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2025/2/18

タクシーや救急車の運転手はアルツハイマー病になりにくい!?

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • ロンドンのタクシーの運転手はアルツハイマー病(AD)になりにくいことが知られているが、そのメカニズムは不明であり、これを明らかにすることは、重要である。
  • 国家人口動態統計システム(NVSS)*1の分析により住民ベースの横断的研究*2を行ったところ、興味深いことに、タクシーと救急車の運転手は、他の職業に比べてADによる死亡率*3が有意に低かった。
  • タクシーや救急車の運転手が行っているようなナビゲーション処理タスクや空間処理タスクが、ADに対する何らかの保護効果に関与する可能性を提示する。
図1.

以前に、ロンドンのタクシーの運転手はADになりにくいことが、Nature誌のニュースになりました。ロンドンでタクシー運転手の免許を取得するためには「Knowledge of London」と呼ばれる試験に合格しなければいけないのですが、ロンドン中心部の25,000もの道路に加え、建物・公園などの施設を完全に暗記し、何段階にも及ぶ筆記・口頭・実技試験をクリアする必要があり、合格するためには、通常4年間の勉強を要し、専門の予備校もあるそうです。これに関連して、中年期以降も学習することがADの予防に有効である可能性が論じられました(図1)。実際、ロンドンのタクシー運転手の脳を調べたところ(n=16)、一般の人と比べて海馬*4の体積が大きく、また、タクシー運転手の経験が長いほどその体積は増加することが報告されています。海馬は、空間認識に関わる情報の処理に重要であり、海馬で処理された情報は他の脳領域へと伝達され活用されることで脳機能を支えると考えられています。従って、ロンドンのタクシー運転手においては、難しい試験をクリアするための学習に加えて、仕事柄、空間処理とナビゲーション処理を頻繁に行う事により海馬を鍛えることが、ADの予防に役立っているのではないかと推定されます(図1)。このようなシナリオを確定するためには、大規模な症例数を解析することが必要です。米国・ハーバード大医学部・ブリガム&ウィメンズ病院のVishal R. Patel博士らは、NVSSの分析による住民ベースの横断的研究を行ったところ、興味深いことに、タクシーと救急車の運転手は、他の職業に比べてADによる死亡率が有意に低いことを見出しました。その結果は、British Medical Journal(BMJ)誌2024年12月クリスマス特集号「Death is Just Around the Corner」に掲載されましたので、今回はこの論文(文献1)について報告いたします。ADの早期予防治療の重要性を考慮すれば、本論文の結果は有益であると思われます。


文献1.
Alzheimer's disease mortality among taxi and ambulance drivers: population based cross sectional study., Vishal R Patel et al, BMJ 2024 Dec 17; 387; e082194. pii: e082194.


【背景・目的】

ロンドンのタクシーの運転手はADになりにくいことが知られているが、そのメカニズムは不明である。本研究の目的はこれを明らかにすることであり、ADの予防法・治療法開発に繋がる可能性がある。

【方法】

大規模な症例数を解析するために、NVSSから2020年1月1日~2022年12月31日のデータ(死亡時年齢18歳以上)を入手・分析した。職業欄は、以前は記述式だったが2020年にコード化され、2020~22年には米国人口の約98%をカバーしていた。データは死亡証明書に基づくもので、ICD-10*5に基づく死因、死亡時年齢、人種、民族、学歴などのほか、職業に関するデータが含まれていた。

【結果】

  • 分析対象のデータには、443の職業が含まれていた。そのうち、タクシー運転手と救急車運転手、および、他の441の各職業の、ADによる死亡率を調べ、死亡時年齢、および、その他の社会人口学的要因で補正・評価した。
  • 職業情報が入手できた897万2,221人のうち、ADが死因として記載されていたのは3.88%(34万8,328人)であった。
  • ADによる死亡率は、タクシー運転手が1.03%(171/1万6,658人)、救急車運転手は0.74%(10/1,348人)であった。死亡時の年齢等で補正後は、救急車運転手は0.91%(95%信頼区間 [CI]:0.35~1.48)、タクシー運転手は1.03%(0.87~1.18)で、全職業の中で最も低かった。一般集団の死亡率は1.69%(95%CI:1.66~1.71)だった(タクシー運転手、救急車運転手との比較では、いずれもp<0.001と有意に高かった)。また全職業において、ADによる死亡の補正後オッズ比は、タクシー運転手と救急車運転手で最も低かった(両職種統合のオッズ比:0.56[95%CI:0.48~0.65])。
  • このような傾向は、空間処理、および、ナビゲーション処理の必要度が低いと想定される他の輸送関連の職業(バス運転手、船長、航空機パイロット)では観察できず、また他の認知症タイプ(血管性など)に関してもみられなかった。また、ADを主因とした場合と一因とした場合でも、結果は一貫していた。

【結論】

以上の結果は、タクシーや救急車の運転手が行っているナビゲーション処理タスクや空間処理タスクが、ADに対する保護効果に関与する可能性を示唆していると思われる。

用語の解説

*1.国家人口動態統計システム(NVSS: National Vital Statistics System)
特定の一時点における人口数など、人口の状態を把握するための統計である。
*2.横断的研究(Cross sectional study)
ある特定の対象に対して、疾患や障害における評価,介入効果などを、ある一時点において測定し、検討を行う研究である。 過去にさかのぼったり、将来にわたって調査したりはしない。
横断的研究のメリットには以下の点があげられる。
  • 時間とお金がかからない。
  • 大人数からデータを集めることが出来る。
  • 瞬間を切り取ることが出来る(いわゆる「スナップショット」)。
  • シンプルな統計分析方法を用いることが出来る。
  • 繰り返しの影響(学習効果など)を受けにくい。
  • データの欠測(参加取りやめなど)が生じにくい。
横断的研究のデメリットとしては、
  • 因果関係を示すことが出来ず、相関関係にとどまってしまう。
  • 時間経過に伴う参加者の変化や個人差、長期的な傾向が分からない。
  • 条件が大きく異なる集団間の比較になる。
*3.ADによる死亡率
ADによる死亡の原因は、肺炎や心疾患が多く占める。原疾患の悪化や筋肉の固縮による嚥下機能の低下が一因である。重度ADの患者が半年以内に死亡する確率は24.7%であり、肺炎、発熱、摂食障害を起こした患者の半年以内の死亡率は、それぞれ46.7%、44.5%、36.8%と高く、重度ADの患者は、進行がんや重症心不全を患う患者と同様、予後不良な状態であることを認識する必要がある。
*4.海馬(Hippocampus)
海馬は、大脳辺縁系を構成する海馬体の一部で、特徴的な層構造を持ち、脳の記憶や空間学習能力に関わる脳の器官である。その他、虚血に対して非常に脆弱であることや、ADにおける最初の病変部位としても知られており、最も研究の進んだ脳部位である。心理的ストレスを長期間受け続けるとコルチゾールの分泌により、海馬の神経細胞が破壊され、海馬が萎縮する。心的外傷後ストレス障害(PTSD)・うつ病の患者にはその萎縮が確認される。βエンドルフィンが分泌され、A10神経が活性化すると、海馬における長期記憶が増強する。
*5. ICD-10(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)
ICD-10コードとは、死亡や疾病のデータの体系的な記録、分析、解釈及び比較を行うため、世界保健機関憲章に基づき、世界保健機関(WHO)が作成した分類である。日本語では「国際疾病分類」と呼ばれることもある。

文献1
Alzheimer's disease mortality among taxi and ambulance drivers: population based cross sectional study., Vishal R Patel et al, BMJ 2024 Dec 17; 387; e082194. pii: e082194.