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2025/3/11

統合失調症治療薬としてのムスカリン受容体アゴニスト

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 最近、ムスカリン受容体*1 アゴニスト(作動薬)であるKarXTが統合失調症(SCZ)の第3相臨床治験に成功しました。
  • これまでのSCZの治療は、クロルプロマジン*2 などのドパミン D2 受容体拮抗薬が中心でしたが、今回、数十年ぶりに異なる作用機序を持つSCZの治療薬が承認されました。
  • しかしながら、新薬の開発は容易ではありません。先週、有望視されていたムスカリン受容体アゴニストの一つが、失敗に終わりました。副作用の問題を含め、さらなる研究が必要です。

昨年の前半は、アルツハイマー病(AD)において、抗アミロイドbモノクローナル抗体による免役療法の第3相臨床治験が成功し、大きなニュースになりましたが、後半には、SCZにおいて、ムスカリン受容体作動薬であるKarXT が第3相臨床治験に成功・承認され、話題になりました。少し前になりますが、Natureで発表されたニュース(文献1)を要約して紹介いたします。


文献1.
New schizophrenia drug could treat Alzheimer’s disease, Half a dozen drugs are in trials for conditions of the brain, but success is not guaranteed., By Diana Kwon, Nature eNEWS 21 November 2024


精神病の薬物治療は、1950 年代に、SCZの治療にドパミン D2 受容体拮抗薬として作用するクロルプロマジンが用いられたのが最初であると言われているが、今回、数十年ぶりに異なる作用機序を持つSCZの治療薬が承認され、研究者たちは、精神医学における新しい時代の到来を宣言した。しかしながら、SCZ, ADや脳に関連した疾患の大多数は、臨床試験の初期段階にあり、必ずしも、治療効果が確立されたわけではない。実際、先週、非常に期待されていたSCZ治療薬について、期待はずれの結果が報告された。

この数十年間、SCZ の治療薬は、基本的に同じ作用機序を持つものであった。それらは、障害の特徴的な症状である幻覚や妄想の原因となるドーパミンの働きを鈍らせることにあった。新しく登場した治療薬KarXTは、Cobenfyという商品名で販売されており、ムスカリン受容体を刺激して、抗精神病的に作用し、認知機能を改善する。「私の経歴において、これほどまでに、騒々しい興奮させた精神医学の新しいアプローチはありませんでした」と、テネシー州ナッシュビルにあるヴァンダービルト大学のジェフリー・コーン薬学博士は言う。KarXTがSCZの第3相試験に成功し、米国の規制当局の承認を得たことで、ムスカリン系薬に対する興味が再燃した。KarXTの開発に参加したオーストラリア・メルボルンにあるモナッシュ大学のアーサー・クリストポロス分子薬学博士は、「創薬*3 が精神医学に戻って来ました」と言う。しかしながら、新薬の開発は険しく長い道のりである。11月11日にイリノイ州ノースシカゴの製薬会社アビューは、SCZ の治療薬エムラクリジンがプラセボの効果を上回ることはできなかったと発表した。「この残念な結果が開発中の他のムスカリン系薬に対して何を意味するのかを判断するのは、まだ、時期尚早です。」とクリストポロス博士は言う。

【新規抗精神病薬】

図1.

KarXT開発も決して平坦な道のりではなかった。KarXTの一つの活性成分であるキサノメリンは1990年代に開発されてADの精神症状を減弱させることが示された。しかしながら、臨床治験において多くの患者さんは、悪心・嘔吐やその他の副作用のため、この薬の服用を続けることが出来なかった。ムスカリン受容体は脳だけでなく、全身に発現しているため、多くの作用を生じてしまうのではないかと考えられた。KarXTは開発中の多くのムスカリン系薬とともに棚上げされた。KarXT開発の背後にある会社の共同創設者の一人であるコン氏は、「誰もが、ムスカリン受容体アゴニストを治療に用いるのは不可能だろうと思いました。」と言う。

2009年にマサチューセッツ州、ボストンにあるカルナ・セラピュークス社はキサノメリンと別の化合物であるトロスピウムの合剤KarXTを開発した。トロスピウムはムスカリン受容体を遮断するが、脳血液関門を通過しないため、キサノメリンの脳以外の作用を抑えると考えた(図1)。予想通り、SCZの臨床試験では、キサメリン単独の場合に比べて、KarXTの副作用は、減弱することが観察された。

【作用機序】

キサノメリンのほとんどの作用は5種類のムスカリン受容体(M1~5)のうち、M1とM4の2つを通して作用する。動物実験によれば、M4は、抗精神病作用に、M1は、認知機能に関係していると思われる。開発中のSCZ治療薬の多くは、一つのタイプの受容体を標的にする。「研究者は、副作用は少なくて、より大きい治療効果に繋がることを望んでいる。」と英国グラスゴー大学の神経科学者アンドリュー・トビンは言う(トビンはダブリンを基点にしてムスカリン薬剤の開発を行うケルテックファルマテラピューティクス社の共同創設者で最高責任者の一人である)。

5種類のムスカリン受容体はリガンド結合部位が似ているため、選択的に作用させることは簡単でない。この目的のために、より類似性の低いリガンド結合部位の外部の部分を通して作用する、いわゆる、アロスティックモデュレーター*4 について研究が行われているとトビンは言う。

エムラクリジンはM4を標的にしたアロスティックモデュレーターであり、ムスカリン製薬の中では最も開発が進んだ薬剤である。「エムラクリジンがアビュー社主導の第2相臨床治験に失敗したことは、KarXTのように、M1とM4の両方の受容体を標的にする必要があることを示唆しているのかも知れません。」とオーストラリア・パークビーユにあるフローレンス神経科学メンタルヘルス研究所の生化学者ブライアン・ディーンは言う。

【ADを超えて】

ニュージャージー州プリストンにある大手製薬会社のブリストルマイヤーズスクイブ(BMS) は、3月にカルナ社を買収し、KaXTがADに見られる精神症状の治療に役立つかどうか、また、双極性障害の患者さんに効果があるかどうかを調査する臨床研究を開始している。

BMS は、さらに、M1受容体の認知機能に対する役割を考慮して、ADの認知機能減弱の改善を目的にした薬剤を設計している。「研究者は、ムスカリン製剤がADの進行を遅らせるのではないかと期待している。」とトビン博士は言う。2016年にトビン博士と共同研究者は、M1受容体を特異的に刺激するとADのマウスモデルの神経変性が改善されたことを報告している。また、ムスカリン受容体は報酬系回路にも多く発現しており、この経路の阻害が鎮痛薬に対する依存症に効果があることが実験動物で示されている。さらに、パーキンソン病に関してもムスカリン経路の刺激による治療効果が検討されている。

【現実世界において】

「KarXTを巡って、興奮が渦巻いていますが、現時点では、実世界においてどれほど役立つか予測出来ません。特に、臨床試験中の患者さんは入院しており、結果を左右する要因の一つと考えられる環境の影響を受けにくい事を考慮する必要があります。」とテキサス・ダラスにあるUTサウスウェスタンメディカルセンターの精神科医・神経科学者のキャロル・タミンガは言う。(タミンガ博士は、カルナ社の科学顧問としてKarXTの臨床治験に関与した。)

先月、BMSは、2年間KarXTで治療して外来で追跡したSCZ患者さんのデータを公表した。その間、症状は改善し続けたが、11~18%の患者さんは、副作用のため服用を中止した。薬の服用を中止することは、利用出来る他の抗SCZ薬で問題になることがわかっている。「我々は、これらの薬剤について多くを知らなければいけません。」と、タミンガは言う。

用語の解説

*1.ムスカリン受容体(Muscarinic acetylcholine receptor)
神経伝達物質として アセチルコリンを放出する神経をコリン作動性神経線維、ノルアドレナリンを放出する神経をアドレナリン作動性神経線維という。アセチルコリンを結合する受容体をコリン作動性受容体というが、アセチルコリン受容体は代謝調節型のムスカリン受容体とイオンチャネル型のニコチン受容体の二つに大別される。ムスカリンがムスカリン受容体アゴニストとして、ニコチンがニコチン受容体アゴニストとして働くことからこの名前がある。ムスカリン受容体(mAchR)は代謝調節型の受容体でGタンパク質共役受容体(GPCR)の一種である。末梢では副交感神経の神経終末に存在し、副交感神経の効果器の活動を制御する。中枢にも存在している。尚、ムスカリン受容体はさらに細かくM1~M5のサブタイプで分類され[1]、それぞれの受容体に非選択的に作用する薬と選択的に作用する薬が存在する。副交感神経終末にはM1受容体が多い。
  • M1 - 脳(皮質、海馬)、腺、交感神経に分布、胃の壁細胞,
  • M2 - 心臓、後脳、平滑筋に分布
  • M3 - 平滑筋、腺、脳に分布
  • M4 - 脳(前脳、線条体)に分布
  • M5 - 脳(黒質)、眼に分布
*2.クロルプロマジン(Chlorpromazine)
クロルプロマジンは、フランス海軍の外科医、生化学者アンリ・ラボリ (1914-1995) が1952年に発見した、フェノチアジン系の抗精神病薬である。精神安定剤としてはメジャートランキライザーに分類される。メチレンブルー同様、フェノチアジン系の化合物である。塩酸塩が医薬品として承認され利用されている。日本においてクロルプロマジンは劇薬に指定されている。商品名はウインタミン、コントミン。クロルプロマジンが、薬理作用としてドパミン遮断効果(その作用機序は、脳内の中枢神経系で、興奮や妄想を生み出すと考えられている、神経伝達物質ドパミンのD2受容体の回路を遮断することにある)を有することは、ラボリの発見まで知られていなかった。
*3.創薬(Drug discovery)
創薬とは医学、生物工学および薬学において薬剤を発見したり設計したりするプロセスのことである。歴史的に、大半の薬剤は、伝統治療薬(生薬)の有効性成分が同定されたり、ペニシリンのように偶然によって発見されたものであった。今日における創薬アプローチは、疾病や感作が分子生物学や生理学の見地で解明された制御機序や、その見地において見出された創薬対象の特性を理解することで薬剤を発見する手法である。さらに最近は、古典的薬理学で治療効果があった物質を同定するために、合成低分子、天然物、または抽出物の化学ライブラリーを無傷細胞または全生物でスクリーニング(選別)している。ヒトゲノムの配列決定により、大量の精製タンパク質の迅速なクローニングと合成が可能になったので、逆薬理学として知られているプロセスで、病気を引き起こすと仮定された生物学的標的に対する大規模化学ライブラリーのハイスループットスクリーニングも一般的になってきた。これらのスクリーニングから得られたヒット(薬物候補)は、細胞内でテストされ、その後、動物で効能が評価される。 現代の創薬のプロセスは、スクリーニングヒット化合物の同定、合成、およびそれらのヒット化合物の最適化により、親和性、選択性 (副作用の可能性を低減する)、有効性/効力、代謝安定性 (半減期を長くする)、および経口バイオアベイラビリティーを高めるための最適化などを行う。これらの試験で有用な化合物を見出すと、前臨床試験の医薬品開発プロセスが行われる。 このように、現代の創薬は通常、資本集約的なプロセスであり、製薬企業や政府による多額の投資を伴う。技術の進歩や生物システムの解明が進んでいるのにもかかわらず、創薬は長期間を要す上に新薬発見の成功率は低い。
*4.アロステリック・モデュレーター(Allosteric modulator)
アロステリック・モジュレーターは,内在性リガンドの作用する結合部位とは異なる部位に作用し,受容体サブタイプ選択的に結合することができる。

文献1
New schizophrenia drug could treat Alzheimer’s disease, Half a dozen drugs are in trials for conditions of the brain, but success is not guaranteed., By Diana Kwon, Nature eNEWS 21 November 2024