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2026/3/13

がん転移における神経からがん細胞へのミトコンドリアの移行

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 近年、腫瘍内の神経密度とがん転移の関連性が指摘されてきたが、神経がどのようにがんの進行を支えているのかは不明であった。
  • 本プロジェクトにおいて、乳がんの神経遮断モデル*1を用いた実験では、神経遮断によりがんの代謝活性と増殖が顕著に低下することを確認し、神経とがんの共培養実験では、神経からがん細胞へミトコンドリアが移行し、受け取ったがん細胞ではATP産生量や抗酸化能が上昇した。
  • さらに新たに開発したMitoTRACER*2により、神経由来ミトコンドリアを受け取ったがん細胞を追跡したところ、これらの細胞は転移巣で濃縮されていた。
  • これらの結果、神経細胞がミトコンドリアをがん細胞へ移行させることで、がんの代謝可塑性と転移能を高めるという新たなメカニズムが明らかになった。
  • この発見は、腫瘍の神経支配を標的とした転移抑制という新たながん治療戦略の道を拓くものである。
図1.

近年、がんの研究分野で注目されていることの一つに腫瘍微小環境(TME)*3におけるがん細胞と周囲の細胞との相互作用(図1)があります。すなわち、がん細胞は独自に増殖、進展するのではなく、周囲のマクロファージなどの免疫細胞や血管新生やがんの増殖を促進する線維芽細胞など多くの細胞が関与することがわかってきました。これに関連して、TMEに神経細胞が多く存在するほど、がん細胞の増殖性が強くなることから、神経細胞が腫瘍の代謝促進に働いている可能性が指摘されていましたが、具体的なメカニズムは、はっきりしませんでした。この様な状況で、米国・サウスアラバマ大学のGregory Hoober博士と共同研究者は、がんの転移はがんの多くの機能の中でも、特に、莫大なエネルギー(ATP)を必要とする過程であることから、神経細胞が転移時に腫瘍のエネルギーを著しく改善するのではないかと考えました。この仮説を乳がんの神経遮断モデル、神経細胞と癌細胞の共培養モデルにおいて確認しました。さらに、著者らは、ミトコンドリア転移のレポーターであるMito TRACERを開発し、ミトコンドリアが移行したがん細胞の転移部位における選択的濃縮が広がったことが明らかになりました。これらの結果は、TME内の神経細胞からミトコンドリアを受け取ることにより、がん細胞の転移能力が強化されることを示唆するものであり、昨年のNature誌に掲載されましたので、今回は、この論文(文献1)を報告いたします。がんの転移の予防は、がんの治療における核心的な部分ですが、治療法はありません。もし、神経細胞よりのミトコンドリア・トランスファーが治療標的になれば、大きな進歩と言えるでしょう。


文献1.
Nerve-to-cancer transfer of mitochondria during cancer metastasis., Hoober G et al. Nature 644, pages 252–262 (2025)


【背景・目的】

神経系はがん生物学において極めて重要な役割を果たしており、これまでの研究により腫瘍内神経密度とがん転移との関連が示されている。神経へのがん依存が強くなっていることが指摘されてきたが、神経媒介性がんの進行を促進する根本的なメカニズムについては、十分に理解されていない。本プロジェクトでは、これをミトコンドリア・トランスファーに焦点を当てて検討することを研究目的とした。

【方法・結果】

  • 乳がんの神経遮断モデルと神経とがんの共培養モデルにより、神経細胞が腫瘍のエネルギーを著しく改善することが確認された。がん細胞と融合したニューロンは代謝の再プログラミングを行い、ミトコンドリアの質量が増加し、その後、隣接するがん細胞へミトコンドリアが移行した。
  • 受取細胞の運命を正確に追跡するために、細胞間ミトコンドリア転移のレポーターであるMitoTRACERを開発し、受取細胞とその子孫に恒久的にラベル付けを行った。これにより、原発腫瘍においてがん細胞が神経ミトコンドリアを獲得する際の系統解析と運命のマッピングにより、転移部位における選択的濃縮が広がったことが明らかになった。

【結論】

以上の結果は、原発腫瘍内の神経細胞からミトコンドリアを受け取るがん細胞の転移能力の強化を示唆するものであり、神経系が「エネルギー供給者として」がんの代謝や転移をサポートしているという新たな知見を提供する。

用語の解説

*1.乳がんの神経遮断モデル
ボツリヌス神経毒素A型は、クロストリジウム・ボツリヌム菌によって産生される非常に強力な神経毒で、神経筋接合部に作用し、アセチルコリンという神経伝達物質の放出を抑制することで、筋肉の収縮を一時的に麻痺させる。本プロジェクトにおいては、乳がんの癌細胞に隣接すると想定される神経をボツリヌス神経毒素Aで遮断することにより、神経細胞からがん細胞へのミトコンドリア・トランスファーを抑制した。
*2.MitoTRACER
MitoTRACERは、神経細胞からミトコンドリアを受け取ったがん細胞を特定し、その後の挙動を追跡するために使用されます。この技術により、がんの転移メカニズムの解明に貢献しています。
*3.腫瘍微小環境(Tumor microenvironment:TME)
TMEとは、がん組織の中でがん細胞と正常細胞が互いに影響を及ぼし合い構築したネットワークのことである。がんはがん細胞だけで構成されているわけではなく、様々な正常細胞が入り混じっている。例えば、がん細胞に酸素や栄養を届けるために、がん組織の中には血管やリンパ管が入り込んでいる。さらに、結合組織を構成する線維芽細胞や、免疫細胞であるマクロファージなど、多くの細胞ががん細胞の間に入り込んでいる。これらの正常な組織や細胞は、がん細胞と情報を交換することで、がん細胞の増殖を助けたり、がん細胞に対する免疫反応を抑え込んだりしていることが分かってきた。また、悪性度の高い膵臓がんやスキルスがんではがん細胞を取り囲む細胞や組織(間質)の割合が多いこと、同じがんでも、進行が進むと間質の割合が増えることが知られている。そこで、間質の細胞をターゲットにした薬の開発や、腫瘍微小環境の免疫反応を活性化するような薬の開発が進められている。

文献1
Nerve-to-cancer transfer of mitochondria during cancer metastasis., Hoober G et al. Nature 644, pages 252–262 (2025)