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世界で行われている研究紹介 教えてざわこ先生!教えてざわこ先生!


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一般向け 研究者向け

2025/4/10

老化細胞除去による認知・運動機能の改善に関するパイロット研究

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 現時点で、アルツハイマー病(AD)の治療法は確立されていないので、多面的なアプローチが必要である。本プロジェクトは、ADの治療におけるセノリシス*1 の有効性を決定する。
  • ADのリスクが高いとされる歩行速度が遅い高齢者の集団に対してセノリシスに効果的であるとされているダサチニブとケルセチン*2併用(DQ)のパイロット試験(n=12)を行った。
  • その結果は、AD患者におけるDQ治療の安全性、忍容性および実現可能性を支持するものであった。今後、さらに大きな患者数を用いたコホート研究で確認され、治療に結びつくことが期待される。
図1.

これまで、アルツハイマー病(AD)においては、アミロイドb (Ab)の凝集が神経毒性の中心であり、根本治療のターゲットにされてきました。実際、抗Abモノクローナル抗体を用いた第3相臨床試験は成功し、承認されましたが、治療効率が高くないこと、脳浮腫や微小出血などの副作用が起きることなどいくつかの問題点も明らかになり、さらに改善する必要があると考えられています。従って、異なる角度からのアプローチで治療の可能性を追及することも重要です。近年、老年医学の分野では、細胞老化に着目した研究が注目されています。AD、糖尿病や動脈硬化といった生活習慣病、慢性腎臓病など加齢関連疾患は、その病態が特定の細胞の老化によって引き起こされるという興味深い仮説です(図1)。加齢やストレスによって体内の組織に蓄積した老化細胞が、SASP(細胞老化随伴分泌現象)*3という現象を引き起こし、過度のSASPが慢性炎症を誘発し、加齢関連疾患の原因になると仮定します。もし、これが正しければ、蓄積した老化細胞を除去することで、加齢関連疾患における病的な老化形質を改善出来ると考えられます。この老化細胞を選択的に除去する手法は、セノリシスと呼ばれており、これまでに数々の老化細胞除去薬が開発されてきました(図1)。今回、米国・ハーバード大学医学部・ヒンダ&アーサー・マーカス老年研究所のCourtney L Millar博士らは、ADの治療におけるセノリシスの有効性を評価するパイロット試験を行いました。すなわち、ADを発症するリスクのある歩行速度が遅い高齢者の集団におけるDQによるセノリシスの評価です。その結果は、AD患者におけるDQ治療の安全性、忍容性および実現可能性を支持するものでした。今回は、最近のeBioMedicineに掲載された論文(文献1)を紹介致します。これらの結果の有効性が、将来的に、さらに大きな患者数を用いたコホート研究で確認され、治療に結びつくことが期待されます。


文献1.
A pilot study of senolytics to improve cognition and mobility in older adults at risk for Alzheimer’s disease, Courtney L Millar et al. eBioMedicine 2025Feb 25;113:105612.


【背景・目的】

現在のADの治療は、抗Abモノクローナル抗体を用いた免疫療法が先行しているが、異なるアプローチも開発するのが望ましい。本プロジェクトは、ADの治療におけるセノリシスの有効性を評価する目的で、ADのリスクのある歩行速度が遅い高齢者を対象にDQによるセノリシスのAD予防効果に対する有効性を評価するための単腕*4・パイロット試験を行った。

【方法】

  • 参加者は12週間にわたって2週間ごとに100mgのダサチニブと1250mgのケルセチンを摂取した。
  • 採用率、有害事象、機能アウトカムの絶対変化、およびバイオマーカーのパーセントの変化を計算した。
  • 機能的およびバイオマーカーの結果間のスピアマン相関*5が実施された。

【結果】

  • 電話スクリーニングを受けた個人の約10%が介入を完了した(n = 12)。
  • 介入に関連する重篤な有害事象はなかった。
  • モントリオール認知評価(MoCA)スコア*6は、ベースラインMoCAスコアが最も低いスコアでは2.0ポイント(95%CI:0.1、4.0)で有意に増加した。
  • 老化関連分泌表現型(ASP)の主要成分である腫瘍壊死因子α (TNF-α)の有意な割合の変化は、DQに続いて-3.0%(95%CI:13.0、7.1)で有意に減少した。TNF-αの変化は、MoCAスコアの変化(r = −0.65、p = 0.02)と反比例し、TNF-αの減少はMoCAスコアの増加と相関していた。

【結論】

本研究は、断続的なDQ治療が安全に実行可能であり、データは、ADのリスクがある高齢者の潜在的な機能的利点を示唆している。また、TNF-αの観察された減少とMoCAスコアの増加との相関は、DQがSASPを調節することによって認知を改善する可能性があることを示唆している。しかしながら、データは予備的なものであり、慎重に解釈する必要がある。

用語の解説

*1.セノリシス(Senolysis)
老化細胞を駆逐すれば老化の進行を遅らせることができると予想される。老化細胞を除去することをセノリシスと呼び、最近の研究で、これにより老化の進行が抑制されることが明らかにされつつある。
*2.ダサチニブ(dasatinib)とケルセチン(quercetin)
ダサチニブは、BCR-ABLをはじめとした複数のチロシンキナーゼを標的とした、分子標的治療薬であるチロシンキナーゼ阻害薬としてブリストル・マイヤーズ スクイブ社により開発された抗悪性腫瘍剤(抗がん剤)である。ケルセチンは、フラボノイドの一種でフラボノールを骨格に持つ物質。強い抗酸化作用を示し、さらに細胞増殖などに関わるいくつかの酵素を阻害することも報告されている。また、抗炎症作用を示し、これはヒスタミンの生成や遊離など炎症に関与するいくつかの過程を抑制するためと考えられている。ダサチニブとケルセチンはいずれも老化細胞を選択的に除去する作用を有しており、この2種類の薬を併用すること(DQ)で老化細胞のアポトーシス抑制機構を抑制する(つまり、老化細胞のアポトーシスを促進する)。実際に、この薬をマウスに投与した実験では脂肪肝の減少、肺線維症の改善、アルツハイマーモデルの脳における神経原線維変化が軽減された。加えて、自然老化マウスの運動機能の改善や寿命の延長、ヒト由来の脂肪細胞からのSASP因子の分泌抑制などの効果も確認されており、ヒトへの臨床応用も検討されている。
*3.SASP(細胞老化随伴分泌現象/Senescence-Associated Secretory Phenotype)
SASPは分泌されたサイトカイン、ケモカイン、増殖因子、プロテアーゼの複雑な混合る。 この分泌現象は、老化細胞の近隣にある細胞や免疫系との情報伝達に寄与し、最終的には細胞の運命に影響を与える。
*4.単腕試験(シングルアーム試験;Single arm trial)
単腕試験は、非盲検に設計され、並行対照群を設定しない臨床試験を指す。新しい抗腫瘍薬の研究開発などでは、従来の細胞毒性のある新しい抗腫瘍薬の初期探索段階で単腕試験を実施することが多い。
*5.スピアマンの順位相関係数(Spearman's rank correlation coefficient)
スピアマンの順位相関係数は統計学において順位データから求められる相関の指標である。値は-1以上1以下の実数となり、1ならば単調増加、-1ならば単調減少である。チャールズ・スピアマン(Charles Spearman)によって提唱され、ふつうρ あるいは rS などと書かれる。ピアソンの積率相関係数(普通に相関係数と呼ばれるもの)と違い、ノンパラメトリックな指標である。すなわち2つの変数の分布について何も仮定せずに、変数の間の関係が任意の単調関数によってどの程度忠実に表現できるかを、評価するものである。「変数間の関係は線形である」と仮定する必要も、また変数を数値的にとる必要もなく、順位が明らかであればよい。 詳細は専門書をご覧下さい。
*6.モントリオール認知評価スコア(MoCA:Montreal Cognitive Assessment)
モントリオール認知評価(MoCA)は、軽度認知障害(MCI)の検出を目的とした迅速なスクリーニングツールとして設計された。このテストは、Mini-Mental State Examination(MMSE)が軽度認知障害を持つクライアントと正常な高齢者を区別する感度が低いという問題に対応するために開発された。MoCAは、MMSEで正常範囲内のスコアを示すが、記憶に関する不安を抱えているクライアント向けに設計されている。

文献1
A pilot study of senolytics to improve cognition and mobility in older adults at risk for Alzheimer’s disease, Courtney L Millar et al. eBioMedicine 2025Feb 25;113:105612.