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特集 〜新プロジェクトリーダー紹介

脳の不思議に挑む

神経回路形成プロジェクトリーダー丸山 千秋

丸山 千秋

2019年4月より神経回路形成プロジェクトリーダーを拝命いたしました。病気を治すには病の成り立ちを根本から理解することが必須であり、そのための基礎研究は欠かせません。本プロジェクトでは、“脳の構築原理の理解”という観点から、脳・神経回路構築の基本原理を知り、その障害のメカニズムを解明することにより、発達障害、心の病の原因や高次脳機能の異常のメカニズムを明らかにすることを目標としています。

ヒトの脳には約860 億もの神経細胞(ニューロン)があると言われており、それらが大脳新皮質の6 層構造内にびっしりと配置されています。この整然と並んだニューロン間に“配線”される神経回路を流れる電気信号が私たちの思考や精神活動の源です。遥か昔の古代人の多くは、「心は心臓にある」と信じていました。古代エジプト人がミイラを作る際には、復活にそなえて心臓は遺体の中に戻し、肝臓、胃、肺などはそれぞれ壺に入れて保存するのに対し、脳は腐りやすいために捨てられていたという話からも、当時脳への理解がいかに無きに等しかったかが伺えます。その後次第に精神の座として脳が注目されるようになりました。約100 年前、イタリアの神経解剖学者のカミッロ・ゴルジが開発した組織染色法を用いて脳組織を詳細に観察したスペインの神経解剖学者、ラモン・カハールにより、脳はニューロンという細胞単位の集まりであるということが発見され、近代神経科学の幕開けとなりました。

さて、ニューロンの集まりとしての脳は、その機能を発揮するために一体どのような過程を経て出来上がるのでしょうか?脳を構成するほぼ全てのニューロンは、胎児期という限られた時間内に神経上皮細胞の幹細胞から次々に生まれ、正確な行き先まで移動後、配置されます。ヒトの脳の場合、数百億のニューロンが胎児の脳内で生まれて移動していくことを想像すると、いかに活発に細胞の誕生と遊走が起こっているのかが理解できます。では、どうして生まれたばかりのニューロンは自分の行き先に向かってスムーズに移動できるのでしょうか?そのメカニズムは不明な点が多かったのですが、最近その一端が明らかになりました。実は大脳皮質の中で一番先に生まれるニューロン(サブプレートニューロン)が、後から生まれるニューロンに、シナプス伝達を介した信号を送ることで移動(放射状神経細胞移動)を促していることが、様々な検証実験からわかったのです(図1)。サブプレートニューロンはこの役割の他にも、最初の神経回路である視床-皮質連絡の確立においても重要な機能を果たしていることがわかっており、いわば“大脳新皮質形成のオーガナイザー”的な役割を果たしているとも言えます。サブプレートニューロンは動物の中でも哺乳類にしか見つかっておらず、その制御機構のおかげで原始哺乳類は6層構造からなる大脳新皮質を獲得し、より複雑な神経回路を持つヒト脳へと進化できたと考えられます。

今後は、脳構築過程におけるサブプレートニューロンのさらなる機能解析や、より普遍的なシナプス形成・可塑性のメカニズムを理解することで、その障害による脳形成異常、発達障害などの神経・精神疾患の病態解明に貢献できる研究を進めたいと考えております。

ところで、私のこれまでの研究人生で影響を受けた方が 2 人います。一人目は大学院博士課程の指導教官であった元東京大学理学部動物学教室教授の故石川統先生、もう一人はポスドクとして行った先、米国 NIH(NEI)のAna B. Chepelinsky 博士です。石川先生はアブラムシのお腹に住み着いている細胞内共生細菌の研究を始められ、私は博士課程の学生として、その共生細菌がほとんど唯一生産しているシンビオニン蛋白質の遺伝子のクローニングと機能解析をしました。ビールが大好物だった先生がよく学生を集めて飲んでいらした席で、「大高君、研究はとにかくユニークさが重要なんだ。自分がやらなければ10 年後も20年後も誰もやらないようなテーマほど価値があるんだよ。」ということをおっしゃいました。この言葉は今でも心に残り、私の研究に対する姿勢の基本を作っている気がいたします。またAnaとは眼の水晶体特異的な水チャネルをコードする遺伝子MIPの転写制御機構の研究を行いましたが、彼女はとにかく in vivo に近い系を使うことにこだわっていました。同じ分野の他の研究者がCATアッセイのホスト細胞に、不死化した水晶体の細胞株を使っている中、我々は初代培養細胞か器官培養系しか使いませんでした。実際の組織の中で何が起こっているのか知るためには、癌化した細胞を使ってしまったら本当のことはわからない、ということを叩き込まれました。この時の経験は、今でもとにかく「生きたままの細胞の動きを観る」という私のこだわりにつながっていると思います。昨年セミナーをしにNIHを訪問した際、久しぶりに再会できました。現在75歳でNIHを引退後芸術活動をして元気に暮らしていました。

図1 マウス胎児脳における神経細胞移動の模式図

生まれたてのニューロンはサブプレートニューロンか らシナプスを介してシグナルを受け、移動モードを変換する

Cajal and me

昨年セミナーに訪れた米国NIH(Bldg.35)で等身大のラモン・カハール博士と100年の時を経て記念撮影

ところで研究生活は、たとえばクローニングなどの日常的でどんなに小さな実験でも、「コロニーが生えたかな?」と結果を見る時はワクワクします。それら日々の実験を積み重ねて仮説を立て、それを実証していく過程は何事にも変えられない楽しさがあるということを、一緒に実験しながら今後も若い研究者や学生さんたちに伝えていきたいと思っています。そして結果が出たら、それを論文として言葉で表現することもまた重要で、それをもって研究が完結します。哲学者中山元氏の言葉にこのようなものがあります。「思考は言葉によって紡がれる。言葉にならない思考は昨晩の夢のようなものであり、雰囲気としては残っていても揺らいでゆく。思考は言葉に定着させる必要がある。」大学院離れが進み、研究者を目指す若者が減るなか、研究の楽しさ、論文の力で世界とつながることができる研究の魅力を伝えられるプロジェクト研究になればと日々精進していく所存です。最後になりましたが、脳研究の扉を叩くきっかけを作り、これまでご指導下さった岡戸晴生先生、前田信明先生に心より感謝申し上げます

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