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2025/10/7

大うつ病のケトン食事療法

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • ケトン食*1は、精神疾患に対して有効であると考えられているが、確定されていない。
  • 本プロジェクトでは、オハイオ州立大学において、大うつ病性障害(MDD)*2の治療を受けている学生さんを対象に、ケトン食介入による治療効果を評価するパイロット試験を実施した。
  • その結果、うつ病症状は減少し、全体的な幸福感は増加した。また、身体組成*3、認知機能、および特定の血液バイオマーカーも改善された。
  • これらの結果は、標準治療を受けているMDD患者さんに対するケトン食療法の実現可能性と潜在的な有効性を示唆するものである。
図1.

うつ病の治療は、カウンセリングや抗うつ剤*4を用いた薬物療法が中心ですが、根本的な治療ではありません。したがって、新たな治療法の開発が切望されています。その意味でも、食事療法は魅力的な可能性です。地中海食は、抗炎症、抗蛋白凝集、抗酸化、ミトコンドリア機能促進作用、免疫機能促進作用などの多彩な作用があり、生活習慣病や神経変性疾患だけでなく、うつ病に有効である可能性が研究されてきました。一方、ケトン食は、元来、低炭水化物、高脂肪食を摂取することにより体内に多量のケトン体を産生維持し、薬剤治療抵抗性のてんかん発作を抑制するために開発された食事治療法ですが、最近では、ケトン食においても、生活習慣病やうつ病などの精神疾患に対して有効かも知れないと考えられるようになりました(図1)。しかしながら、ケトン食のうつ病に対する治療効果に関してこれまで発表された論文は、ケースレポートであり、それぞれ、患者さんの背景も異なることから確定的なものではありませんでした。このような背景で、米国・オハイオ州立大学のDecker, D.D.博士らは、MDDと確定診断され、標準的なカウンセリングや薬物治療を受けている同大学の学生さんを対象にしてケトン食介入のパイロット試験を実施したところ、学生の患者さんのうつ症状は減少し、全体的な幸福感が増加し、また、身体組成、認知機能、および特定の血液バイオマーカーも改善されました。これらの結果は、標準治療を受けているMDD患者さんに対するケトン食療法の実現可能性と潜在的な有効性を示唆するものであり、大変意義深いと思われます。今回は、最近のTransl Psychiatryに掲載された論文(文献1)を紹介いたします。


文献1.
Decker, D.D., Patel, R., Cheavens, J. et al. A pilot study examining a ketogenic diet as an adjunct therapy in college students with major depressive disorder. Transl Psychiatry 15, 322 (2025).


【背景・目的】

最近の報告は、ケトン食による食事療法が、精神医学的疾患の治療に有効である可能性を示唆しているが確定していない。本プロジェクトは、本校の学生でMDDの確定診断を受けた患者さんを対象に、ケトン食介入によるMDDの治療効果を検討することを研究目的とした。

【方法】

  • 本校キャンパス内および地域の精神科医療機関でカウンセリング治療を受けているMDDと確定診断された16人の学生さんを対象に、10~12週間のケトン食介入によるMDD治療の効果を検討することを研究目的とした。
  • 毎朝、ケトン体測定のため、血中β-ヒドロキシ酪酸(β-BHB)*5値を追跡し、気分症状の測定にはPHQ-9 *6、HDRS*7さらに、身体組成、認知機能、血中のホルモン、炎症マーカーを測定した。

【結果】

  • 16人の学生さん(女10人、男6人、平均年齢24歳)に対し、ケトン食介入を完了した。これによるケトーシス(R-BHB > 0.5 mM)は、73%の参加者が達成した。
  • ケトン食介入完了後、PHQ-9で69%、HDRSで71%うつ症状は有意に改善し(p < 0.001)、2–6週間継続した。
  • 全体的な幸福感は約3倍増加した。
  • 参加者の体重は6.2%(p = 0.002)、脂肪量は13%(p < 0.001)が減少した。
  • 血中のレプチン*8濃度は、52%減少し(p = 0.009)、脳由来神経栄養因子(BDNF)*9は、32%増加し(p = 0.029)、いくつかの認知課題の遂行力は改善した。

【結論】

PHQ-9やHDRSのうつ病の評価スコアに基づく軽度から中等度のMDDの学生さんには、10~12週の適切に構成されたケトン食が実行可能な補助療法であり、その結果、うつ症状、幸福感、身体組成、認知機能は改善した。

用語の解説

*1.ケトン食
ケトン食とは、三大栄養素のうち炭水化物を制限して脂質を増やすように構成比を調整し、脂肪酸の代謝を促進して血液中のケトン体を増やすことを目的とした食事である。断食によっててんかん発作が抑制されることが古くより知られており、絶食時には血液中のケトン体濃度が上昇することから、ケトン体はてんかん発作の抑止に有用なのではないかと考えられるようになった。ケトン食は、あらゆるてんかんに有効である可能性があるが、乳児重症ミオクロニーてんかん、West症候群、ミオクロニー脱力発作てんかん、結節性硬化症、Rett症候群などが特に効果が期待できると言われている。ケトン食有効例の約90%では開始1か月以内に何らかの効果を認める。実際、ケトン食は小児を中心とした難治性てんかんに高い効果をもつことが示されているほか、最近ではアルツハイマー型認知症や自閉スペクトラム症への有効性を示唆する研究結果が蓄積されてきている。また、ケトン体のうつ病に対する治療効果も基礎研究で明らかになった。なぜケトン食がこれらの精神疾患に効果を示すのかはさまざまな仮説が提唱されているが、十分に解明されていない。
*2.大うつ病
うつ病は大(だい)うつ病とも呼ばれ、憂うつな気分や意欲の低下など心の症状と、さらに食欲不振、不眠、疲労などの身体的な症状が2週間以上持続する状態をいう。
*3.身体組成(Body composition)
身体組成とは、私たちの体が何でできているかを示すもので、体脂肪、骨、除脂肪軟組織の3つの主要な要素に分類される。具体的には、体は水分、タンパク質、脂質、ミネラルの4つの主要成分で構成されており、これらのバランスが健康状態を反映する。身体組成の評価は、肥満との関連で体脂肪量や体脂肪率の測定、筋肉量(除脂肪量)が主となりますが、骨量や内臓脂肪量の定量化なども含まれる。身体組成を測定する方法としては、体組成計が一般的に用いられる。体組成計は、体に微弱な電流を流し、その電気抵抗を測定することで、体脂肪率、筋肉量、基礎代謝量、内臓脂肪レベル、推定骨量、体水分率などを算出する。これらの項目を定期的にチェックし、管理することは、生活習慣病の予防や健康維持に非常に重要である。
*4.抗うつ剤
うつ病の治療には休養や環境調整とあわせて、薬による治療(薬物療法)が行われることが一般的である。現在用いられている主なうつ病の治療薬として、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)や、SNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)と呼ばれる抗うつ薬などがある。
*5.β-ヒドロキシ酪酸(β-hydroxybutyrate: β-BHB)
ケトン体は、血液中のグルコースレベルが下がった時に、肝臓で作られ、末梢まで運ばれてエネルギー源として使われる。主としてβ-ヒドロキシ酪酸とアセト酢酸の2つのケトン体があり、アセトンは3番目に多いケトン体である。通常、空腹のときや長い運動のとき、β-ヒドロキシ酪酸とアセト酢酸の血中濃度は低くなっていく。血中でケトン体が過剰に産生され、蓄積すると(ケトーシス)、異常な代謝性アシドーシス(ケトアシドーシス)につながります。ときにはケトアシドーシスは致命的になります。血中に多く存在する(最大で75%)β-ヒドロキシ酪酸の定量を行う試験方法は、ケトアシドーシスの診断と治療成果を追跡するのに利用される。
*6.PHQ-9(Patient Health Questionnaire-9)
PHQ-9は、Kroenkeらが報告した、うつ状態を評価するための9つの質問からなる自己報告式のツールである。スコアに基づくうつ病の評価スコアに基づいて、うつ病の重症度が評価されます。 一般的に、5〜9点は軽度うつ状態、10〜14点で中程度、15〜19点で中度から重い、20〜27点で重度のうつ病と考えられている。
*7.HDRS(Hamilton Depression Rating Scale)
HDRSとは、ハミルトンうつ病評価尺度が正式名称である。検査項目の特徴として、睡眠の評価に重点が置かれている。睡眠状態が改善すれば高評価になりやすいという特徴がある。HDRSは、自己評価式の心理検査ではなく、うつ病の症状に特徴的な項目について、医師などの専門家が項目ごとに評価をしていく心理検査になる。それぞれの項目ごとに最も患者さんに近いと思われる点数に〇をつけ、合計点からうつ症状の程度を割り出す。こういった心理検査のため、研究目的で使われることが多い。実際の診療では時間的制約もあるので、有用ではあるものの行われることは少ない。スクリーニング検査としても、あまり向いていない。
*8.レプチン (leptin)
レプチンは脂肪細胞によって作り出され、強力な飽食シグナルを脳に伝達し、交感神経活動亢進によるエネルギー消費増大をもたらし、肥満の抑制や体重増加の制御の役割を果たす16kDaのペプチドホルモンであり、食欲と代謝の調節を行う。
*9.脳由来神経栄養因子(Brain-Derived Neurotrophic Factor: BDNF)
BDNFは、神経栄養因子の一種であり、標準的な神経成長因子と関連している。神経栄養因子は脳や末梢神経系で発現し、BDNFタンパク質の合成は神経細胞およびグリア細胞の細胞体で行われる。BDNFは、標的細胞表面にある特異的受容体TrkBに結合し、神経細胞の生存、成長、シナプス機能の強化などを調節する、神経細胞の成長に不可欠な神経系の液性蛋白質である。

文献1
Decker, D.D., Patel, R., Cheavens, J. et al. A pilot study examining a ketogenic diet as an adjunct therapy in college students with major depressive disorder. Transl Psychiatry 15, 322 (2025).