細胞膜研究グループ 研究員 小倉 潔
がん細胞は、周囲の組織にじわじわと入り込む「浸潤」や、血液の流れに乗って別の場所に移動して新たな腫瘍をつくる「転移」といった特徴があります。正常細胞にはないこれらの特徴によってがんは体内のさまざまな部位に広がっていきます。ただし、浸潤や転移のような細胞の動きは、がんだけに特有のものではありません。例えば、赤ちゃんが母体の中で成長する過程や、けがをした際に傷が治る過程でも、似たような仕組みが厳密に管理されたかたちで起こっています。このように、必要な時にだけ細胞の動きを活発にする仕組みは「上皮間葉転換(EMT)」と呼ばれています。
私たちの研究グループでは、「肝細胞増殖因子調節チロシンキナーゼ基質(HGS)」というタンパク質に注目してきました。HGS は細胞内でタンパク質の輸送に関わる働きをしており、細胞機能の維持にとって重要な役割を果たしています。これまでの研究により、細胞内の HGSが増加すると EMT が促進され、逆に HGS が減少するとEMT が抑制されることが明らかになっています。さらに、 HGS の一部である「コイルドコイル領域(HGS/C)」だけを増加させた場合、EMT の誘導を抑制できることもわかってきました。
今回の研究では、EMT に関与する HGS およびその一部である HGS/C が、がんの悪性化にどのように関与しているかを調べました。まず、HGS の量を増加させた正常細胞はがん化しました。さらに、HGS 量を増加させたがん細胞では、がんの悪性度を示す「腫瘍形成能力」が上昇しました。一方で、HGS/C だけを増加したがん細胞では、腫瘍形成能力が大きく低下しました(図1)。これらの結果から、HGS はがん細胞の悪性度を増加させること、一方 HGS/C は悪性度を減少させることがわかりました。このことは HGS/C が抗腫瘍作用を持つことを示唆しています。
さらに研究を進め、HGS/C の配列から小さなタンパク質(オリゴペプチド OP12-462)を選出し、マウスに注射したところ、マウスの背部にできた腫瘍の増殖を顕著に抑制しました(図2)。この結果から、HGS/C オリゴペプチド OP12-462 には、がん細胞の腫瘍増殖を抑える抗腫瘍効果があることが示唆されました。
本研究を通じて、HGS ががんに深く関わること、そしてそれを利用して副作用の少ない新しい抗がん剤治療の可能性があることが明らかになりました。今後さらに研究を進めることで、がん治療の選択肢を広げる新たな道が開かれることが期待されます。
Ogura K, Kawashima I, Kasahara K. HGS Promotes Tumor Growth, Whereas the Coiled Coil Domain and Its Oligopeptide of HGS Suppress It. Int J Mol Sci. 2025 Jan 17;26(2):772. doi: 10.3390/ijms26020772