Jul. 2019 No.034
副所長齊藤 実
4月より医学研の副所長を拝命しました。今まで知らなかった研究所の運営枢機に触れる機会も増え、これまでとは異なる役割に戸惑うことも多く、色々と勉強しながら副所長業務をこなしています。
私はショウジョウバエを主たる実験動物として、学習記憶の仕組みを分子の働きから明らかにすることを目指して研究を進めています。学習記憶はヒトの人格・個性や嫌悪の情を創出する源です。学習記憶の仕組みを知ることで、最終的には高尚と思われているヒトの精神活動、ヒトが感じる悩みや不安といった精神的ストレスも単に頭の中の分子の働きとしてどこまで説明出来てしまうのか?を知りたいということが研究の動機になっています。
学部時代は大阪大学で化学を専攻していました。高校時代に読んだ小説で大阪に憧憬があったこと、兎に角親元を離れて一人暮らしがしたかったという理由でした。当時はアカデミックの研究者になりたいというより、どこかの企業にでも入って安穏に暮らせれば良いかくらいの気持ちでしたが、神経科学との出会いは学部時代、日航機の墜落事故で亡くなられた塚原仲晃先生の授業で期せずして果たされていました。現在の記憶モデルはシナプスの可塑性が基盤となっています。塚原先生は記憶のシナプス可塑性モデルの先駆者でした。先生の授業を選択した理由は、記憶に興味があったからではなく、先輩から回ってきた教授の鬼仏表という、単位の取り易さが分かる授業の一覧表で、先生に大仏マークが付いていたからでした。しかし、こちらの考えとは裏腹に、授業は神経活動やシナプス伝達を表す数式が黒板いっぱいに書かれた難解な授業で、とても自分が将来、記憶の研究をすることになるとは思いもしませんでした。
私が神経科学の世界に足を踏み入れたのは社会人となってからです。社会人となることは修士課程を終えた後の想定通りの道筋でした。しかし希望した研究部門には行けず、もやもやとした気持ちでいたとき、波動方程式で有名なシュレディンガーの「精神と物質」という本を知りました。人の心が物質の働きとして分かるのか?と手に取りましたが、本の内容は私が期待していたものではありませんでした。しかしタイトルの「精神と物質」という言葉が脳裏に残って脳神経の本質を本格的に勉強してみたいと思うに至り、東大脳研の高橋國太郎先生の研究室で、ホヤを使って神経分化におけるギャップ結合の役割を電気生理学的解析によって調べる研究を博士課程で行いました。神経細胞へと分化していく過程でギャップ結合の動態を調べるとともに、ギャップ結合チャンネルのアンチセンスRNAによりギャップ結合を阻害すると神経分化が遅れることを見つけました。しかしコントロールのセンスRNAを打ってもギャップ結合が阻害されてしまい、どうしたことかと悩んでいました。思うに精製が不十分だったため、二重鎖RNAができてしまいRNA干渉が起きていたのだと思われます。そこに気付くセンスが当時の私にあったらと今でも思います。その後、高橋先生の後輩にあたり、UCLAから群馬大学に異動された城所良明先生のもとでショウジョウバエを使ったシナプス形成の研究を行いました。幼虫の神経筋接合部を用いてシナプス小胞の自発開口放出がシナプス形成に果たす役割などを調べました。ここで初めてショウジョウバエを使った分子遺伝学に出会い、シナプス伝達の過程が分子遺伝学的操作により見事に分割できること、神経細胞の機能が遺伝子により規定されることを実感しました。ショウジョウバエであれば「精神活動の実体を物質の働きとして説明してくれる」のではないかと思い、その後、米国コールドスプリングハーバー研究所のTim Tully先生のもとでショウジョウバエ記憶行動の遺伝学的解析を修得しました。思うに現在の研究の土台はTully先生から受け継ぎましたが、研究思考の土台となる事象の捉え方や研究の進め方は高橋先生と城所先生から受け継いだのかと思っています。
私は連携大学院の説明会や研究室を訪問してくる学生などに「24時間、365日研究が頭に入っている人」と一緒に研究をしたい、ということを言います。学生を始め周りにかなり引かれているようですが、私の本意は24時間働くことではありません。重要なことは、「常に自身の研究のことが頭の中にあり思い起こせる状態にあるべき」ということであり、「準備(意識)のないところに新たな発見や、実験の行き詰まりを打開する策は浮かばない」と思うからです。新たな研究の発想や、行き詰った実験のブレークスルーはベンチや机の前で現れるだけではありません。環境やルーチーンを変えることが寧ろ発想の転換に重要なことが多く、研究室の外で食事をしているとき、野山をトレッキングしているとき、駅の待合でボーッと何かを眺めているときなどに、アイデアが不意に閃くことがあります。しかしこうしたアイデアは突然降って湧いてきたものではありません。アルキメデスが湯船からあふれるお湯をみてアルキメデスの原理を閃き、ケクレが馬車の中でみた夢からベンゼン環を思いついたのも、これらの問題が常に彼らの頭の中の一隅に居座り続け、何かにつけて思い起こされるからこそ、異なる風景からインスピレーションを得るのではないでしょうか。医学研では基礎研究の成果を応用へとつなげることも研究者に課されたミッションですが、これも自分の成果をいかに応用へと広げていくかを常に意識していくことが重要だと考えています。
もう一つ重要なことは、研究を続けていくために楽天的であることだと思います。研究は楽しくなくては続きませんが、実際は苦しいことの方が多いものです。論文や研究費の申請が採択されないこともあります。また自分のモデルが他の研究者に受け入れてもらえず、自分とは異なるコンセプトの研究がどんどん進んでいってしまう一方で、自分の実験は思うように進まず焦燥に駆られることや、逆に自分がコツコツと進めていた研究が他の研究者にスクープされてしまうことなど、多くのストレスに常に晒されます。実のところ、こうした直後は落ち込み、しばらく立ち直れませんが、そのときの悲観的な状況が全てではありません。実際は「何が良いことに繋がるかわからない」ことの方が多く、将来この状況が寧ろ良かった、ということになるだろうと楽天的に捉え、マイナスをプラスに変える方策を諦めることなく考えることが、色々と良い結果を生んだ気がします。
当研究所では私のようにショウジョウバエという、一見してヒトの医学とは関係が無いような研究も行われています。実はこうした研究の多様性が特に基礎研究においては最も大事ではないかと思います。すでに多くの警告が発せられていることですが、昨今は「研究の選択と集中」の大義名分のもと、具体的な研究目標や研究課題に限定した研究費配分がトップダウンで行われ、研究の方向性が恣意的に誘導されることが基礎研究においても増えています。これはあたかも合格という設定目標を目指す受験勉強の観があり、いっとき、その研究分野は大きく進展します。しかし既存のパラダイムを書き換え、将来の医学研究の大きな領域となる研究成果は、どこから芽吹くのか我々には予想がつきません。生き物の世界ではいろいろな動植物が一見、無意味とも思える多様な進化を遂げることで今日の繁栄に至りました。ヒトの医学とは無関係であるかのようなショウジョウバエからも、そのじつ自然免疫や老化遺伝子など、現在の医学研究の潮流が生まれています。研究目標や課題を絞ることは、それらが達成できなかった時のリスクを大きくし、研究の方向性が集中している間に他の研究領域が他所で発展し、立ち遅れてしまうといったリスクも負うことになります。
ところで私は研究の多様性から独創性が生まれることと、研究の多様性の重要性を記しましたが、一方で多くの独創的な研究が、研究の流行から生まれてきたことも事実です。即ち現在の研究の潮流を知悉しているからこそ、現行のモデルとは相容れない結果が得られたとき、新たな概念が生まれるのであって、ひとりよがりや単なる思いつきの研究から重要な発見は難しいと思います。医学研では酵母、線虫、ショウジョウバエからヒトに至るまで幅広い対象に、分子レベルから行動レベルで自由度の高い基礎研究が展開されています。この研究の多様性といった強みを生かすことで、将来新たな医学研究の領域として発展し、思いもつかないパラダイムシフトとなる研究成果がいくつも当研究所から生まれ、東京都だけでなく我が国の医学研究をリードすることを期待する一方で、硬直している日本の研究環境にあって、国の助成では出来ない独創的な研究を、当研究所が担っていく気概をもって、田中理事長、正井所長、糸川副所長と一緒に当研究所の運営の一翼を担えればと思っています。