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2025/8/7

ミトコンドリア・トランスファーを利用したがん細胞の免疫回避

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 「免疫チェックポイント阻害薬*1」を用いたがんの免疫療法の治療効果は一定しないが、そのメカニズムは不明である。
  • がん細胞のミトコンドリアDNA(mtDNA)*2によく遺伝子変異を伴うことが知られていることから、本プロジェクトは、異常なmtDNAを持ったがん細胞のミトコンドリアがミトコンドリア・トランスファー*3により周囲の免疫細胞に移っていくことにより、免疫細胞(T細胞など)の働きが悪くなり、正常な免疫機能が低下する結果、がん免疫療法の効果が減弱すると仮定した。
  • 臨床材料(メラノーマ、非小細胞性肺がん)の解析の結果は、我々の仮説を支持するものであった。
  • これらの知見は、がん細胞が、ミトコンドリア・トランスファーを通して、免疫機構を侵害するというこれまでに知られていなかったメカニズムを示唆するものである。
図1.

近年、新しいがん治療法として注目されているがん免疫療法では、免疫チェックポイント阻害薬ががん細胞の周りにいるT細胞などの免疫細胞に働きかけて活性化し、がん細胞を攻撃します。その結果、非常に良い治療効果が出る場合もありますが、残念なことに効果が全く認められないこともあり、そのメカニズムの解明は重要でした。この問題について、岡山大学の冨樫庸介博士、及び、共同研究者らは、がん細胞のmtDNAによく遺伝子変異を伴うことが知られていることから、mtDNAが関係しているかも知れないと考え、そのような異常なmtDNAを持ったがん細胞のミトコンドリアがミトコンドリア・トランスファーにより周囲の免疫細胞に移っていくことにより、免疫細胞の働きが悪くなり、正常な免疫細胞の機能が低下する結果、がん免疫療法の効果が減弱することを見出しました(図1)。ミトコンドリアは、細胞内のエネルギー産生と代謝を担う細胞小器官ですが、ミトコンドリア・トランスファーは、損傷したミトコンドリアを交換して、細胞の機能を回復させる重要な生理学的機能ではないかと考えられています。興味深いことに、がん細胞は、この洗練されたメカニズムをうまく利用して免疫療法による治療を掻い潜り、自らの生存戦略に用いているようです。著者らの発見は、mtDNAの変異ががん免疫療法による治療効果を予測する臨床病理的なマーカーになること、また、メカニズムの視点からも非常に興味深いことから、Nature(Article)に掲載されました。したがって、今回は、この論文(文献1)を紹介致します。これらの結果が、将来的に、がんの免疫療法の改善・治療への応用に結びつくことが期待されます。


文献1.
Ikeda, H. et al. Immune evasion through mitochondrial transfer in the tumour microenvironment. Nature 638, 225–236 (2025)


【背景・目的】

腫瘍微小環境におけるがん細胞は、様々なメカニズムを用いて、免疫システム、特にT細胞の攻撃を回避する。例えば、腫瘍浸潤リンパ球(TIL)*4の機能不全は抗腫瘍効果を阻害する。しかしながら、詳細なメカニズムは不明である。本プロジェクトは、これを明らかにするため臨床材料(メラノーマ、非小細胞性肺がん)の解析を行った。

【方法】

中国北西地方農村部における1488人の早期認知機能障害(ミニメンタルステート検査*3のスコアで評価)の患者さん(40歳以上)に対して、血漿Aβの測定値により、Aβ40, Aβ42をそれぞれ2分し、4つのグループ(I〜IV)に分類した;I. L-Aβ40・L-Aβ42, II. H-Aβ40・L-Aβ42, III. H-Aβ40・L-Aβ42, IV. H-Aβ40・H-Aβ42. 多変量ロジスティック回帰分析*2により、総人口、高血圧グループ、非高血圧グループのそれぞれにおいて、血漿Aβと認知機能障害の関連性を評価した。

【結果】

  • 臨床材料の解析を行い、がん細胞とTILの間でmtDNAの遺伝子変異が共通していること、さらに、遺伝子変異を持ったミトコンドリアががん細胞からTILに移行しているのを同定した。
  • 典型的には、TIL元来のミトコンドリアは活性化酸素の刺激でミトファジーに至ったが、がん細胞から移行したミトコンドリアは、ミトファジーに至らなかった。一つの理由として、UPS30*5などミトファジー阻害分子がミトコンドリアに付着して同時に運ばれることによると思われた。
  • がん細胞から変異遺伝子を持ったミトコンドリアを受け取ったT細胞は代謝異常、さらに、エフェクター機能*6やメモリー機能*7の低下を呈した。このようにして、インビトロ、ビボにおいての抗腫瘍効果の減弱なったと考えられた。

【結論】

  • 本研究の結果は、がん組織におけるmtDNAの変異は、免疫チェックポイント阻害薬の治療を受けたがん患者さんが予後不良であることを示唆している。
  • これらの知見は、がん細胞が、ミトコンドリア・トランスファーを通して、免疫機構を侵害するというこれまでに知られていなかったメカニズムを明らかにし、将来的にがん免疫療法に貢献するかも知れない。

用語の解説

*1.免疫チェックポイント阻害薬(Immune checkpoint blockade / immune checkpoint inhibitor:ICI)
免疫チェックポイント阻害剤は、T細胞の活性を抑制するシステム(後述する「免疫チェックポイントシステム」)に対する阻害剤である。新世代がん治療法で日本人により開発された。免疫を抑えるためのチェックポイント(チェック機構)を担う分子を標的とするところからそう呼ばれる。初めて臨床に使われた薬剤名はイピリムマブ(欧米での商品名は「Yervoy」)。
*2.ミトコンドリアDNA(mtDNA)
ミトコンドリアDNA は、ミトコンドリアの持つたんぱく質などに関する情報が主に含まれており、ミトコンドリアが分裂する際に複製が行われる。ミトコンドリアに必要な情報の一部は核DNAに含まれており、ミトコンドリアは細胞の外で単体では存在できない。また逆に細胞が必要とするエネルギーを、酸素を利用して取り出せるのはミトコンドリアの働きによっており、細胞それ自体もミトコンドリアなしには生存できない。これらのことはミトコンドリアが細胞内共生由来であるという仮説の傍証となっている。
ミトコンドリアDNAは一般的にGC含量が低く(20-40%)、基本単位が数十kb (kilo base : 塩基対1000個単位) 程度であり、電子伝達系に関わるタンパク質、リボソームRNAやtRNAなど数十種類の遺伝子を持っている。しかしDNA分子の大きさや形状、コードされている遺伝子の数や種類などは、生物によって大きく異なる。
ヒトを含む高等動物のミトコンドリアDNAはいずれも比較的似通っており、大きさ16 kb前後の単一の環状DNAで構成されている。遺伝子は37あり、その内訳は、呼吸鎖複合体のサブユニットが13、tRNAが22、rRNAが2となっている。遺伝子の配置は多種多様であるが、脊椎動物では魚類から哺乳類まで基本的には同じ配置になっている。
*3.ミトコンドリア・トランスファー(Mitochondrial transfer)
ミトコンドリアトランスファーとは、細胞間でミトコンドリアが移動する現象のことですある。ミトコンドリアの細胞間移送には,細胞外小胞 (Extracellular Vesicles) を介したもの,トンネルナノチューブ (TNTs) と呼ばれる特殊なチューブ状の構造物の接続によるものなどの可能性が研究されている。ミトコンドリアは、細胞内のエネルギー産生を担う重要な細胞内小器官であり、ミトコンドリアの機能不全は、様々な疾患の原因となる。ミトコンドリアトランスファーは、損傷した細胞の機能を改善する可能性があり、近年、新たな治療法として注目されている。
    ミトコンドリアトランスファーの応用
  • 神経変性疾患、代謝性疾患、がんなどの治療
  • 卵子移植や幹細胞治療
  • ミトコンドリア病の治療
  • 血管内皮移植の改善
*4.腫瘍浸潤リンパ球 (TIL; Tumor Infiltrating Lymphocyte)
腫瘍の中に浸潤するリンパ球には腫瘍反応性リンパ球,腫瘍抗原特異的なリンパ球が集中して存在することが示唆されている。本文中にもあるようにTIL中の腫瘍反応性T細胞を拡大培養して輸注する治療法が試みられている。同時にTIL中には制御性T細胞をはじめとした抗腫瘍免疫応答を負に制御する細胞群も多く存在することも示唆される。リンパ球以外の細胞成分にまで目を向けると腫瘍間質中には骨髄由来抑制細胞、腫瘍関連マクロファージ、がん関連線維芽細胞、間葉系幹細胞などさまざまな制御性細胞群も存在することが知られている。
*5.USP30(Ubiquitin-Specific Protease 30)
USP30は、USPサブファミリーに属する酵素で、ミトコンドリアの形態や機能の調節に関与している。特に、損傷したミトコンドリアを選択的に除去するミトファジーにおいて重要な役割を果たす。
*6.エフェクター機能(Effector function)
抗体が結合した標的細胞を細胞除去する機能のことである。細胞溶解を引き起こすCDC(補体依存性細胞障害)や、エフェクター細胞を活性化するADCC(抗体依存性細胞障害)がある。
*7.メモリー機能(Memory function)
メモリーT細胞は、過去に感染した病原体に対する記憶を持つTリンパ球の一種で、免疫系の一部である。初めての感染に対する免疫応答の後に形成され、長期間体内に残存し、同じ病原体が再び侵入した際に迅速に反応して免疫応答を提供する能力を持っている。

文献1
Ikeda, H. et al. Immune evasion through mitochondrial transfer in the tumour microenvironment. Nature 638, 225–236 (2025)