2021年2月10日
田中啓二理事長および蛋白質代謝プロジェクト佐伯泰参事研究員らの研究グループは、がんなどの疾患の原因となるタンパク質を細胞内から取り除く薬剤「標的タンパク質分解誘導剤」の新たな作用メカニズムの解明について米国科学誌「Molecular Cell」に発表しました。
「標的タンパク質分解」注1)は、がんなどの疾患の原因タンパク質を細胞内で分解消去することで、従来の方法では標的にできなかったタンパク質を狙うことを可能とする画期的な創薬コンセプトです。がん治療薬の臨床試験が開始されるなど、大きな注目を集めています。しかし、作用メカニズムには不明な点がありました。
今回研究グループは、分解誘導剤注1)の作用を促進する酵素(TRIP12)を世界で初めて見出しました。TRIP12 はがん細胞において疾患タンパク質の分解を促進し、分解誘導剤によるがん細胞死を促進していました。さらにこのメカニズムとして、TRIP12 がタンパク質を分解に導く特殊な「目印(タグ)」の合成に関与していることを突き止めました(図1)。この知見をもとにTRIP12 を活性化することができれば、がん治療薬の効果を高めることができる可能性があります。また、同様の手法によって分解誘導剤の促進因子・抑制因子が明らかになっていけば、がんで高発現する疾患原因タンパク質を分解し、薬の効果を高効率化・高精度化していくことが期待されます。
研究成果は2021年2月10日(日本時間)に米国科学誌『Molecular Cell』オンライン版に掲載されました。
当研究所の田中啓二理事長、佐伯泰参事研究員および遠藤彬則主任研究員は、星薬科大学生命科学研究所の大竹史明特任准教授(責任著者)、相馬愛特任助教や、東京大学の内藤幹彦特任教授、国立医薬品食品衛生研究所の出水庸介部長らとの共同研究により、がんなどの疾患の原因となるタンパク質を細胞内から取り除く薬剤「分解誘導剤」の新たな作用メカニズムを解明し、作用を促進する酵素を世界で初めて発見しました。
私たちの細胞内には疾患の原因となるタンパク質が数多く存在しますが、いわゆる阻害薬など既存の薬剤の標的となっているタンパク質はほんの一握りで、それ以外の多くのタンパク質は薬剤によって阻害できませんでした。これに対して、疾患原因タンパク質を細胞内で分解して除去する「標的タンパク質分解誘導剤」注1)が、創薬ターゲットの範囲を大幅に広げる革新的な創薬コンセプトとして脚光を浴びています。
標的タンパク質分解の原理は、細胞内にもともと備わっているユビキチン・プロテアソーム系注2)という機構を利用するものです。細胞内で不要になったタンパク質は、「ユビキチン」注2)と呼ばれるタグ(目印)を付加されます。タグ付けされたタンパク質はタンパク質分解酵素「プロテアソーム」によって分解されます。そこで、疾患原因タンパク質に結合する薬剤と、ユビキチン化酵素注3)(タグ付加酵素:CRL と呼ばれる)に結合する薬剤とを連結させたハイブリッド型の化合物を用いれば、疾患原因タンパク質とユビキチン化酵素とを近接させ、強制的にユビキチン化を引きおこして分解を誘導することができます(図1上)。
このような開発の経緯から、標的タンパク質分解のメカニズムは、ユビキチン・プロテアソーム系の「ハイジャック」であると考えられてきました。しかしながら、その詳細なメカニズムは未解明であり、分解誘導剤のさらなる高効率化・高精度化のために、分子メカニズムの解明が望まれていました。
研究グループは、細胞を分解誘導剤で処理した時に標的タンパク質に結合してくるタンパク質を探索したところ、CRLとは別のユビキチン付加酵素であるTRIP12を同定しました。TRIP12は、CRLが標的タンパク質にユビキチンを付加した後で結合してくることがわかりました。
次に、分解誘導剤の作用におけるTRIP12の役割を明らかにするために、TRIP12を持たないがん細胞を作製しました。すると、TRIP12を持たないがん細胞では、分解誘導剤で処理した際の標的タンパク質の分解が遅れ、さらに、この分解が引き起こすがん細胞の細胞死も抑制されていました。
そこで、TRIP12が分解誘導剤の作用を促進する分子メカニズムを検討しました。CRLとTRIP12はともにユビキチンを付加する酵素ですが、タンパク質分解の目印であるユビキチン鎖注2)(ユビキチンが鎖のように連結したもの)を合成する際の鎖の形状が異なっており、CRLとTRIP12が協同作業することで、特殊な形状の鎖を合成することがわかりました。つまり、TRIP12 はタンパク質分解に適した形状のユビキチン鎖の合成を手助けする酵素であることがわかりました(図1下)。
近年、分解誘導剤の開発が世界的な潮流になっており、米国で臨床試験が開始されるなど、開発競争が進んでいます。しかしながら、タンパク質分解の視点からの詳細な分子メカニズムの解明は遅れていました。本研究では標的タンパク質分解を特異的に促進する酵素を発見し、この酵素が特殊な形状の「分解タグ」を合成することを突き止めました。すなわち、分解誘導剤の作用メカニズムは単純な「ハイジャック」ではないことが初めて明らかになったのです。したがって、分解誘導剤の効果を高めるためには、分解誘導剤の作用メカニズムをさらに解析し、薬の作用を促進したり抑制したりする因子群を明らかにすることが大事だと考えられます。たとえば、TRIP12 を活性化する薬剤が見つかれば、がん治療薬の効果をさらに高めることができる可能性があります。逆に、誘導剤の作用を抑制する因子がわかれば、その因子を阻害することで誘導剤の作用増強も期待できます。