特集記事

守宮神の科学
― 新型コロナウイルス感染症の関連研究 ―


副所長(新型コロナ対策特別チーム統括責任者)糸川 昌成

“昔ハ諸道ニカク守宮神タチソヒケレバ”『続古事談』

平安末期の蹴鞠名人、藤原成通は休むことなく蹴鞠を続ける「千日行」満願の日、人々を招いて盛大に祭式を催した。

祝宴を終えたその夜の出来事が、『成通卿口伝日記(なりみちきょうくでんにっき)』に記されている。くつろいだ成通が日記を書こうと文机で墨を摺っていると、棚から鞠が成通の前へ転び落ちた。そこには、3人の童子が鞠を抱いて立っていたのである(図1)。驚いた成通に童子たちが答えた。「私たちは御鞠の精です。このたびは、念願の千日の蹴鞠を果たされ、お供え物もいただきました。まことに悦ばしく存じます」童子たちは蹴鞠のとき鞠に憑き、終わると柳の林に戻って住むという。蹴鞠が愛好される時代は、国が栄え良い人が政治を司り、幸福と長寿と健康がもたらされる。懸木(かかりぎ)さえあれば、いつでも蹴鞠を守護いたしましょう。それだけ述べると、鞠の精は姿を消してしまった。

図1 菊池容斎(武保)著『前賢故実』巻第6
図1 菊池容斎(武保) 著『前賢故実』巻第6, 郁文舎, 明36.7. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/778242( 参照 2023-03-20)

中世の日本には、芸能・技芸を守護する守宮神(しゅぐうしん)という精霊信仰があった。守宮神は猿楽や田楽の芸人ばかりでなく、造園や大工、細工師や金属の技術者などの技を見守る精霊でもある1)。守宮神は、シュグジ、シュクジン、シャグジとも呼ばれた。5世紀初頭に朝鮮半島から数多くの渡来人が日本列島にたどり着いたが、その中には多数の技術者や芸能者も含まれた。そうした渡来人の末裔で室町時代の猿楽師、金春禅竹の著作『明宿集』に記述された精霊の名も宿神 ‐ 守宮神とほぼ同じ音韻 ‐ という。

守宮神とシャクジ

明治の民俗学者、柳田国男の『石神問答(いしがみもんどう)』によれば、日本各地にシャクジと呼ばれる小祠がおびただしい数で分布し、そこには音韻の通ずる地名も見られるという。兵庫県赤穂市の坂越(さこし)、壱岐の杓子松、東京練馬の石神井などがあげられている。これらを柳田は、列島の広範囲に広がった信仰現象と考えた。シャクジは縄文から続いた古層の神の痕跡であり、太古的な性質をもった精霊である。『石神問答』で柳田は、シャクジをサ音とク音の結合でできた「境界性の神」であり、坂や境と深い関連を持つと述べる。縄文の人々は、神聖なものは境界の外側から人間社会の内部にやってくると考えたようだ。

民俗学者で国文学者でもあった折口信夫(しのぶ)も、二度の沖縄訪問で境界を越えて来訪する精霊を感じ取った。媼(おうな)の面をつけたンメと翁(おきな)の面のウシュメが家々を回り、位牌を拝みクバの扇で優雅に舞う旧盆行事アンガマ。全身を芭蕉やクバの葉で覆った鬼アカマタ・クロマタの祭り。祖霊やこの先に生まれてくる子供の魂が住まう他界 - ニライカナイ -から鬼たちはやって来るという。ニライカナイから翁媼や鬼が渡ってくるとき、人間社会との「境界」を越えると折口は考えた。

『石神問答』のシャクジと、成通の守宮神。この似通った音韻を持ったふたつの精霊は、境界性をあらわす霊的な縄文の概念をベースに、弥生時代に渡来した芸能・技術者た ちを守護する精霊信仰が結合した文化の存在を示している。

ニッチの撹乱

生物には生存に適した環境をすみ分ける性質があり、すみ分けた生態系はニッチと呼ばれる。たとえば、フィンチにとって大型の餌が豊富なニッチと小型の餌のそれとでは、嘴のサイズが異なることをダーウィンも認めている(図2)。環境に最適な生物が生存競争に勝ち残るため、天然の生態系では種の均一化が生じやすい。例外的に均一化せず、微生物から多種の魚類まで生物多様性が高いサンゴ礁では、台風など悪天候によってニッチの撹乱があるからだという2)。ヨーロッパの森林に比べて、日本の里山で生物の多様性が高いのも同様な理由らしい。里山では定期的に雑木林を伐採し、落ち葉を集め、下草を刈るため、人手によるニッチの撹乱が働く。そのため、里山では他のアジアで絶滅した様々な生物が、日本固有種として生き残っている。ニッチが固定化されない生態系は、新種を生み出す潜在力を秘めているのかもしれない。ニッチが多いアフリカ東部ビクトリア湖でも、祖先種から 300もの新種魚類が生まれている2)

図2 ダーウィン・フィンチ Darwin C: The Voyage of the Beagle
図2 ダーウィン・フィンチ Darwin C: The Voyage of the Beagle

新型コロナ所内公募研究

都医学研は 2020年5月に新型コロナ対策特別チームを発足させた(本誌39号で紹介)。本誌41号でも紹介したように、特別チームの西田淳志社会健康医学研究センター長は、携帯電話の位置情報を用いた主要繁華街における夜間滞留人口(人流データ)をモニタリングすることで、新規感染者数の推移を予測して都の新型コロナウイルス対策を支援してきた。小原道法特別客員研究員は、天然痘ワクチンに使用実績があるワクシニアウイルスを用いて新型コロナウイルスのワクチンの開発を継続し、14の都立・公社病院(当時)の協力で毎月 3,000 例の抗体を測定し、都内の感染の推移を東京 iCDC(東京感染症対策センター)へ報告した。

所内の研究員たちにも新型コロナウイルスと関連する研究を提案してもらい、所内で審議して採択された研究を実施してきた(表)。プロジェクト名を見ていただいても分かる通り、普段ウィルス感染症とは関係のない研究をしていた研究員たちばかりである。科学者にもニッチのような得意分野を活躍の場とするそれぞれの研究業界が存在する。得意分野を生かしながらもニッチの境界を越えて新型コロナの解明に挑む所内公募研究は、まるでニッチの撹乱のように見えないだろうか。サイエンスの技芸を守護する守宮神の庇護のもと、固定化されたニッチからは決して生まれないような新種 - 新たな発見 - の誕生が十分に期待されるだろう。

  1. 中沢新一 精霊の王 講談社 2003
  2. 河本英夫 生物多様性という課題「エコ・フィロソフィ」研究 5:83-92,2011
表 新型コロナ所内公募研究
1SARS-CoV-2 S タンパク質結合糖脂質の基礎的研究細胞膜研究室笠原浩二 室長
2SARS-CoV-2 RNA ゲノムのグアニン 4 重鎖構造を標的とした新規抗ウイルス薬の開発ゲノム動態プロジェクト正井久雄 所長
田島陽一 主任研究員
3新型コロナウイルスワクチンの有効性を高めるワクチンアジュバントの開発幹細胞プロジェクト種子島幸祐 主席研究員
4新型コロナウイルス対策のための日本株 BCG 効果の基礎研究神経細胞分化研究室岡戸晴生 室長
5プロテオーム変動を指標とした新型コロナウイルス感染の宿主応答の解析蛋白質代謝プロジェクト佐伯 泰 参事研究員
遠藤彬則 主任研究員
6新型コロナウイルスの感染・重症化に関わる要因の探索細胞膜研究室池田和隆 参事研究員
※ 所属、研究者の役職は、2020年3月31日現在。