訃報 : 反町洋之参事研究員ご逝去のお知らせ

当研究所の生体分子先端研究分野長 (兼カルパインプロジェクトリーダー) の反町洋之参事研究員(54歳)におかれましては、平成30年1月6日(土)の夜にご逝去されました。ここに謹んで哀悼の意を表し、皆様にお知らせいたします。

なお、既に通夜・告別式は近親者により執り行われており、また香典等の儀は固くご辞退したいとのことです。

追悼:反町洋之先生

一友人として

(公財)東京都医学総合研究所所長
田中 啓二

当研究所の生体分子先端研究分野長(兼カルパインプロジェクトリーダー)の反町洋之先生におかれましては、平成30年1月6日(土)の夜にご逝去されました。約2年前に大腸がんが発見され、その後、闘病生活を続けながら研究活動を行ってこられましたが、薬石効なく、年明けに病状が急変、終に帰らぬ人となりました。享年54歳というあまりにも早すぎる旅立ちでした。この間、奥様、お嬢様の献身的な介護に支えられてきましたが、ご家族のお話ですと、反町先生は 「最後まで強く優しく彼らしい覚悟で終わりを迎えた」 とのことであります。病魔に冒されてからの経過を具にみてきた一友人として思い起こしますことは、限りない不安と苦痛に苛まれながらも、一言も弱音を吐かなかった反町先生の精神的な強さ・不屈の闘志に深く驚愕するものであります。そして、そのような状況下にあってもご家族や周囲の方々へ、深い愛を投げ続けてこられました。このような反町先生の激しくも穏やかな生き様には、慎み深い 「男の真骨頂」 を感得し、ただただ感歎するばかりであります。生と死は抗うことのできない自然の摂理ですが、反町先生が大切にしてこられたご家族との豊饒な時間が突然に断ち切られたことの不条理に、無常を感じざるを得ません。

私は、反町先生とは、タンパク質分解という同じ研究領域であったために、公私に亘り非常に懇意にさせていただいてきました。個人的な感想を申し上げますと、反町先生は正しく 「気配りの人」 であり、多くの先輩・友人・同僚・弟子の皆様に心から慕われ、長い年月を通して、先生から他人を批判する言葉や、また先生が批判される言葉などを聞いたことがありませんでした。そして国内のみならず、欧米を中心に国外にも多くの共同研究者・友人たちがおられ、その幅広い交流は、真の国際研究者として面目躍如でありました。

反町先生は、1986年に東京大学理学部を卒業された後、同大学大学院理学研究科修士修了(1988)、その後、東京都臨床医学総合研究所研究員(1988-1992:1992年、東京大学博士号取得)、東京大学分子細胞生物学研究所助手(1992-1997)、同大学大学院農学生命科学研究科助教授(1997-2004)を務められました。この間、一貫して、故鈴木紘一先生(東京大学名誉教授)に師事し、鈴木先生が開拓してこられましたカルパイン研究の後継者として、常に世界の第一線で活躍してきました。その後、2004年に東京都臨床医学総合研究所副参事研究員(2009参事研究員)として自身のラボを運営、2011年、同研究所が東京都医学総合研究所に統合した後、今日まで継続してカルパイン研究に邁進してこられました。反町先生は、日本のカルパイン研究を世界のカルパイン研究に押し上げた最大の功労者であり、カルパイン研究という日本が誇る独創的な伝統を守り続けてきました。実際、反町先生に対する 「カルパイン研究の第一人者」 という称号には、国内外を問わず誰も異論を挟まないと思われます。反町先生の手腕が効を奏して、カルパイン研究が、まさに新しい興隆期を迎えつつあった矢先の訃報であり、先生の無念を慮りますと、泪を禁じ得ないのであります。しかし反町先生のカルパイン研究は、次世代の研究者たちに引き継がれ、今後も永続的に発展してゆくことを信じて疑いません。

反町先生は、濃密な時間をもってカルパイン研究に邁進され、人生を力強く駆け抜けて行きました。反町先生の人懐っこい笑顔、誠実を絵に描いたような明朗快活な風貌、それらひとつ一つが、後に遺されたものの心に未来永劫、刻印されて生き続けてゆくことでしょう。

反町洋之先生のご逝去に際し、ここに謹んで哀悼の意を表するとともに、ご冥福をお祈り致します。

合掌

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