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2025/4/1

神経性食思不振症における自殺のバイオマーカー

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 神経性食思不振症*1における自殺行為*2の有無による発現変動遺伝子*3として、血清中の単球より、SNORD3C*4やその他21種類の遺伝子が同定された。
  • これらの遺伝子は、蛋白-蛋白相互作用のネットワークを形成し、エンリッチメント解析*5の結果、‘RNA代謝’と‘自然免疫系’に濃縮された。
  • 我々の結果は、神経性食思不振症における自殺行為の病態を説明するのに貢献し、自殺のバイオマーカー開発への道を切り開く可能性がある。
図1.

自殺は、現代社会における切実な問題であり、世界中で、年間約80〜100万人の自殺者数が報告されています。特に、若い世代(15~39歳)の死因の第1位が自殺となっており、自殺の予防は生命科学の分野においても喫緊の課題の一つです。自殺の原因は、ストレス、病気、精神障害、経済問題、職場問題、人間関係、自殺企図歴、喪失体験など多彩であり、自殺を予期するのが困難である事を考慮すると、一つの可能性として、何らかの客観的なバイオマーカーを同定して、それを利用することにより、自殺を予防することが考えられます(図1)。神経性食思不振症は、精神疾患と考えられており、身体合併症による死亡だけでなく、自殺による死亡も重要な問題です。フランス・パリ・シテ大学のCamille Verebi博士らは、神経性食思不振症の患者さんから採取した血液中の単球の発現するmRNAを解析し、自殺行為のあった患者さんは、自殺行為の見られなかった患者さんに比べて、ノンコーディングRNA;SNORD3Cなど21種類の分子の発現量が有意に変動していることを見出し、これらの発現変動遺伝子が神経性食思不振症における自殺のバイオマーカーになる可能性を提唱しました。今後、研究が発展して、さらに大きな患者数を用いたコホート研究で確認される必要がありますが、血液は脳脊髄液などに比べ、容易に採取できるという利点がありますので、これらの分子の自殺マーカーとしての有効性が証明され、自殺の予防治療に結びつくことが期待されます。今回は、最近のJournal of Psychiatric Researchに掲載された論文(文献1)を紹介致します。


文献1.
SNORD3C, a blood biomarker associated to suicide attempts in patients with anorexia nervosa., Camille Verebi et al. Journal of Psychiatric Research Volume 182, February 2025, Pages 358-367


【背景・目的】

神経性食思不振症は遺伝傾向の強い(∼70%)精神疾患であるが、ゲノムワイド関連解析を始め、多くの研究が精力的に行われているのにも関わらず、自殺などの合併症を含め、分子レベルにおけるメカニズムは不明である。本プロジェクトは、その理解を深めることを研究目的とした。

【方法】

神経性食思不振症の患者さん15人(5人は自殺行為歴あり、10人は無し)から採取した抹消血液中の単球を用いて、RNAシークエンスを行ない、多重検定を補正した後、いくつかの遺伝子に自殺行為の有無で差があることを見出した。

【結果】

  • その結果、自殺行為歴のある患者さんでは、ビタミンDの代謝に関与すると思われるSNORD3Cを含めた21種類の発現変動遺伝子(減少した遺伝子;TTLL7, RGPD1, SAXO2, IGLC7, IGHV3-7, IGHV3-74, MIR663AHG, SLC7A8, C3, NMT1, RPUSD3, TMEM191C他、増加した遺伝子;PIP5KL1, MARCHF3, SNORD3C, ARHGAP15-AS1, SNORD10, SNORD22他)が同定された。
  • それらの結果を別のコホート研究;神経性食思不振症 の患者さん34人(18人は自殺行為歴あり、16人は無し)を行なって確認した。
  • エンリッチメント解析の結果、これらの遺伝子は、RNA代謝と自然免疫系に濃縮された。

【結論】

本プロジェクトでは、特定の遺伝子の発現異常が神経性食思不振症における自殺行為のリスクを亢進する可能性が推定された。このように、神経性食思不振症における自殺行為の病態に関与する生物学的経路の理解が増すことにより、将来的には臨床応用への道を切り開くかもしれない。

用語の解説

*1.神経性食思不振症(Anorexia nervosa)
神経性無食欲症は、他には、神経性やせ症、神経性食欲不振症、思春期やせ症(青春期やせ症)とも言われ、心理的要因・社会的要因・生物学的要因によって生じ、摂食行動の障害となって現れる精神障害と考えられている。特に心理的要因(ストレス)によるところが多く、慢性経過をとることが多い。近年日本において増加傾向にあり、また抑うつを伴い身体的疾患を合併することもあり、心身に与える影響は大きい。神経性やせ症での自殺による死亡率は 1.24/千人年であり、精神疾患の中では,統合失調症,大うつ病性障害,双極性障害,物質依存に次ぎ,自殺による死亡率が高い。軽症例でも自殺リスクは一般人口より高い。
*2.自殺行為
自身の命を絶とうとする行動や思考全般を指す言葉で、これは自殺の試みだけでなく、自殺についての話題を頻繁に持ち出す、自己危害の行為、自殺の方法を調べるなども含まれます。主に精神科や心理学の領域で使われ、また救急医療やカウンセリングなどで対応が必要とされる緊急の事態を指すことが多い。自殺予防やメンタルヘルスの支援活動でもこの言葉は頻繁に用いられる。
*3.発現変動遺伝子(Differentially Expressed Genes:DEG)
発現変動遺伝子とは、異なる条件やグループ間において発現量が大きく上昇または減少した遺伝子のことを言いう。 RNA-Seq解析やマイクロアレイ等の網羅的な遺伝子発現解析を行った後に、発現変動遺伝子の抽出(DEG解析)がよく行われる。
*4.SNORD3C(ホモサピエンス核小体低分子RNA、C/Dボックス3C)
SNORD3Cは核小体に存在するRNAで、ノンコーディングRNAの1つである。リボソームRNA及びその他のRNA遺伝子のメチル化やシュードウリジン化の化学修飾を導く小さなRNA分子の一群である。近年の実験機器・技術の向上により、これまでに検出が困難であった細胞内の低分子の存在やその構造・機能が明らかにされてきている。これらの低分子は機能性RNA(functional RNA)と呼ばれ、mRNAやrRNAの成熟に関与しており、その機能や発現時期、部位、また遺伝子を特定することはポストゲノム研究の一つとして注目されている。その一つである核小体低分子RNA(snoRNA: small nucleolar RNA)は、rRNAの成熟に関与する低分子RNAであり、リボースのメチル化(box C/D 型)やウリジン残基の擬ウリジル化(box H/ACA 型)を手助けする役割を果たしている。
*5.エンリッチメント解析(Gene set enrichment analysis)
エンリッチメント解析は、統計的アプローチを使用して、大規模な遺伝子またはタンパク質のセット内で濃縮または過剰発現している遺伝子またはタンパク質を特定し、重要な生物学的経路およびプロセスを特定する、遺伝研究における重要な計算ツールある。

文献1
SNORD3C, a blood biomarker associated to suicide attempts in patients with anorexia nervosa., Camille Verebi et al. Journal of Psychiatric Research Volume 182, February 2025, Pages 358-367