皆様、はじめまして。2025 年 10 月より、東京都医学総合研究所(都医学研)にて「心不全プロジェクト」を始動いたしました、中山幸輝です。
私は 2004 年に東京大学医学部を卒業してから、東大病院と日本赤十字社医療センターで初期臨床研修を行いました。その後は循環器内科医として、日本赤十字社医療センター、自治医科大学さいたま医療センターで心臓カテーテル治療や心不全治療を中心とした専門研修を修了し、2009 年から東京大学大学院医学系研究科博士課程に進学しました。大学院に入ってから、東大病院の臨床業務とともに、基礎研究に興味を持って取り組むようになりました。2013 年に博士課程を修了した後も、引き続き東大病院で助教として臨床業務に取り組むとともに、総合研修センターで研修医教育を担当するようになり、研究活動との3本柱で従事していました。そして、2025 年 10 月から縁あって、都医学研で新規プロジェクトリーダーとして採用され、心不全プロジェクトの名のもと、研究に専念することにいたしました。
心臓の病気が進行すると、最終的には心不全という状態になります。心不全という名前はよく聞かれると思いますが、実際にどういう状態になるのかについては十分には知られていません。心臓のポンプとしての働きがうまく回らず、全身から血液が返って来られなかったり、全身に十分血液が送れなくなったりしてしまうことを指します。返って来られない血液はむくみや胸に水が溜まる原因になり、血液を送れなくなることによって疲れやすくなったり息切れしたりします。ポンプの働きが悪くなる原因は様々で、心筋梗塞で心臓の筋肉が一部ダメージを負ったことで徐々に全体的に動きが悪くなったり、遺伝的にポンプの働きがだんだん弱くなったりする方もいます。また、歳を取ると徐々に心臓の筋肉の弾力が失われ、ポンプが縮むことが出来ても、広がりにくくなることで、全身に血液を運べなくなってくることもあります。怖いのは、症状が出た時にはすでに病態がだいぶ進行しているということです。それまでは体の中の様々なシステムが代償していることで、症状を感じません。代償しきれなくなった時が心不全を発症した時です。心不全患者数は国内で約 120 万人と推計されており、今後 5 年以内にはさらに増加し、「心不全パンデミック」という深刻な事態に直面する見込みです。心不全のもう一つ怖いところは、一度発症してしまうと、何度も入退院を繰り返すことにあります。一旦よくなって退院しても、内服を忘れてしまったり、暴飲暴食をしてしまったりすると、また苦しくなってしまいます。さらに、徐々にその閾値は狭くなり、少し塩分を取り過ぎただけで心不全を再発してしまうようになります。また、心臓だけの問題ではありません。腎臓が悪くなる慢性腎臓病や筋力が低下するサルコペニアなど、様々な臓器の合併症を伴うことも特徴です。
なぜ心不全を一度発症すると繰り返しやすくなってしまうのか、なぜ様々な臓器で機能が低下してしまうのか、については幾つかのメカニズムが挙げられています。それぞれの臓器に充分な血流が行かないことや、複数のホルモンの影響が挙げられますが、「慢性炎症」という、各臓器において炎症が起き続ける事も原因として言われていました。しかしながら、なぜ炎症が長引くようになるのかについてはよく分かっていませんでした。
心臓は1日に 10 万回も収縮するポンプであり、筋肉の塊です。ただし、心臓は心筋細胞だけで出来ているわけではありません。血管を形成している細胞や、ポンプの形を保つコラーゲンなどの線維を作る細胞が含まれます。さらに、免疫を担う細胞も多く存在することが分かってきました。中でも、マクロファージという免疫細胞がその大部分を占めており、心臓全体に豊富に存在しています。免疫と聞くと、ウイルスや細菌から体を守る働きを想像されるかもしれませんが、実はそれだけではありません。いわば体内の“パトロール隊”としての役割です。
マクロファージは、組織がダメージを負った時に壊死した細胞を食べて除去するためにやってくる掃除屋として知られていました。ところが、この 20 年くらいの間に、マクロファージが、それぞれの臓器で、組織を保護するための様々な役割を担っていることが分かってきました。心臓においては、心筋細胞が働くことで出てくる老廃物をマクロファージが食べて除去するという働きもありますが、より積極的に心筋の働きを助ける機能を持っています。例えば、心臓を頑張らせるためのホルモンを分泌したり、心臓が規則正しく動き続けるための電気刺激の流れる道を整えたりしていることも分かってきました。生物が生まれる前の胎児期の段階から、生まれた後も、特にストレスがかかった時には必須の細胞になります。
一方で過剰なストレスがかかった時には、逆に炎症を引き起こす悪玉として働きます。心筋梗塞は、心臓に血流を送る血管が詰まって、心筋細胞が栄養不足、酸素不足になって壊死する病気です。壊死した組織を掃除するためにやってきたマクロファージは、「炎症」を引き起こして、他の免疫細胞と一緒になって壊れた組織を修復します。それだけなら良いのですが、炎症を引き起こしたマクロファージは、よい心筋細胞にもダメージを与えてしまいます。また、過剰なストレスがかかって心筋細胞にダメージが蓄積して心不全状態になった時には、マクロファージは炎症を引き起こして心不全を悪化させます。末期心不全状態になると、ほとんどのマクロファージが炎症を引き起こすホルモン(サイトカイン)を分泌し、心臓機能をさらに悪化させる原因になってしまいます。
心不全を起こすと、血液中の単球が血管を通して心臓組織にやって来てマクロファージになります。心不全を繰り返すと、単球自体の機能が変わって、より悪いマクロファージになるのではないか、それが研究の一つの仮説になりました。
なぜパトロール隊であるはずの単球やマクロファージが、これほどまでに攻撃的な性質に変わってしまうのでしょうか?私たちは心臓そのものだけでなく、血液が作られる工場である「骨髄」に根本的な原因があるのではないかと考えました。
私たちの骨の中にある骨髄には、赤血球や白血球など、すべての血液細胞の“源”となる「造血幹細胞」が存在しています。最新の解析技術(シングルセル RNA シーケンスやエピゲノム解析など)を用いて、心不全を発症したマウスの骨髄を詳しく調べたところ、心臓が悪いことで骨髄の構造が変わることが分かってきました。心不全になると、その強いストレスが「交感神経(体を活発にする自律神経)」を通じて、脳から骨髄へと伝わります。骨髄には本来、造血幹細胞を若々しく正常な状態に保つための環境(ニッチ)が整えられていますが、慢性的な交感神経の機能異常によって、その骨髄の環境が大きく変化してしまうのです。その結果、造血幹細胞は心不全という強いストレスの「記憶」を、遺伝子の使い方の変化(エピゲノム変化)として細胞の奥深くに深く刻み込みます。これを専門用語で「自然免疫記憶」と呼びます。
心不全のストレスを記憶してしまった造血幹細胞は、その性質を大きく変えてしまいます。具体的には、正常な免疫バランスを保つ細胞を作りにくくなる一方で、単球やマクロファージへと優先的に成長しやすくなり、しかもそれらが最初から「攻撃的な性質(炎症性表現型)」を持つように運命づけられてしまうのです。
骨髄の工場で大量生産されたこの「攻撃的なパトロール隊(単球)」は、血液に乗って全身を巡ります。そして心臓だけでなく、腎臓や骨格筋など他の臓器にも入り込み、炎症性のマクロファージとして定着します。これにより、腎臓の働きが落ちる慢性腎臓病や、筋肉が衰えるサルコペニアといった、心不全患者さんによく見られる多臓器合併症が引き起こされることが明らかになりました。心不全が単なる「心臓だけの病気」ではなく、免疫の大元である骨髄の性質を変え、全身に慢性的な炎症を引き起こす「全身のネットワークの病気」であることが、我々の研究から見えてきたのです。
私たちの「心不全プロジェクト」では、この「ストレス記憶が血液(造血幹細胞)レベルで刻まれ、免疫システムを変えてしまう」という全く新しい視点から、実際の患者さんの治療や予防に役立てるための研究を進めていきます。具体的には、大きく分けて3つの方針で研究を展開します。
私は 2004 年に医学部を卒業して以来、長年、循環器内科の医師として臨床の最前線で多くの心不全患者さんの診療に当たってきました。いつも感じていたのは、現在の治療法だけでは、入退院を繰り返し、心臓以外の臓器まで悪くなり苦しまれる患者さんを根本から救うには限界があるということでした。
この病気の進行を食い止められるような新しい治療を開発したい。そうした臨床現場での強い思いを胸に、私は「フィジシャン・サイエンティスト(医師であり基礎医学研究者でもある存在)」として、新しい心不全研究の扉を開くため、2025 年 10 月よりこの東京都医学総合研究所で新たなプロジェクトを開始いたしました。
基礎研究の成果が、明日すぐに特効薬になるわけではありません。しかし、病気の根本的な原因を解き明かすことは、10 年後、20 年後の医療を劇的に、そして確実に変える力を持っています。東京都でも急速に高齢化が進む中、心不全やそれに伴う全身の合併症を克服し、介護の負担を減らすことは、非常に重要で急務な課題です。私たちの研究室では、東京都医学総合研究所ならではの、多分野の研究者とのつながりや最先端のテクノロジーを活かしながらも、常にその視線は「患者さんのベッドサイド」に向けられています。都民の皆様が、年齢を重ねても心身ともに健やかに、住み慣れた地域でご家族とともに安心して生活できる「健康長寿」の社会を目指して、全力を注いでまいります。
これからの私たちの挑戦と研究活動に、ぜひ温かいご関心とご支援を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。