追悼

追悼 田中啓二先生


所長正井 久雄

田中啓二先生
田中啓二先生

私たちが敬愛する当財団理事長の田中啓二先生は、2024年 7月 23日にご逝去されました。突然の別れに、私たちは完全に言葉を失い、深い悲しみと衝撃は癒えることはありません。

田中先生は、 1996 年 に東京都医学総合研究所の前身の東京都臨床医学総合研究所 部長に就任され、その後、28年間にわたり、都における医学研究を推進され、世界に冠たる金字塔となる数々の発見をされました。

田中先生は小さい時から、大変読書好きで、学生の時には小林秀雄を愛読され小説家になりたいと考えられたこともあるということです。先生の多くの著作物は、大変格調が高く、流麗な文章であることは有名です。理系に進学された田中先生は、徳島大学医学部附属酵素研究施設において、市原明先生の研究室で研究を開始されました。その後、市原先生のご紹介で留学されたハーバード大学アルフレッド・ゴールドバーグ教授の研究室で、プロテアソームの発見につながる研究を開始されました。

田中先生は、ゴールドバーグ研究室で、ATP 依存的にユビキチン化されたタンパク質の分解にも ATP の加水分解が必要であること明らかにし、1983 年に「エネルギー依存性の2段階説」という新たなタンパク質分解システムを提唱し、これが ATP 依存性タンパク質分解酵素の発見への糸口になりました。

その後、プロテアソームの構造、その集合過程のメカニズムの解明、さらに免疫の概念を覆した「免疫プロテアソーム」と「胸腺プロテアソーム」の発見など、世界の頂点でプロテアソーム研究を率いてこられました。これについては、多くの書物ですでに記載されておりますので、詳細は割愛いたします。

田中先生は、国際共同研究も含め、多くの共同研究を通じて、常に最先端の技術を研究に活かし、問題を解決されてきました。このような能力は日本人研究者には稀有であり、先生の研究に対する鋭い嗅覚と、そのお人柄ゆえの幅広い研究者人脈があったからこそ可能であったと思います。

私は、恥ずかしながら、田中先生とお会いするまで、先生のご業績について、深く知らなかったのですが、20年近く前にある会議で先生のご講演を初めて聴講させていただきました。その時、そのお話のあまりの美しさに、心から感動をしたのを覚えております。これは、素晴らしい音楽や美術作品に触れた時の感動と全く同じでした。自然の摂理・真理を明らかにすることにより、これだけの感動を与えることができるのだと感じたのは、後にも先にもこの一度だけでした。先生は文化功労者顕彰を含めて数多くの賞を受賞されております。最近は、毎年、ノーベル賞の季節には、受賞の候補者として、田中先生のお名前が挙がっておりました。

田中先生は、その卓越した研究成果により世界の生命科学に輝ける金字塔を打ち立てましたが、同時に多くの研究者に対して、分け隔てなく惜しみない指導と支援を提供されました。先生のご支援により、研究者として救われた研究者は私も含めて数多いと思います。また、先生は、研究室から多くの人材を育成し、先生の薫陶を受けた多くの研究者たちは、今やそれぞれの分野において世界の最先端で活躍し、田中先生の精神と知識を継承し関連分野の研究を率いておられます。

田中先生は、3つの研究所(東京都神経科学総合研究所・東京都精神医学総合研究所・東京都臨床医学総合研究所)の統合時には、多くの難題を体を張って解決し、多様な背景の研究者が、その能力を最大限発揮できるよう、また、統合の利点を生かして、飛躍的に発展できるよう、研究所の一体化を進められました。このように、研究所のマネージャーとしても、強いリーダーシップとビジョンを示し、同時に所内の細かい点まで気配りし、統合後8年間にわたり所長として、研究所の発展に寄与されました。

田中先生の人懐っこい笑顔と、温かいお人柄、そして研究に対する真摯な厳しい姿勢は、私たちの心に永遠に刻まれているだけでなく、世界中の研究者の敬愛を集めました。田中先生の言葉や行動の一つひとつが、多くの人々にとっての光となり、道標となりました。

突然の別れは非常に辛く、心にあいた大きな穴は、永遠に塞がれることはないでしょう。しかし、私たちは、田中先生の偉大な功績と、先生が私たちに残してくださった貴重な教えを忘れません。先生の精神は、これからも私たちの研究や日々の生活の中で生き続けることでしょう。

田中先生と言うと、おそらく多くの人がお酒を思い浮かべると思います。朝日賞の授賞式の際のスピーチで述べられた『賞金は全てお酒に使います』は伝説となっています。最近はご体調がすぐれず、お酒を控えておられました。早く回復されて、一緒にお酒を飲みながら語り合える日を心待ちにしていたのに、それがもうできなくなってしまいました。どうか、これからは、天国で恩師の市原先生、ゴールドバーグ先生も交えて久しぶりの酒盛りを心ゆくまで楽しまれてください。

この追悼文を書きながら、田中先生との、沢山の楽しい思い出が走馬灯のようによみがえりました。この大切な思い出は、今は自分の心の中に、そっとしまっておきたいと思います。

田中先生、今まで本当にありがとうございました。そして、どうか安らかにお休みください。


追記:先生のご葬儀は近親者のみで 7月 28日に執り行われました。来年の初頭に、田中啓二先生お別れの会を東京で開催する予定です。