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2025/4/15

アルツハイマー病治療の前臨床試験におけるヒトモデルの必要性

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • これまでのアルツハイマー病(AD)の研究において、マウスモデルで得られた治療有効性に関する結果は、患者さんの臨床試験において再現されなかった。ADの治療におけるセノリシス*1の効果を評価する際も同様であろうと予想される。
  • ヒトニューロン、及び、アストロサイトのAβ42存在下での長期培養のシステムを開発し、これらの実験系において、以前にマウスADモデルでセノリシスの有効性が示された2つのレジメン*2;i) ナビトクラックス*3、または、ダサチニブとケルセチン(DQ)*4などの化合物の効果と、ii) 免疫介在性老化細胞除去のためのナチュラルキラー細胞株NK92*5の共培養の効果を評価した。
  • その結果、ナビトクラックス、および、NK92細胞介入による細胞毒性が見られたことから、前臨床試験において、ヒトADモデルを用いた実験系においても有効性を示すことが望ましいと思われた。
図1.

前回、お伝えしました通り、最近では特定の老化細胞がADなどの高齢疾患の病態に重要な役割を担っており、これらの老化細胞が治療の標的になる可能性が注目されています。老化細胞を選択的に除去する手法は、セノリシスと呼ばれており、これまでに数々の老化細胞除去薬が開発されてきました(老化細胞除去による認知・運動機能の改善に関するパイロット研究〈2025/4/10掲載〉)。ADにおいても細胞やマウスのモデルにおいて有望な結果が報告されていることから、AD患者さんの臨床試験への応用が期待されています。しかしながら、注意すべきことは、これまで、抗アミロイドβ (Aβ) モノクローナル抗体を用いたADの免疫療法の開発過程においてマウスモデルで得られた結果をヒト臨床試験において再現するのは難しいという「マウスモデルの結果とヒト臨床試験の結果の乖離現象」が繰り返し、経験されたことです。メカニズムは明らかにされていませんが、当然、セノリシスの治療開発においても同じことが予想されますので、一つの対策として、患者さんの臨床試験へ進む前にヒトモデルを用いた実験系においても有効性を示すことが望ましいと考えられます。このような状況で、米国・カリフォルニア州・Buck老化研究所のChaska C. Walton博士らは、ADの細胞モデルとして、ヒトニューロン、または、アストロサイトのAβ42下での長期培養の系を開発し、このシステムを用いて、以前にADマウスモデルで有効性が示された2つのレジメンi) ナビトクラックス、ダサチニブとケルセチン(DQ) と、ii) 免疫介在性老化細胞アブレーション療法のためのナチュラルキラー細胞株NK92を評価しました。その結果は、ナビトクラックス、および、NK92の介入のリスクを強調し、安全性と臨床伝達性を改善するために前臨床試験においてヒト関連モデルの必要性があることを強調するものでした。今回は、最近のbioRxivに掲載された査読前論文(文献1)を紹介致します。これらの知見が、セノリシスを用いたADの治療開発に役立つことが期待されます。


文献1.
A Human Neuron Alzheimer’s Disease Model Reveals Barriers to Senolytic Translatability, Chaska C. Walton et al. bioRxiv posted February 1, 2025 doi: https://doi.org/10.1101/2025.01.28.635165


【背景・目的】

ADの免疫療法の開発においてマウスモデルで得られた結果が患者さんの臨床試験において再現出来るとは限らない。最近注目されているセノリシスの場合にも同じことが予想される、一つの可能性は、臨床試験へ進む前にヒトモデルを用いた実験系においてもセノリシスの有効性を示すことである。本プロジェクトは、これを研究目的とする。

【方法】

  • AD細胞モデルとして、ヒト由来のニューロン、または、アストロサイトのAβ42下における長期培養のイン・ビトロシステムを開発した。
  • この実験系において、以前にADマウスモデルで有効性が示された2つのレジメンi) ナビトクラックス、ダサチニブとケルセチン(DQ)と、ii) 免疫介在性老化細胞を除去するためのナチュラルキラー細胞株NK92の共培養の効果を評価した。

【結果】

その結果、ダサチニブとケルセチン(DQ)は、ヒト由来のニューロン、または、アストロサイト培養システムにおいて細胞保護的に働いたが、ナビトクラックス、および、NK92細胞の共培養は、細胞毒性が認められた

【結論】

  • ダサチニブとケルセチン(DQ)の投与に治療効果が期待される。ナビトクラックス、および、ナチュラルキラー細胞に関しては、臨床試験においては、慎重になる必要がある。
  • 本研究の結果は、安全性と臨床伝達性を改善するための前臨床試験におけるヒト関連モデルの必要性を強調するものである。

用語の解説

*1.セノリシス(Senolysis)
セノリシスとは、老化細胞を生体から除去することをいい、senescence+lysisからつくられた言葉である。また、セノリティクス(Senolytics)は、「老化(senescence)」と、「抵抗(lytics)」を合わせた造語で、老化予防のこと。老化細胞を駆逐すれば老化の進行を遅らせることができると予想される。(老化細胞除去による認知・運動機能の改善に関するパイロット研究〈2025/4/10掲載〉)を参照して下さい。
*2.レジメン(Regimen)
薬物療法を行う上で、薬剤の用量や用法、治療期間を明記した治療計画のことをいう。 治療計画は、がん種や治療法ごとに決められた基本レジメンを基に、医師と薬剤師が患者のがん細胞の性質や現在の症状などから、治療効果や副作用などを総合的に判断した上で作成する。
*3.ナビトクラックス(Navitoclax)
ナビトクラックス (ABT-263) は Bcl-xL, Bcl-2 and Bcl-w の強力な阻害剤であり、阻害定数は cell-free assay において Ki ≦ 0.5 nM, 1 nM および 1nM である。一方、Mcl-1 および A1 に対しては比較的弱い結合力を示す。
*4.ダサチニブとケルセチン (DQ)
老化細胞除去による認知・運動機能の改善に関するパイロット研究〈2025/4/10掲載〉)を参照して下さい。
*5.ナチュラルキラー細胞株NK92
ナチュラルキラー(natural killer; NK)細胞は、文字どおり生まれつきの殺し屋で全身をパトロールしながら、がん細胞やウイルス感染細胞などを見つけ次第攻撃するリンパ球である。 生まれながらに備わっている防衛機構である自然免疫に重要な役割を担うと考えられている。NK-92は、非ホジキンリンパ腫に罹患した患者の血液中で発見され、その後エクスビボで不死化された、細胞溶解性のがん細胞株である。NK-92細胞は、NK(ナチュラルキラー)細胞に由来するが、活性化受容体の大部分を保持する一方で、正常なNK細胞によって提示される主要な抑制性受容体を欠いている。しかしながら、NK-92細胞は、正常な細胞を攻撃することもないし、ヒトにおいて許容できない免疫拒絶反応を誘発することもない。

文献1
A Human Neuron Alzheimer’s Disease Model Reveals Barriers to Senolytic Translatability, Chaska C. Walton et al. bioRxiv posted February 1, 2025
doi: https://doi.org/10.1101/2025.01.28.635165