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2025/5/9

c-Abl阻害薬によるパーキンソン病治療の可能性

文責:橋本 款

今回の論文のポイント

  • これまでαSトランスジェニックマウスモデルにおいて、パーキンソン(PD)の病態におけるc-Ablの重要性が述べられている。本プロジェクトでは、ピロリ菌*1感染やロテノン*2暴露によるPDの細胞モデルを解析して、c-Abl*3の関与の有無を調べた。
  • その結果、いずれの系においても酸化ストレスを通してc-Ablを活性化して、αSのSer129残基のリン酸化を促進すると思われた。
  • 本研究の結果は、感染によるPDと農薬暴露によるPDとの間に共通のメカニズムがあること示唆するものであり、αシヌクレノパチーの病態におけるc-Ablの重要性を強調するものである。
図1.

最近、お伝えしていますように、PDにおいては、腸内環境に関連した糞便移植、iPS細胞を用いた幹細胞移植治療など新しい治療法が次々に考案され(サソリ毒由来ペプチドの抗パーキンソン作用;腸内環境改善の重要性〈2025/4/22掲載〉iPS細胞を用いたパーキンソン病の再生医療;第I/II相臨床治験〈2025/4/29掲載〉)、PD患者さんの臨床開発の成功が期待されています。しかしながら、病態のメカニズムを明らかにすることが、最終的なゴールへの近道になると考えられます。PDやアルツハイマー病などの神経変性疾患の病態の特徴の一つは、リン酸化の亢進です(図1)。これに関連して、c-Ablチロシンリン酸化シグナル活性の増加が、酸化ストレスなど神経変性シグナルを増大し、アミロイドβ(Aβ)やα-シヌクレイン(αS)などのアミロイド蛋白の凝集や炎症に関与していることが示され(図1)、さらに、αSトランスジェニックマウスモデルにおいてc-Abl阻害薬#3であるニロチニブ(Nilotinib FDA承認済みの慢性骨髄性白血病治療薬)の神経保護作用およびドーパミンレベルの回復作用が示されました。現在、孤発性PDのモデルは、いくつか確立されていますので、前臨床試験の段階で十分に検討することが必要です。ドイツ・クリスティアン・アルブレヒト大学キール校のMarzieh Ehsani博士らは、内因性のαSを発現する神経芽細胞由来のSH-SY5Y細胞に、i)ピロリ菌を感染させたPDの感染モデル、または、ii)ロテノン(農薬)を添加したPDの薬剤モデルを解析した結果、いずれの系においてもc-Ablの活性化、酸化ストレス、αSのリン酸化が認められ、さらに、c-Abl阻害薬により、これらの所見は抑制することが観察されました。以前にも取り上げましたが、抗がん剤が神経変性疾患の治療薬になる可能性があるのは興味深いと思われます(抗がん剤によるアルツハイマー病の治療〈2024/7/2掲載〉)。今回は、最近のbioRxivに掲載された査読前論文(文献1)を紹介致します。


文献1.
Infection and herbicide exposure implicate c-Abl kinase in α-Synuclein Ser129 phosphorylation, Marzieh Ehsani et al, bioRxive Posted January 30, 2025 doi: https://doi.org/10.1101/2025.01.29.635561


【背景・目的】

PDは多因子性の原因によって引き起こされる複雑な神経変性疾患であるが、αSのSer129残基のリン酸化・凝集の促進、酸化ストレス、炎症などを共通する病理学的特徴である。本プロジェクトは、培養細胞を用いて、i) PDの感染モデル、ii) PDの薬剤モデルを解析することを研究目的とする。

【方法】

  • SH-SY5Y細胞にピロリ菌(H. pylori)を感染させたPDの感染モデル、または、ロテノン(農薬)を添加したPDの薬剤モデルをこれらの実験系において、αSのSer129残基のリン酸化を免疫組織化学やウェスタンブロットで解析する。
  • αSのSer129残基のリン酸化、また、上流に位置するセリン・スレオニンキナーゼの活性を指標にして2種類のc―Ablの阻害剤; イマチニブ、アイクルシグの効果を評価した。
  • さらに、影響を受けた神経変性経路を明らかにするため、トランスクリプトームを行い、その結果をIPA*4とDESeq2*5で評価した。

【結果】

  • RNAの機能的解析の結果、ピロリ菌を感染させたPDの感染モデル、または、ロテノンを添加したPDの薬剤モデルのいずれの系においても酸化ストレスを通してc-Ablを活性化して、αSのSer129残基のリン酸化を促進すると思われた。
  • c-Abl阻害剤のアイクルシグやイマチニブは、αSのSer129残基のリン酸化を効果的に抑制するとともに、ピロリ菌やロテノンによる遺伝子発現の変化を元の状態に戻した。
  • さらに、c-Ablを介したαSのSer129残基のリン酸化の誘導にはGSK3βが関与していると思われた。
  • また、ピロリ菌の細胞空胞化毒素*1がc-AblによるαSのSer129残基のリン酸化に重要な役割をしていると思われた。

【結論】

本研究の結果は、感染によるPDと農薬暴露によるPDとの間に共通のメカニズムが共有される可能性があり、共通の治療標的があること示唆するものであり、これまでの知見と合わせると、αシヌクレノパチーの病態におけるc-Ablの重要性を強調するものである。

用語の解説

*1.ピロリ菌(H. pylori;ヘリコバクター・ピロリHelicobacter pylori)
ピロリ菌は胃粘膜に生息している。胃粘膜は、強力な酸である胃酸に覆われているが、ピロリ菌は、ウレアーゼという酵素を出して、アルカリ性のアンモニアを作り出すことで、胃酸を中和しながら、胃の中に存在している。日本人の場合、年齢が高い方ほどピロリ菌に感染している率が高く、60歳代以上の方の60%以上が感染しているといわれる。これは、水道水などのインフラがまだ整っていなかった時期に免疫機能が十分ではない幼少期を過ごしたためではないかとされている。ピロリ菌に感染しているだけでは、症状などは出ないが、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、胃炎の患者さんはピロリ菌に感染している方が多く、ピロリ菌が胃や十二指腸の炎症やがんの発生に関わっていると考えられている。ピロリ菌を除菌すると、胃や十二指腸の病気にならないし、これらの病気が再発しにくくなることから、もし、ピロリ菌に感染していることが分かった場合は、積極的に除菌することが推奨されている。
*2.ロテノン(Rotenone)
ロテノンは無臭の化合物で、フェニルプロパノイドの一種である。殺虫剤・殺魚剤・農薬として広く効果を持つ。天然にはある種の植物の根や茎に含まれる。ラットに投与するとPDの原因となる。毒物及び劇物取締法により劇物に指定されている。ミトコンドリア中の電子伝達系を阻害することによって効果を発揮する。具体的には、呼吸鎖複合体I中の鉄・硫黄中心からユビキノンへの電子の移動を妨げる。これによってNADHからATP(細胞のエネルギー源)への変換が行われなくなる。
*3.c-Abl(阻害薬)
非受容体型チロシンキナーゼ c-Abl は、主に細胞質に局在し、細胞増殖・分化・接着・移動などを制御するシグナル伝達分子である。actin 結合ドメインを持ち、細胞質におけるactin dynamicsに関わる。また、核移行シグナル (NLS) を持っており、核内にも存在することも知られている。ニロチニブ(Nilotinib)は、分子標的治療薬のチロシンキナーゼ阻害薬の一つであり、塩酸塩一水和物がイマチニブ耐性の慢性骨髄性白血病の治療に用いられる。同様に、アイクルシグは、慢性骨髄性白血病やRh染色体陽性の急性リンパ性白血病の治療薬である。チロシンキナーゼ阻害薬に分類される分子標的薬で、グリベック(イマチニブ)などの他の同タイプの薬で治療がうまくいかない場合に使われる。
*4.IPA(Ingenuity® Pathway Analysis)
マイクロアレイ・RNA-seq・プロテオーム・メタボロームなど様々な形式のデータから既知のパスウェイ・上流因子・毒性/疾患との関連を探索するためのソフトウェアである。精査した論文の知見をベースに、データに関わる化合物・疾病・毒性・生物学的機能・パスウェイを検索し、詳細な働きや関わる分子を可視化する。パスウェイとは、生体内での遺伝子・タンパク質・その他の化合物等の分子間相互作用を「経路」として表現したものであり、IPAは世界最大規模のパスウェイデータベースを蓄積している。
*5.二群間比較(DESeq2)
DESeq2 は RNA-seq のリードカウントデータから発現変動遺伝子を検出するためのパッケージである。一般化線形モデルをサポートしているため複雑な解析にも柔軟に対応できる。

文献1
Infection and herbicide exposure implicate c-Abl kinase in α-Synuclein Ser129 phosphorylation, Marzieh Ehsani et al, bioRxive Posted January 30, 2025 doi: https://doi.org/10.1101/2025.01.29.635561