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特集

新プロジェクト紹介(がん免疫プロジェクト)

がん免疫プロジェクトリーダー丹野 秀崇

丹野 photo

2021年4月1日よりがん免疫プロジェクトを立ち上げました丹野秀崇と申します。本プロジェクトでは人間の免疫システムを理解し、それを制御、操作することによってがんの新規治療法を開発していきます。


遺伝子とがん

「遺伝子」という単語は今や誰もが知るところですが、遺伝子が一体何を定義しているのかを正確に答えられる方はそう多くないのではと思います。実際に私も大学で生物学を専攻する前は、親から受け継がれ生物の性質を決定するもの、程度の認識でした。分子生物学において狭義には「タンパク質をコードしているDNA配列」となっていますが、こちらも最初に聞いたときはやはりイメージが出来ませんでした。今回このような機会を頂きましたので、遺伝子やタンパク質が一体何を指しているのか、またこれらの研究を行うことが何故がんや感染症の克服に役立つのかを説明させていただきます。

タンパク質と聞くと普通は筋肉をイメージすると思いますが、実は私達の体の中には筋肉だけではなく様々な種類のタンパク質が存在しています。あるタンパク質は光を感じたり、別のタンパク質は食物を分解したりと、その機能は多岐にわたります。人間の体にはおよそ2万種類ものタンパク質が存在しており、これらが協調的に働くことによって生命活動が行われています。

遺伝子というのはタンパク質を作る設計図のことであり、具体的にはデオキシリボ核酸(DNA)の配列を指します。DNAはアデニン、チミン、グアニン、シトシンと呼ばれる物質から構成され、これらが連結し配列を形成することによってタンパク質をコードする設計図となっています。異なるタンパク質はそれぞれ異なるDNA配列の設計図を持っているというわけです。

それでは遺伝子やタンパク質がどのようにがんと関わっているのでしょうか。タンパク質の中には細胞の増殖を促したり、あるいは抑制したりするものが存在します。健康な場合はこれらのタンパク質が適切に働き、体全体の細胞数が一定に保たれています。しかし、加齢、環境要因などによって遺伝子に傷が入ってしまうと、細胞を過度に増殖させてしまう異常なタンパク質が発生したり、本来細胞増殖を抑制するはずのタンパク質が機能しなくなってしまうことがあります。このような場合、細胞が異常に増殖してがんとなってしまうのです。

免疫システムとがん

このように我々は常に遺伝子の傷、それに続く異常タンパク質の発生、細胞のがん化という危険にさらされていますが、私達の体にはがん化を防ぐ仕組みも備わっています。その一つが免疫システムです。細胞内ではタンパク質が細かい断片まで分解され、HLA と呼ばれるタンパク質と結合し細胞表面に提示されています。免疫細胞の一つであるT細胞は細胞表面のT細胞受容体(TCR)を介してこのタンパク質断片-HLA複合体を常に監視しており、正常なタンパク質断片が提示されている場合は何もしませんが、異常なタンパク質断片を発見するとそれを提示している細胞を殺傷します(図1)。このようにしてがん細胞を体内から排除しているのです。この仕組みは細胞が病原体に感染したときにも起こり、ウイルスや病原菌が体内で増殖することを防いでいます。

ところで、がん細胞や感染細胞由来の異常タンパク質の種類は無限とも思えますが、一体どのようにしてT細胞は様々な異常タンパク質に対応しているのでしょうか。T細胞は一つ一つが異なるTCRを持っており、それぞれが別のタンパク質断片を認識します。体内には1億種類以上のTCRが存在すると考えられており、この多様性によって、いくつかのTCRはがん細胞や感染細胞由来の異常タンパク質断片を認識出来るのです。

図1

がん免疫プロジェクト

近年、このT細胞の仕組みをがん治療に応用した臨床試験が目覚ましい成果を挙げています。これらの臨床試験ではがん患者さんからT細胞を取り出し、そこにがんを特異的に認識するTCRを導入し、体内に戻します。メラノーマや多発性骨髄腫の治療において効果を示したことから、現在世界中で同様の臨床試験が実施されています。このように本遺伝子治療法は極めて有望ですが、未だに一般化することが困難です。その理由の一つが既存の技術ではがん殺傷効果の高いTCRの単離が困難なことです。前述した通りT細胞は一つ一つが異なるTCRを発現しているため、その配列を決定するには1細胞ずつ単離して解析しなければなりません。しかし、この作業は労力、コストがかかるため、多くのT細胞を解析することや、がん殺傷効果の高いTCRを発見することは困難でした。

一方で私達はこれまでにTCRを1細胞レベルで高速解析出来る技術を開発してきました。[TannoらScience Advances 2020;TannoらPNAS 2020]。そこでがん免疫プロジェクトでは、本技術を駆使することによってがん殺傷効果の高いTCRを高速に同定し(図2)、得られたTCRを活用することによって誰でも受けられる安全かつ効果的な遺伝子治療法の確立を試みます。

図2

本プロジェクトではTCRの解析を進めていきますが、得られる成果はがん治療だけでなく様々な分野に応用が可能です。例えば新型コロナウイルスに感染している細胞を効果的に殺傷出来るTCRやその標的ウイルス断片を見出すことが出来れば、より予防効果の高いワクチンの開発を加速出来ると期待されます。また、1型糖尿病等の自己免疫疾患では自己反応性T細胞が正常な細胞を攻撃してしまい病気を引き起こしますが、これらの自己反応性T細胞および標的タンパク質断片の特徴は完全に明らかにはなっていません。私達の技術を使い、これらの特徴を明らかに出来れば新規治療薬や診断薬の開発に繋げられると考えています。

まだ始まったばかりの新規プロジェクトですが、当研究所の研究者達と一丸となり医学研究に取り組み、都民の皆様の健康増進に寄与出来るよう努力してまいります。ご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願い申し上げます。


用語解説

※HLA(Human leukocyte antigen):
細胞の状態をT細胞に伝えるタンパク質。自己免疫疾患や臓器移植における拒絶反応にも深く関わるため、活発に研究がされている。
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