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2025/9/4

地中海食と典型的西洋食の野生型マウスにおける神経保護効果の比較解析

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 地中海食*1は、多くの慢性疾患と同様に神経変性疾患に対しても予防効果があると考えられている。したがって、地中海食の予防治療効果を動物実験において検討することは興味深い。
  • 本プロジェクトは、C57BL/6J野生型マウス(生後21日離乳時のオス)を地中海食、又は、典型的西洋食で6ヶ月間飼育してその効果を比較解析した。
  • その結果、典型的西洋食に較べて、地中海食は、代謝異常や、アルツハイマー病 (AD) 関連マーカー発現を予防する効果があることを観察した。
  • 以上より、地中海食は、典型的西洋食に較べて、ADを予防する効果が高いことが示唆された。
図1.

近年、多くの慢性疾患の予防治療に食事療法の有効性が議論されています。特に地中海食は、1985年に米国・ミネソタ大学のAncel Benjamin Keys*2博士が、米国、日本、フィンランド、オランダ、イタリア、ユーゴスラビア、ギリシャと共同して行った疫学研究で、地中海沿岸の国では高脂肪食を食べているにもかかわらず、血中コレステロール値が低く、動脈硬化による狭心症や心筋梗塞、脳血管障害などの冠動脈疾患が少ないことを報告して以来、成人疾患の治療研究において注目されるようになりました(図1)。地中海食には、ポリフェノール、食物繊維、ビタミン、ミネラルなどが豊富に含まれており、これらの成分は抗菌、抗炎症、抗酸化作用を持ち、健康に良い影響を与えます。また、蛋白質は主に魚介類から摂取し、地中海食で豊富に使用するオリーブオイルは、不飽和脂肪酸を多く含んでいること、飽和脂肪酸を多く含む肉の摂取量が少ないこと、野菜や果物などの植物性の食品を多く摂取するために抗酸化作用が強いことなども、健康に良い理由であると考えられます。地中海食は、神経変性疾患の治療にも重要です。最近の神経変性疾患の治療研究の中心は、アミロイドに対するモノクローナル抗体を用いた免疫療法ですが、現時点で、低効率、副作用、高額な医療費など多くの問題がありますので、安価で副作用のない地中海食が予防的に使える可能性があるならば、把握しておく方が良いと思われます(図1)。しかしながら、これまでの論文の大多数は疫学的な視点から論じたものであり、動物実験に関するものはありません。今回、米国・バンガード大学 サザン・カリフォルニアのPaige N Braden-Kuhle博士らは、C57BL/6J野生型マウスにおいて、地中海食、又は、典型的西洋食で飼育し、その神経保護効果を比較解析したところ、地中海食を摂食させたマウスは、西洋食を摂食させたマウスに比べて認知行動力の低下、肥満、アルツハイマー病関連分子マーカーの発現が少ないことを観察しました。これらの結果は、地中海食が神経変性疾患の予防治療に有効であるという仮説に一致する結果であり、最近のJournal of Alzheimers Dis.に掲載されましたので紹介いたします(文献1)。筆者の知る限り、ADのモデルマウスの神経病理所見が食事療法で改善したといった類の論文はありませんので、食事療法単独での治療効果は強くないのかも知れません。また、和食に関しても、今後、研究が発展することが期待されます。


文献1.
A Mediterranean-style diet protects against cognitive and behavioral deficits, adiposity, and Alzheimer's disease-related markers, compared to a macronutrient-matched typical American diet in C57BL/6J mice, Paige N Braden-Kuhle et al., J Alzheimers Dis. 2025 Apr;104(3):678-697.


【背景・目的】

これまでの研究により、ADを含む認知症は危険因子を取り除くことにより高率に(~40%) 予防できるか、あるいは、発症を遅らせることができるのではないかと考えられている。この意味で地中海食のような食事療法のポテンシャルを理解することは重要であり、本プロジェクトの研究目的とした。

【方法】

この目的のために、C57BL/6J野生型マウス(生後21日離乳時のオス)を無作為に、地中海食、または、典型的な西洋食を与えるグループにわけて(地中海食、西洋食ともに、50% kcal 炭水化物, 35% kcal 脂肪, 15%蛋白質からなるように調整)、6ヶ月間飼育後、行動学的、生化学的な解析を行った。一部のマウスに対して、リポ多糖 (LPS: lipopolysaccharide) -誘発性の炎症に対する効果を観察した。

【結果】

  • こ地中海食で飼育したマウスは西洋食で飼育したマウスに較べて、低体重であり、腹部、肝臓部の脂肪蓄積は少なく、コラーゲンIやフィブロネクチンの発現は減少し、血清中のTNF-αや頭部のAβ1-42は、低値であった。
  • 行動解析では、地中海食で飼育したマウスは、探索行動が増加し、不安様行動が減少し、空間記憶の保持が亢進していた。
  • LPS-誘発性の頭部の炎症、BDNF*3の減少は、地中海食で飼育したマウスにおいては、保護されていた。

【結論】

本研究の結果は、地中海食は、西洋食に較べて、野生型マウスにおける代謝異常やAD関連マーカーの発現に対して、保護的に働く可能性を示唆する。

用語の解説

*1.地中海食(Mediterranean diet)
  • 地中海食とは、イタリア、スペイン、ギリシャなどの地中海沿岸諸国で伝統的に食されている食事や食習慣を指す。この食事様式は、健康に良いとされ、2010年にはユネスコの世界無形文化遺産にも登録された。地中海食の主な特徴は以下の通りである。豊富な野菜と果物:多種多様な野菜や果物を豊富に摂取する。
  • 全粒穀物と豆類:全粒粉を使ったパンやパスタ、豆類、ナッツ類を多く取り入れる。これらは食物繊維やビタミン、ミネラルが豊富で、食後の血糖値上昇が緩やかな低GI食品が推奨される。
  • オリーブオイルの多用:主な油としてオリーブオイルを使用する。オリーブオイルは不飽和脂肪酸を多く含み、心血管疾患のリスク低減に役立つとされる。
  • 魚介類の摂取:肉類(特に赤身肉)よりも魚介類を多く摂取する。魚介類はDHAやEPAなどの不飽和脂肪酸が豊富である。
  • 乳製品:ナチュラルチーズやヨーグルトなどの発酵乳製品を適量摂取する。
  • 適量のワイン:食事と一緒に適量の赤ワインを飲む習慣がある。
  • シンプルな調理法:食材を丸ごと使う全体食が中心で、調理方法がシンプルである。
*2.アンセル・ベンジャミン・キース(Ancel Benjamin Keys)
アンセル・ベンジャミン・キース(1904年1月26日-2004年11月20日)は、アメリカ合衆国の生理学者、ミネソタ大学生理学教授。ヒトの普段の食事が健康にどのような影響を及ぼすのかを研究していた。食べ物に含まれる飽和脂肪酸(動物性脂肪)が心血管疾患の原因となるので避けるべきである、との仮説を立てた。現代の公衆衛生機関、システマティック・レビュー、各国の国立衛生機関の食生活における推奨事項は、この説を裏付けるものである。また、キースは1944年から1945年にかけて実施した『ミネソタ飢餓実験』で人間の飢餓状態についても研究し、1950年には『ヒトの飢餓の生物学』(『The Biology of Human Starvation』)を出版した。キースは心血管疾患における疫学についても観察試験で吟味した。第二次世界大戦のころには兵士たちに向けて作った食事『K-ration』(「ration」は「配給食」の意味)を考案し、妻・マーガレットとともに地中海食を普及させた。
*3.脳由来神経栄養因子(BDNF: Brain-derived neurotrophic factor)
BDNFは、標的細胞表面にある特異的受容体TrkBに結合し、の生存、成長、シナプス機能の強化などを調節する、神経細胞の成長に不可欠な神経系の液性蛋白質である。BDNFは、神経栄養因子の一種であり、脳や末梢神経系で発現し、BDNFタンパク質の合成は神経細胞およびグリア細胞の細胞体で行われる。BDNFの分泌は活動依存的で、シナプス前およびシナプス後端から分泌されることがある。BDNFは、中枢神経系や末梢神経系の一部の神経細胞に作用し、今ある神経細胞が維持されるようにサポートし、神経細胞の成長を促し、新しい神経細胞やシナプスに分化することを促す。脳の中では、BDNFは、海馬、大脳皮質、大脳基底核で活性化されている。それらの部位は、学習、記憶、高度な思考に必須の領域である。BDNFは、網膜、運動ニューロン、腎臓、唾液腺、前立腺にも作用する。ADでは、脳の組織中のBDNFは低下している。BDNFは、βアミロイド蛋白の毒性に対して、抑制的に働く。

文献1
A Mediterranean-style diet protects against cognitive and behavioral deficits, adiposity, and Alzheimer's disease-related markers, compared to a macronutrient-matched typical American diet in C57BL/6J mice, Paige N Braden-Kuhle et al., J Alzheimers Dis. 2025 Apr;104(3):678-697.