東京オリンピックの開催まであと1ヶ月余りとなりました。もし、ワクチン接種の効果が出始めればタイミングとしては悪くないように思われますが、他方で、既存のワクチン抵抗性の変異型SARS-CoV-2が勢いを増す可能性が懸念されるなど、現時点においてもオリンピックの開催には賛否両論あります。また、国際オリンピック委員会や政府の発表は政策面が中心となり、必ずしも科学的な根拠に基づいていないと思われます。したがって、科学論文ではどのように述べられているのか把握することが重要であり、今回は、世界的な臨床医学雑誌である、The NEW ENGLAND JOURNAL of MEDICINE(NEJM; 文献1)のコメント論文を取りあげます。
• 7月下旬200ヶ国以上から約11,000人の選手と約4,000人のサポートスタッフが2週間以上、東京オリンピックに集まり、その1ヶ月後には約5,000人がパラリンピックに参加します。国際オリンピック委員会(IOC) 東京2020プレイブックによると参加する選手は顔の覆い、ワクチン接種を推奨(義務ではない)され、日本に到着後は不定期間隔で検査を受けます。
• 昨年3月の時点でのCOVID-19の患者は、日本に865人、世界中に38万人と報告され、1年後のワクチンの効果などによる沈静化を予想してオリンピックの延期が決定されたました。ところが、現在の感染者数は、日本には7万人、世界中では1,900万人に増加しました。変異型のSARS-CoV-2も報告されており、さらに、憂慮すべきは、現時点で日本のワクチンの接種率は5%しか達していません。これは、先進国では最も低率です。
• ファイザーとBioNTechはすべてのオリンピック選手にワクチンを寄付すると申し出ていますが、100ヶ国以上の国はワクチン接種する体制が確立されておらず、さらに、選手自身がワクチン接種を拒否する可能性があります。また、多くの国において若年者(e.g. 15 – 17歳以下)はワクチンを接種する対象になりません。
• IOCは科学的根拠に基づいてオリンピックを推進していません。プレイブックには、選手が直面するさまざまなレベルのリスクを区別し、体温測定や顔の覆いなどの対策の限界に関する記載はなく、選手自身が自己責任で参加すると述べてあります。さらに、IOCは他のスポーツイベントから得られた教訓に耳を傾けません。米国を拠点とするスポーツリーグ;ナショナルフットボールリーグ(NFL)、ナショナルバスケットボールアソシエーション、女子バスケットボールアソシエーションなどは成功したシ−ズンを送りましたが、空中伝搬、無症候性の広がり、緊密な接触の定義など多くのプロトコールは厳格でした。他方、いくつかの大会では、選手一人一人の部屋、毎日の検査、接触をモニターする上着の着用などの厳格な条件下にもかかわらず、感染を防げませんでした。
• IOCのプレイブックは科学的に厳密な評価に基づいておらず、どのようにして暴露が起きるのか、どの選手が高リスクなのか考慮しません。確かに、ほとんどのオリンピック選手は低リスクかも知れませんが、一部のパラリンピック選手は高リスクの可能性があります。また、プレイブックはトレーナー、ボランティア、職員、ホテルや交通機関の従業員に関しては適切な保護をしません。
• 世界保健機関(WHO)と米国疾病予防管理センター(CDC)はどちらもSARS-CoV-2の人から人への感染において感染性粒子の吸入の重要性を認識しています。イベントを計画する際には、最も暴露されやすい仕事、活動、場所に関する情報が必要です。エアゾールの吸入に関して言えば、暴露される感染性粒子の濃度とその時間が重要です。感染性粒子の濃度は感染者の人数と活動度、その場所への滞在時間、換気の程度に依存します。閉鎖空間では、感染性粒子は拡散し、長時間になるほど、感染者との距離よりも滞在時間が重要になります。
• プレイブックは活動度や開催地に応じてイベントを低・中・高リスクに分類し、そのカテゴリーに応じた対応をするべきです。例えば、セーリング、アーチェリー、馬術など屋外で競技者が離れている様な種目は低リスクでしょう。屋外の他のスポーツ;ラグビー、サッカーなどは選手間の接触があるので中リスク、屋内で競技者が接触するボクシングやレスリングは高リスクと見なされます。体操など競技者が接触しない場合でも屋内のスポーツは屋外のスポーツに較べてリスクが高くなります。このように選手及び関係者に対するプロトコールはリスクのレベルに応じて変わるでしょう。
• プレイブックは、非競技場を含めた設備に関してもそれらのリスクの違いについて言及しなければいけません。多くの競技者が集まるスタジアム、バス、カフェテリアは、屋外にくらべて高リスクになります。ホテルはコロナ禍以前に設計されており、換気が十分ではないので、寝室(標準で3人部屋)、ダイニングルーム、その他の共用施設も高リスクです。
• COVID-19は感染の症状が出る48時間前から感染性が有り、場合によってはまったく無症状の場合もあります。したがって、体温や症状を指標にするのは効果的ではありません。PCR検査を少なくとも1日1回行なうのが有効であることがNFLの経験から明らかです。また、IOCは、必須のコンタクトトレーシング及び、健康報告アプリを備えたスマートフォンを競技者に提供することを計画していますが、これまでの経験から、ウェアラブルデバイスの方がそのようなアプリよりもうまくいくことがわかっています。
• WHOは労働安全衛生、建物と換気工学、感染症疫学の専門家、競技者の代表を含む緊急委員会を直ちに招集し、これらの要因を検討し、リスク危険アプローチについて助言するとよいでしょう。前例として、WHOはジカウイルス緊急事態下のブラジルでのオリンピック・パラリンピックの際に緊急委員会を招集しました。
グローバルヘルスセキュリティ戦略は国家間の相互理解に依存します。もし、COVID-19に直面した我々の経験が真実の瞬間を現わすならば、それは人間の価値観と集合的な人間の利益を実現し、世界が新しい契約をし、将来の脅威を打ち負かすための機会を提供します。オリンピックの精神は刺激を与え動員する力において比類なきものです。私たちは、私たちを隔てるものの価値よりも私たちをつなぐものの価値を認識しているのでトーチの周りに集まります。私たちが安全につながるためにはこれらのオリンピックを進めるために緊急の行動が必要です。
以上のように、NEJMはオリンピックを中止・延期した方がよいと言っていません。ただ、IOCはもっと議論して、プレイブックをより科学的根拠に基づいたものに改良し、さらに、WHOは緊急委員会を招集して検討しIOCに助言するよう提言しています。同様に、LANCET(文献2)もWHOやCDCの積極的なアドバイスを勧めています。これらの医学雑誌の正論がどれ程受け入れられたのかは不明です。
現時点では、このままオリンピック開催へと突入しそうです。この記事を書いている中、ウガンダの選手団の一人が入国後のPCR検査で陽性のニュースが流れました。COVID-19の視点からみれば、オリンピックは既に始まっています。