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新年度の挨拶


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理事長 田中 啓二

昨年の挨拶文では新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)の動向について書き始めましたが、今年もこの話題から入らざるを得ないことは残念な限りです。COVID‑19は2020年初頭からパンデミック感染症として世界中に流布し、既に3年が経過していますが、今尚その脅威から完全には払拭できていません。この3年間、意図的にせよ偶発的にせよ、マスメディアを通じて発信された多くの誤報・確報が氾濫し、人々は右往左往するばかりでした。多くの人が感染して集団免疫が成立するとCOVID‑19は自然に収束すると主張する免疫学者、ワクチンを開発して積極的な防御策を講ずる以外にこの感染症には立ち向かう手段はないとする大多数の意見、また一部ではありますが副反応・後遺症を喧伝する反ワクチン派など、世の中は混迷の淵を漂ってきました。そしてmRNAワクチンという非常に高い有効性を示す核酸医薬が開発されますとCOVID‑19は瞬く間に収束すると期待されました。しかしCOVID‑19を引き起こすSARS‑CoV‑2ウイルスは、次々と変異株(α株、δ株、ο株など)が出現して感染者数は数ヶ月毎の波になって間歇的に観察されています。科学的なエビデンスに基づいたCOVID‑19の流行予測や対処手段の重要性が専門家から強く主張されてきましたが、COVID‑19に関する論文は膨大な数に上り、それらを網羅した知見を得ることは容易ではないような状況が続いています。医学研では重要な専門論文を選別、一般の方々にも分かり易い解説をHP上で継続的に発表してきました(https://www.igakuken.or.jp/r-info/covid19list.html)。ワクチンが感染症を克服する最良の手段であることは長い医学史を通じて実証されてきましたが、その作用機構が完全に理解されているわけではありません。体内に侵入した異物を除去する獲得免疫には、抗体が働く液性免疫とキラーT細胞が働く細胞性免疫があります。自然感染・ワクチン接種はこれらの免疫作用を強く賦活化しますが、抗体測定に比較してキラーT細胞の活性測定は容易でないために、正確な免疫効果をエビデンスとして集積することはかなり困難です。現在、自然感染の増加や大規模ワクチン接種が功を奏し、欧米では新型コロナは季節性インフルエンザと同程度の感染症との認識が常態化しつつあり、経済活動や社会活動をコロナ以前に回帰させようとする機運が高まっています。わが国でも、新型コロナの感染症法上の位置づけが5月8日に「5類」に移行するのを前に、政府は3月13日からマスクの着用を個人の判断に委ねました。現在、東京都を含む国内における新型コロナ感染者数は激減しており、このまま収束に向かうことを期待したいと思っています。

過去を振り返ってみますと、1918年から1920年に大流行したスペインかぜ(亜型インフルエンザ)は当時の世界人口の約1/3が感染し、また死者数は1億人を越えて人類史上最も死者数を出したパンデミック感染症の一つと考えられています。COVID‑19の感染者数はスペインかぜに匹敵するとも言われていますが、死者数はスペインかぜに比較しますと激減しています。これは医療制度の整備やワクチンの開発などによると思われます。他方、スペインかぜは第1波〜第3波の流行で終息しましたが、COVID‑19はわが国では第8波が収束の方向に向かいつつあるとはいえ、第9波が襲来しないとすることは保証の限りではありません。

SARS‑CoV‑2はなんとも不思議なウイルスとしか言いようがありませんが、1日でも早くその本態が解明されることを期待しています。現況の経済活動や社会活動を俯瞰しますと、日本も欧米と同様にコロナ後に向けて舵を切っています。学術活動においても過去3 年間、オンライン会議が主流でしたが、現在では対面の会議が徐々に再開されつつあります。対面での会議は学術情報の取得のみならず活発な議論を通した研究者間の交流を深めることができますので、科学の発展に不可欠であります。本年は国際会議の開催などを含めて国内外での学術活動が活発に展開されると考えていますが、この方針は大いに歓迎すべきものの「COVID‑19は依然として油断できない」というのが正直な感想でもあります。「コロナ恐れぬに足らず」の気概は重要と思いますが、個々人が感染対策に気を配ることは、今暫くは必要なのかもしれません。

スペインの画家ピカソには 1937 年に発表した有名な作品「ゲルニカ」(ソフィア王妃芸術センター所蔵)があり、以前マドリードを訪れた時、直に鑑賞、その迫力に圧倒されました。この絵はスペイン・バスク地方のゲルニカが世界史上初の都市無差別空爆を受け壊滅した場面を描いた大作です。阿鼻叫喚に苦しむ人々の嘆きを抽象的に描くことによって戦争の惨禍を繰り返さないことを希求したピカソの人間愛が一人独りの心に強く沁み込む感動的な作品であります。しかしその後二度の世界大戦、それに続く大小数多くの紛争・内戦やテロとの戦いは世界各地で繰り返されてきましたが、戦後77年が経過した今日、先進国を巻き込んだ戦争は起こり得ないと思っていました。しかし昨年、世界を震撼させたのは、なんといっても露宇戦争の勃発です。大規模な戦争は殺戮の悲惨に加えて世界経済を大混乱に陥れ、多くの人たちが塗炭の苦しみを舐めることになります。加えて戦争は長い歴史を通じて創成してきた人類の文化遺産を毀損すると共に国の発展に不可欠な科学の衰退も引き起こします。しかも戦後の復興や憎悪の連鎖を断ち切るためには、気の遠くなるような長い時間を要します。有史以来、人類の歴史がまた戦争の歴史でもあったことは否定し難い事実かもしれませんが、高度に文明化した21世紀、叡智をもって争いの歴史に終止符を打つことが何よりも必要であり、無益な戦争が1日も早く終焉することを希わざるを得ません。

著名な画家であるゴーギャンの集大成とも言える絵画に『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(ボストン美術館所蔵)があります。この絵の主題は、ゴーギャンの精神世界を描出しているものですが、学術的に考えても人類の祖先を巡る歴史はとても興味深いものがあります。人類の進化に関わる古人類学は主に化石の研究でしたが、分子生物学が登場してゲノムの解析が可能になり、学術的手法が一変しました。ヒト即ち現生人類(ホモ・サピエンス)は、誕生と絶滅を繰り返してきた旧人類とは一線を画するようです。ホモ・サピエンスは20~30万年前にアフリカで誕生し、長い年月を経て6~7万年前に世界の各地に移動したと考えられています。昨年、人類の歴史に科学的メスを入れた進化遺伝学者スバンテ・ペーボ博士(独マックス・プランク研究所)がノーベル生理学・医学賞を受賞しました。受賞タイトルは、「絶滅したヒト科のゲノムと人類の進化に関する発見」であり、その眼目は既に絶滅している旧人類ネアンデルタール人の化石からゲノム解析に成功し、ホモ・サピエンスのゲノムの数%にネアンデルタール人の遺伝子が混入していること、即ち現生人類と絶滅した旧人類が交雑(交配)していたことを示すものでした。このようなホモ・サピエンスとの交雑はアジアに分布していた別の旧人類デニソワ人のゲノムにも見出されています。これらは人類の進化研究における画期的な発見となり、「古代ゲノム学」という学問領域の創出につながりました。

私がペーボ博士のノーベル賞に強く感銘したのは、2015年に出版された彼の自伝「ネアンデルタール人は私たちと交配した」(文藝春秋)を読んでいたからです。この回想記の圧巻は、PCRによるDNAの増幅と次世代シークエンサーという先端技術を駆使して古代人のゲノムを復元した研究史に尽きますが、具体的には採取した化石から微生物や人間からの混入(コンタミネーション)をいかに避けるかについて真摯に取り組んだ様子がドラマチックに描かれていることです。当時、コンタミネーションによる誤謬に満ちた論文が数多く発表されていて、ペーボ博士は、競争の激化による圧迫感に苛まれるものの、混入阻止を徹底的に図った結果、他を寄せ付けない圧倒的な功績に結実したのです。この混入阻止のようなコントロール(対照実験)の重要性は、現代の学術研究にも通じるものがあり、感動的な場面でした。加えて自伝としての迫力は自分の性癖などについても赤裸々に語り尽くしていることであり、虚飾のない真実が書かれていることを実感しました。研究者の皆さまにも一読をお勧めしたい好著です。

『街道歩き旅』

2022年春にCOVID‑19流行の間隙をぬって東海道を踏破したことは、昨年度の挨拶文に記載しました。既に日光街道、奥州街道、甲州街道は踏破済みであり、目標としている五街道全踏破の旅において残すは中山道のみです。日本橋(東京)から三条大橋(京都)に至る二つの旧街道(東海道と中山道)は同時並行で歩き始めました。東海道とは異なり、中山道(全行程69次)は殆どが知らない宿場街です。歩き始めたのは、COVID‑19勃発前ですが、コロナ感染の拡大により長期間、中止を余儀なくされており、合間を見計らって時々に歩いてきました。最初の宿場町である板橋を越えると、高崎まで10宿場を4日で一気に歩き抜けました。高崎宿を過ぎると、「高崎のだるま市」で有名な達磨寺があり、立ち寄りました。高崎宿から安中宿に向かって歩いていますと、眼前に奇妙な山が現れます。日本三大奇景の一つ妙義山です(写真)。以後、碓氷峠を目指してひたすら中山道を進んで行きました。現在、中山道踏破の目処は立っていませんが、数年を要する長旅になったとしても何とか京都に辿り着きたいと思っています。

中山道から見た妙義山
中山道から見た妙義山