当研究所 脳卒中ルネサンスプロジェクトの中村幸太郎研修生(東京大学大学院新領域創成科学研究科 博士課程 1年)、七田崇プロジェクトリーダーらの研究グループは、脳梗塞モデルマウス(注1)を用いた実験により、脳梗塞をさらに悪化させる「脳内炎症」の新たなメカニズムを解明しました。
脳梗塞は発症後に後遺症が残る場合も多く、生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を著しく低下させます。超高齢化社会を迎えた日本のみならず世界中で健康寿命を短縮する主原因となることから、治療法の開発が強く望まれてきました。また、脳梗塞の有効な治療法は未だ限られており、特に発症早期に限定されていることから、脳梗塞発症から長時間経っても効果がある治療法の開発が強く望まれていました。
本研究グループは、脳梗塞を悪化させる脳内炎症が引き起こされるメカニズムに着目し、次の3点を明らかにしました(図1)。
図1 DJ-1タンパク質は脳内炎症を引き起こす因子である
細胞内のDJ-1タンパク質は酸化防止作用により神経細胞を保護する。①脳梗塞により虚血壊死に陥った神経細胞から細胞外に放出されたDJ-1タンパク質は炎症を引き起こす因子として作用する ②DJ-1タンパク質のαG-αH ヘリックス配列が脳梗塞後の脳内に浸潤してきた免疫細胞を活性化して炎症を引き起こす ③DJ-1タンパク質の作用を中和する抗体を投与すると脳梗塞の症状(梗塞体積・神経症状)が改善されたことから、DJ-1タンパク質は脳梗塞治療における新たな治療標的になると期待される。
これらの成果は、脳内炎症を引き起こす因子であるDJ-1タンパク質を標的とした新規治療剤の開発に繋がる可能性があり、今後の脳梗塞治療への応用が期待されます。
本研究成果は、2021年5月21日(日本標準時)に米国科学誌『PLOS Biology』のオンライン版に掲載されました。
脳梗塞を含む脳卒中は日本において死因の第3位であり、寝たきりの原因の第1位です。近年、超高齢化社会や糖尿病・高脂血症を始めとした生活習慣病患者の増加も影響し、脳卒中の患者数は2017年には112万人にのぼりました。脳梗塞は脳の血管が詰まることで発症し、脳組織が傷害され、手足のまひや言語障害などの後遺症が長きにわたり続く可能性がある疾患です。これら後遺症は脳梗塞患者の生活の質を著しく低下させ、健康寿命を短縮する主原因となり得るため、世界中で治療法の開発が強く望まれてきました。しかし、既存の治療法である血栓溶解療法や血栓除去術は脳梗塞を発症してから数時間のみしか使えないなどの厳しい制約があり、患者の生活機能を改善できる治療は未だ乏しい状況です。
本研究グループは脳梗塞を発症してから長時間経っても効果がある治療法の開発を目指してきました。そこで、着目したのが脳梗塞の発症後に引き起こされる「脳内炎症」です。脳梗塞発症後の脳内では、脳組織の傷害に伴って生体内の免疫系が活性化されます。免疫系が活性化されると脳内で炎症が引き起こされ数日間持続しますが、この炎症により脳組織はさらに傷害され脳梗塞をさらに悪化させます。つまり、脳内炎症が引き起こされるメカニズムを明らかにできれば、これを標的とした治療可能時間の長い新たな治療法の開発につながると考えています。
私たちの身体は免疫系によって外界から侵入してきた細菌やウイルスなどの病原体から守られています。病原体が体内に侵入すると、細菌の成分やウイルス由来のタンパク質といった病原体の一部を、マクロファージ・好中球(注3)と呼ばれる免疫細胞がいち早く認識し、生体防御のため炎症が引き起こされます。しかし、脳は血液脳関門(注4)とよばれるバリアを介して外部からの異物の侵入を防いでいる極めて無菌的な臓器であり、脳梗塞では通常病原体は存在しません。
では、なぜ脳梗塞でも炎症が起こるのでしょうか?近年、細胞死や組織の損傷など、細胞のダメージに伴って放出される、自己の組織由来のタンパク質、DNAやRNAなどの核酸によっても免疫系が活性化され、炎症が引き起こされることが明らかとなってきました。このような自己の組織由来の炎症(無菌的な炎症)を引き起こす因子は「ダメージ関連分子パターン(DAMPs)」と呼ばれます(図2)。脳梗塞において炎症を引き起こす因子に関するこれまでの解析は不十分であったため、そうした因子を同定できれば、画期的な治療標的となると考えました。
図2 脳梗塞ではDAMPsにより無菌的な炎症が引き起こされる
通常外界から病原体が侵入すると免疫細胞は、受容体を介して病原体の一部を認識して活性化し、炎症を引き起こす。一方で脳梗塞の場合、免疫細胞は組織傷害や細胞死に伴って自己の細胞から放出される自己組織由来の炎症を引き起こす因子によっても活性化し、無菌的な炎症を引き起こす。脳梗塞において炎症を引き起こす因子に関するこれまでの解析は不十分であったため、そうした因子を同定できれば、画期的な治療標的となると考えられる。
本研究グループは、これまでに脳梗塞モデルマウスを用いて脳梗塞における炎症惹起因子を探索し、ペルオキシレドキシンタンパク質(注5)を炎症惹起因子として同定しました。しかし、ペルオキシレドキシンタンパク質だけでは脳内炎症を引き起こす作用が弱く、脳にはさらに重要な炎症惹起因子が存在すると考えられました。そこで、さらなる炎症を引き起こす因子を探索したところ、機能不全によりパーキンソン病の原因にもなるDJ-1タンパク質が、今回脳梗塞後の脳内炎症を引き起こす作用をもつことを明らかにしました。
主な研究成果は以下の3点です(図3)。
DJ-1タンパク質は細菌から哺乳類まで幅広く生体内に存在し、通常は細胞内にあり、細胞に有害な過酸化水素を無毒化する酸化防止酵素として知られていました。また、これまで神経細胞内に存在するDJ-1タンパク質は酸化防止作用により、脳梗塞による強い酸化ダメージから細胞を保護する作用を持つと報告されてきました。
研究グループは、脳梗塞の発症から12-24時間後にDJ-1タンパク質が虚血壊死に陥った神経細胞から、細胞の外に放出されることを発見しました。細胞外のDJ-1タンパク質は、脳梗塞後の脳内に浸潤してくるマクロファージ・好中球などの免疫細胞の細胞表面に発現しているトル様受容体(Toll like receptor, TLR(注6))のうち、TLR2ならびにTLR4と直接結合することを明らかにしました。DJ-1タンパク質はTLR2ならびにTLR4を介して免疫細胞を活性化し、炎症性サイトカインの産生を促したことから、脳内炎症を引き起こす因子、すなわちDAMPsであることが世界で初めて示されました。
DJ-1タンパク質の構造を解析したところ、αG-αHヘリックスと呼ばれるアミノ酸配列が、免疫細胞を活性化して炎症を引き起こすために必要な配列であることを同定しました。この配列はこれまで報告されたDAMPsには見られず、DJ-1タンパク質に特異的な配列であることを明らかにしました。
DJ-1タンパク質の遺伝子を欠損したマウスを用いて脳梗塞モデルを作製したところ、DJ-1タンパク質が存在しないと脳梗塞後の脳内炎症が著しく抑制されたことから、DJ-1タンパク質は脳内炎症に重要な因子であることが示されました。そこでDJ-1タンパク質の作用を中和する抗体を作製し、脳梗塞モデルマウスに投与したところ、脳梗塞後の脳組織における炎症性サイトカインの産生が抑制され、さらに脳梗塞体積の減少や神経症状の顕著な改善が認められました。
図3 DJ-1タンパク質を標的とした新規治療法の開発に繋がる可能性
①(左)脳梗塞発症から24時間後のマウスの脳梗塞組織を免疫染色した写真。緑はDJ-1タンパク質、赤は免疫細胞であるマクロファージの細胞表面、青はマクロファージの細胞核を示す (スケールバー: 10 μm)。(右)蛍光輝度を定量すると、DJ-1とマクロファージが直接接触していることがわかる。
②(左)DJ-1タンパク質のうち160-189アミノ酸残基(αG-αH ヘリックス)の配列が炎症を引き起こすために必要な配列であることが明らかとなった。(右)DJ-1タンパク質(全長:1-189アミノ酸残基)のうち様々な長さの配列を作製して培養マクロファージを刺激し、炎症性サイトカイン(IL-23a)の産生を定量したところ、160-189アミノ酸残基の配列でDJ-1タンパク質の全長と同程度の活性が認められた。
③ DJ-1タンパク質の作用を中和する抗体を脳梗塞モデルマウスに投与した結果、発症から7日後の梗塞体積がコントロール抗体投与群と比較して有意に減少した(*: P<0.05, スケールバー: 500 μm)。
本研究によって脳梗塞における新しい脳内炎症メカニズムが明らかとなりました。DJ-1タンパク質はヒトの脳内においても発現していることから、DJ-1タンパク質を標的として、脳内炎症を抑制しうる新たな治療法の開発につながる可能性があり、今後の脳梗塞治療への応用が期待されます。
さらにがんや、パーキンソン病などの神経変性疾患患者において、細胞内のDJ-1タンパク質が増加することが報告されています。これらの疾患でも炎症が観察されることから、細胞外に放出されたDJ-1タンパク質が、がんや神経変性疾患にも影響を与えている可能性があり、過剰な炎症や組織傷害を伴う疾患に対する新たな治療標的にもなり得ることが期待されます。
日本医療研究開発機構(AMED)の革新的先端研究開発支援事業(AMED-CREST)「生体組織の適応・修復機構の時空間的解析による生命現象の理解と医療技術シーズの創出」研究開発領域における研究開発課題「脳卒中・認知症の完全回復に向けた持続可能な神経回路の再構築を実現する治療開発」(研究開発代表者:七田 崇)(JP20gm121001)、同(PRIME)「画期的医薬品等の創出をめざす脂質の生理活性と機能の解明」研究開発領域における研究開発課題「神経組織の修復過程に関わる機能的脂質の同定と治療応用」(研究開発代表者:七田 崇)(JP20gm5910023)、新学術領域研究「スクラップ&ビルドによる脳機能の動的制御」(JP19H04765)、新学術領域研究「予防を科学する炎症細胞社会学」(JP20H04957)、日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金(JP20J21472、JP17H05096、JP18K14831、JP17K15204)、東レ科学振興会、武田科学振興財団、三菱財団、先進医薬研究振興財団、MSD生命科学財団、千里ライフサイエンス振興財団、小野医学研究財団の支援を受けました。