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2024/11/20

肥満患者さんに見られる術後認知障害とアディポネクチン産生低下の関連性

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • 肥満*1の患者さんにおいて、セボフルラン*2などの全身麻酔による手術後に認知障害をきたすことが知られているが、そのメカニズムは不明である。
  • 高脂肪食を与えて肥満にしたC57BL/6マウス、さらに、アディポネクチンノックアウトマウスにおいて、セボフルラン暴露による認知障害が(コントロールのマウスに比べて)有意に観察された。これらの認知障害は、アディポロン*3投与により、改善することが示された。
  • これらの結果は、アディポネクチン受容体伝達経路の低下がセボフルランによる認知機能障害の一つの原因である可能性を示唆している。
  • 肥満患者さんに見られる術後認知障害に対して、アディポロンによりアディポネクチン受容体伝達経路を刺激することが、治療に繋がる可能性がある。
図1.

肥満の患者さんの周手術期*4には、呼吸器疾患や感染症など、多くの合併症の危険がありますが、最近では、術後認知機能障害が注目されています。手術や麻酔を受けた患者さんにおいて、記憶・注意・遂行機能・言語などの神経認知機能の障害が日内変動なく出現し、改善には時間を要するか、あるいは改善しないこともあります。一つの原因は外科手術の際に用いる麻酔薬による神経毒性が、肥満の患者さんでは、麻酔薬が脂肪に溜まりやすいためにより強くなってしまう現象であると考えられています。術後認知機能障害の発症率は、約15-50%で、高齢になるほど多い傾向があり、また、加齢や手術前からの認知機能低下が危険因子であり、認知症に移行する可能性があると言われています。現時点では、麻酔薬がどのようなメカニズムで認知機能に影響を与えるのか不明であり、これを理解し、適切な治療を行うことが必要であると思われます。最近、中国・香港大学のサウスウエスタンメディカルセンターのJohn Man Tak Chu博士らは、肥満の患者さんにおいて麻酔薬の神経毒性が高くなる原因として、肥満によるアディポネクチンの低下が関係している可能性を考えました(図1)。この仮説を検討するために、C57BL/6マウスの高脂肪食による肥満モデル、アディポネクチンノックアウトマウスに揮発性麻酔薬であるセボフルランに暴露したところ、アディポネクチンの低下により、術後認知機能障害が引き起こされ、アディポロン投与により、改善されることを観察しました。これらの結果は、アディポネクチンの低下が肥満患者さんに見られる術後認知機能障害に関与し、アディポロンによりアディポネクチン受容体刺激伝達経路を刺激することが、治療に繋がる可能性を示唆しています(図1)。最近、Mol Med.に掲載された論文(文献1)を紹介いたします。


文献1.
Adiponectin deficiency is a critical factor contributing to cognitive dysfunction in obese mice after sevoflurane exposure, John Man Tak Chu et al, Molecular Medicine volume 30, Article number: 177 (2024)


【背景・目的】

肥満の患者さんの外科手術には、麻酔薬の神経毒性による術後認知機能障害のリスクが高くなることが知られているが、そのメカニズムは不明である。著者らは、その原因として、肥満によるアディポネクチンの低下が関係している可能性を考えた。この仮説をマウスの系で実験的に検討することが、本論文の研究目的である。

【方法】

この仮説を検討するために、C57BL/6マウスを高脂肪食(60%含有)で3ヶ月間飼育した肥満モデル(3ヶ月齢, ♂, n=10)に、セボフルランを暴露し、2時間後に認知機能、神経炎症、神経変性を評価した。さらに同様の実験をアディポネクチンノックアウトマウス(4ヶ月齢, ♂, n=6〜10)に対して行った。さらに、セボフルランによる神経障害がアディポロンにより保護されるかどうか評価した。

【結果】

  • C57BL/6マウスの肥満モデルは、セボフルラン暴露により、種々の行動解析(Open field test*5, NOR test*6)、神経炎症(Cytokine測定)、神経変性 (樹状突起数の減少, 神経細胞死など)のいずれも悪化したが、コントロール(痩せ型)のC57BL/6マウスにおいては、効果が見られなかった。
  • 同様に、アディポネクチンノックアウトマウスにおいてもセボフルラン暴露により、認知機能、神経炎症、神経変性のいずれも悪化した。
  • いずれのマウスにおいても、セボフルランによる神経障害は、アディポロンにより有意に保護された。

【結論】

以上の結果より、マウスモデルにおいてアディポネクチン受容体伝達経路の低下がセボフルランによる認知機能障害の一つの原因である可能性がある。したがって、アディポロンによりアディポネクチン受容体伝達経路を刺激することが、肥満患者さんに見られる術後認知障害に対する治療に繋がると期待される。

用語の解説

*1.肥満
一般的に肥満の程度はBMI(Body Mass Index:体重(kg)÷身長(m)×身長(m))で評価され、海外ではBMI≧30が肥満,BMI≧40が病的肥満であるが、日本では25以上を肥満と定義する。肥満症治療の基本は減量であり、体重減少により、さまざまな病気(II型糖尿病、高脂血症、高血圧、痛風、睡眠時無呼吸症候群など)を予防・改善することができる。食事療法・運動療法といったライフスタイルの改善により減量を目指し、それでも効果不十分な場合には、医師の判断によって薬物治療や手術を行うことがある。
*2.セボフルラン(Sevoflurane)
セボフルランは、甘い香りをもつ、不燃性の高度にフッ素化されたハロゲン化エーテルであり、吸入麻酔薬として全身麻酔の導入および維持に用いられる。デスフルランに次いで、揮発性麻酔薬の中では最も効果の発現と消失が速い。特に日帰り手術麻酔で、すべての年齢層のヒトの日常臨床および獣医学領域で最も一般的に使用されている揮発性麻酔薬の1つである。デスフルランとともに、セボフルランは現代の麻酔でイソフルランとハロタンに取って代わりつつある。亜酸化窒素と酸素の混合物で投与されることもある。セボフルランは優れた安全性の特性を持っている、ハロタン肝毒性と同様のまれな肝毒性については結論が出ていない。粘膜への刺激が少ないため、マスク導入に適した薬剤である。
*3.アディポロン(Adiporon)
マウス大腸がん悪液質に対するアディポロンの治療効果〈2024/11/7掲載〉)を参照。
*4.周術期(Peri-operative period)
肥満の患者さんは、術中、脂肪組織により胸やお腹が圧迫され、呼吸に際して肺がつぶれやすく、ふくらみにくいという特徴があり,このため、手術中の酸素の取り込みに支障が出るほか、肺がつぶれて手術後の肺炎などの肺合併症をおこしやすくなる。また、周術期または周手術期は、入院、麻酔、手術、回復といった患者の術中だけでなく前後の期間を含めた一連の期間である。「周術」には一般に手術に必要な3つの段階、術前、術中、術後が含まれる。周術期管理は外科医、麻酔科医などにより協同して行われる。それに対応する看護を周術期看護と呼ぶ。
*5.Open field test(オープンフィールドテスト)
げっ歯類の不安関連および探索的行動を調査するために一般に受け入れられている単純な試験である。 オープンフィールドは空(から)のテストアリーナで、通常はラウンドまたはスクエアで、動物の活動が測定される。壁に近づいた時間(thigmotaxisと呼ばれる不安様反応)対内側ゾーンの滞在時間および訪問頻度が測定される。 さらに、一般的な歩行動作(移動した総距離)はしばしば考慮される。
*6.NOR test(Novel object recognition test, ノベルオブジェクト探索試験)
ノベルオブジェクト探索試験は、認識メモリのための高度に検証されたテストである。 それは、記憶増強化合物の有効性、ある種の他の化合物の記憶への(ネガティブ)効果、遺伝学または年齢の記憶への影響などを試験するために使用することができる。基本的な考え方:ラットやマウスは2つ以上のオブジェクトにさらされ、これらをしばらく探索する。次に、オブジェクトの1つが別の新奇オブジェクトに置き換えられると記憶が正常に機能している場合、ラットまたはマウスは、この新奇オブジェクトを探索する方が、馴染みのあるオブジェクトを探索するよりも多くの時間を費やす。すべてのオブジェクトの探索時間が同じであれば、これは記憶不足と解釈することができる。

文献1
Adiponectin deficiency is a critical factor contributing to cognitive dysfunction in obese mice after sevoflurane exposure, John Man Tak Chu et al, Molecular Medicine volume 30, Article number: 177 (2024)