single-cell RNA sequencing, scRNA-seq)
scRNA-seqは、次世代シーケンサー(Next generation sequencer)を用いることで、個々の細胞が保持しているmRNA全体を質的、量的に網羅的に調べる方法である。

文献1
Transcriptomic dysregulation and autistic-like behaviors in Kmt2c haploinsufficient mice rescued by an LSD1 inhibitor, Takumi Nakamura et al., Molecular Psychiatry volume 29, pages 2888–2904 (2024)