肥満の患者さんの周手術期*4には、呼吸器疾患や感染症など、多くの合併症の危険がありますが、最近では、術後認知機能障害が注目されています。手術や麻酔を受けた患者さんにおいて、記憶・注意・遂行機能・言語などの神経認知機能の障害が日内変動なく出現し、改善には時間を要するか、あるいは改善しないこともあります。一つの原因は外科手術の際に用いる麻酔薬による神経毒性が、肥満の患者さんでは、麻酔薬が脂肪に溜まりやすいためにより強くなってしまう現象であると考えられています。術後認知機能障害の発症率は、約15-50%で、高齢になるほど多い傾向があり、また、加齢や手術前からの認知機能低下が危険因子であり、認知症に移行する可能性があると言われています。現時点では、麻酔薬がどのようなメカニズムで認知機能に影響を与えるのか不明であり、これを理解し、適切な治療を行うことが必要であると思われます。最近、中国・香港大学のサウスウエスタンメディカルセンターのJohn Man Tak Chu博士らは、肥満の患者さんにおいて麻酔薬の神経毒性が高くなる原因として、肥満によるアディポネクチンの低下が関係している可能性を考えました(図1)。この仮説を検討するために、C57BL/6マウスの高脂肪食による肥満モデル、アディポネクチンノックアウトマウスに揮発性麻酔薬であるセボフルランに暴露したところ、アディポネクチンの低下により、術後認知機能障害が引き起こされ、アディポロン投与により、改善されることを観察しました。これらの結果は、アディポネクチンの低下が肥満患者さんに見られる術後認知機能障害に関与し、アディポロンによりアディポネクチン受容体刺激伝達経路を刺激することが、治療に繋がる可能性を示唆しています(図1)。最近、Mol Med.に掲載された論文(文献1)を紹介いたします。
文献1.
Adiponectin deficiency is a critical factor contributing to cognitive dysfunction in obese mice after sevoflurane exposure, John Man Tak Chu et al, Molecular Medicine volume 30, Article number: 177 (2024)
肥満の患者さんの外科手術には、麻酔薬の神経毒性による術後認知機能障害のリスクが高くなることが知られているが、そのメカニズムは不明である。著者らは、その原因として、肥満によるアディポネクチンの低下が関係している可能性を考えた。この仮説をマウスの系で実験的に検討することが、本論文の研究目的である。
この仮説を検討するために、C57BL/6マウスを高脂肪食(60%含有)で3ヶ月間飼育した肥満モデル(3ヶ月齢, ♂, n=10)に、セボフルランを暴露し、2時間後に認知機能、神経炎症、神経変性を評価した。さらに同様の実験をアディポネクチンノックアウトマウス(4ヶ月齢, ♂, n=6〜10)に対して行った。さらに、セボフルランによる神経障害がアディポロンにより保護されるかどうか評価した。
以上の結果より、マウスモデルにおいてアディポネクチン受容体伝達経路の低下がセボフルランによる認知機能障害の一つの原因である可能性がある。したがって、アディポロンによりアディポネクチン受容体伝達経路を刺激することが、肥満患者さんに見られる術後認知障害に対する治療に繋がると期待される。